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9、俺はショタコンじゃない

 とりあえず、図書館裏のひと気のない場所を見つけ、きょろきょろと辺りを見回しつつ、すとんと黒波を地面に下ろしてやる。  黒波はあいもかわらずどこか恨めしげな目つきで俺を見上げたまま、唇をへの字にして涙を堪えているような顔だ。その表情の意味がわからなくて、俺はその場にしゃがみ込み、小さい黒波と目線を合わせた。  ——朝までイケメンだったのに、見た目がこうなると情緒まで子どもっぽくなんのか……? 「……聞きたいことが山のようにあるけど、えーと……まずは、なんでお前、ちっちゃくなっちゃったんだ?」 「まだ、力があんていせぇへん。陽太郎がちかくにおらんとあかんみたいや」 「そ、そうなのか……?」 「おまえのにおいをたどってここまで来た。……そしたら、みょうな男がおまえに……おまえにせっぷんを……っ」 「接吻」  零士に絡まれ、あからさまな誘惑にぐらつきかけていたところを目撃されてしまっていたようだ。俺は額を押さえ、ため息をつく。 「ええと……あれはまぁ、その……挨拶っていうか。あいつただの知り合いだし」 「あいさつやと!? そんな……ただのしりあいごときにおまえはっ、くちびるをゆるしたり、尻をなでまわさせたりするのか!?」 「ち、違っ……!! 誤解を招くような言い方すんなっ!」 「おれにはあさ、くっつきすぎるなておこったのに!」  小さな頬を不機嫌そうに膨らませ、黒波は涙声でそんなことを言う。……これはずいぶんと懐かれてしまったものだと困惑する反面、その姿は思いがけず可愛らしくて、胸の奥がキュンと鳴る。  本来は超のつく美形で妖艶な鬼の姿をしているとわかったものの、小さな手で陽太郎のブルゾンを掴み、大きな目から今にも涙を溢れさせそうになっている黒波はいじらしくてたまらない。俺はしゃがんだまま、片腕で黒波を抱き寄せた。 「よしよし、泣くなって。俺とあいつはなんにもないよ。二人で会うつもりもないし」 「……ほんまか? あの男は……おまえと、まぐいわいたそうにみえた」 「まぐわい……」 「そんなんぜったいあかん! あんなおとこに……ううう〜〜……」  本格的に泣き出してしまった黒波である。俺はなおも困惑しつつ、ぼろ泣きの黒波を抱く腕に力を込めた。 「もう、なんで泣くんだよ……」 「陽太郎は……おれにだけ、やさしいのがいい……っぐず……」 「えぇ? 俺、誰にでも普通に親切だし」 「そういうんちゃうくて! ううう……陽太郎は、おれのんやもん……ぐすっ……」  ——んん? 『俺の』って……どういう意味だ?   俺に縋ってべそべそ泣いている黒波を抱きしめつつも、困惑は深まる一方だった。随分と俺に固執しはじめているようだが、その理由はなんだろう。初めて優しくしてくれた相手として懐くのはわかるが……。  ——あ……ひょっとして、俺の霊力を他の人間に取られると思ったのか?  一晩俺とくっついていたがゆえに、成人としての姿を取り戻したらしい黒波だ。さながら俺は、黒波の充電器のような存在で、言い換えるならば餌ともいえる。それを、零士のような他人に奪われたくなかったのかと思えば、納得はいく。  ——俺の力がないと、成熟した鬼の姿でいられいないんだもんな。……なるほどね、それで俺を独り占めしたいのか。  零士とセックスをしたところで目減りするものなど何もないのに……と思ったけれど、そういうわけではないことにも、気づいてしまう。  目減りするのは俺の心だ。心の通わないセックスでぬくもりと快楽だけ求めても、結局、あとで苦しむのは俺自身だ。 「……ほんとだって。あいつとは何もしない」 「ほんまに……?」 「本当だよ。だからもう泣くなって」  抱きしめて、背中をトントンと軽く叩いてやると、黒波は少しずつ落ち着きを取り戻したようだ。震えていた肩が穏やかに上下するようになったところを見計らって、俺は黒波を少し身体から離し、間近で見つめる。 「大丈夫か?」 「……うむ」 「さて、どうするかなぁ……一旦家まで連れて帰るか? いや、でも講義もあるしなぁ……」  パーカーのフードまでかぶってツノを隠しているものの、その下はあの黒い着流し姿だし、姿形も鬼のまま。俺はフードの端を少し摘んで黒波の顔を覗き込んでみる。 「お前さ、普通の人間っぽい姿に変化(へんげ)できたりするの?」 「……童のすがたのときはできひんけど……おおきくなればできる」 「そうか……うーん、今は無理か」 「無理というわけではないぞ」 「え?」  ちょいちょい、と黒波が俺を手招きする。大人の姿になる秘訣でも教えてくれるのかと思い、俺はさらにもう少し身を屈めた。  すると、小さな手が俺の両頬をガシッと掴んだ。  小さな唇が、ぽかんと開いたままの俺の唇に押しつけられて……。  ——へ…………?  柔らかくて、小さな唇が吸い付いている。  ちびっこに唇を奪われているという異常事態を脳がうまく処理できず、俺はしばし固まってしまった。  すう……と吐息を吸い込まれるような感覚にギョッとなって我に返った俺は、大慌てで黒波の身体を引き剥がす。 「お、いおいおいおい!! それはダメだろ!!」 「なんで? さっきの男とはしとったやん」 「いや……!! 現代社会においてそれはダメなの!! お、おまえみたいなちびっこに、俺みたいな大人がこんなことしてたら……っ!!」  黒波からのキスとはいえ、これは事案だ。成人男性が小さな男の子にキスをするなんて、そんなの完全にまっくろな犯罪行為だ。ショタコンの変態とみなされても文句は言えない。真っ青になっている俺を見て、黒波はまた不服げに唇を尖らせている。  だが程なくして、不思議なことに黒波の肉体が淡く発光しはじめた。  目を疑うような光景だ。少しずつ黒波の手足が長く伸び始め、華奢だった肩幅や背中がみるみる大きく逞しく成長してゆく。  楓の葉のようにちいさく愛らしかった手のひらは広くなり、指も長く伸びてゆき……あっという間に、黒波は成年の姿へと変貌を遂げた。  あまりの衝撃映像だ。立ち上がり、満足げに全身を見回している黒波を前に、俺はぺたんと尻餅をついてしまった。黒波はそんな俺に手を差し伸べ、得意げな笑みを見せる。恐る恐るその手を取ると、ぐいんと力強く引き起こされた。 「……たったひと息の呼気でこの力や……素晴らしいな、陽太郎」 「な、なるほど……そうなるわけね」 「あぁ……胸の内が澄み渡るような気や。心地良い」  案の定、俺のパーカーはまたパツパツになってしまっている。黒波はパーカーのジッパーを下げて、胸元を寛げた。やはりその下は着流し姿で、ツノも隆々と立ち上がっている。どう足掻いても目立ちすぎる格好だ。 「……そうだ、その姿なら、人間ぽく変化できるって言ってたな」 「ああ、多分な」 「多分!? さっきできるって言ったじゃん!」 「変化をするには力がいる。……まだまだ足りひん」  黒波は俺の唇に指を這わせて、にぃ……と妖しく微笑んだ。どことなく邪悪にも見える笑みだが、艶っぽい黒髪と端整すぎる顔のせいか妙に婀娜っぽくも見え、やたらめったら色っぽい。  こうして立って並んでみると、やはり黒波はかなりの長身だ。185は余裕で超えているし、手脚も長い上に筋肉質で、惚れ惚れするほどの肉体美。  気づけばまたしても図書館の壁に追い詰められている。いわゆる壁ドンというやつをされた状態になっているというのに、俺の視線は黒波に釘付けだった。 「ほら……また、そういう顔をする」 「……へ……?」 「頬を赤らめて、とろんとした目つきで俺を見つめて」 「いや、これは……」 「お前にそういう顔をされると、俺はどうしたらええかわからへんくなる」  す……と黒波の手が俺の頬に添えられた。鋭く爪の尖った指先はひどく禍々しいというのに、俺の唇を撫でる動きはひどくぎこちなかった。 「どうして欲しい? ……俺はこんなふうに人に触れたことがないから、わからへん」 「どっ……どうしてほしい……?」 「俺は、お前が喜ぶことをしたいねん。どうしたら、お前にとっての善になる?」 「へっ……」 「教えてくれ、陽太郎。俺になにを期待している」  黒波の爪の先端が、唇の表面をそっと辿った。俺を壊さないように、傷つけないようにと気を配って、優しく触れようとしているのがよくわかる動きだ。だからこそ、心が揺れた。 「あの男としていたことを俺がやったら、陽太郎は嬉しいか?」 「えっ……」 「ひと同士ならば、こうして触れ合うのだろう?」 「ちょ……、んっ」  する……と黒波の手が腰から尻へと降りてゆく。零士に絡まれた時とは比べ物にならないほどの甘いざわめきが、ざわざわとそこから全身を駆け巡った。  その気になれば俺の肉体など引き裂けるだけの力を持っているだろうに、こうも大切に触れようとしてくれているのがわかるから、余計に感じさせられてしまうようだった。溢れ出しそうになる吐息を噛み殺し、黒波から目を逸らせようとしたけれど、すぐに顎を掬われてしまう。 「……あ……」 「ほら、またそういう顔をする。……いやか? 俺に触れられるんは、恐ろしいか」 「ち、ちがう……! これは、……なんていうか」 「ん?」 「そ……そうやって、優しく触られると……っ、気持ち良くなっちゃって、恥ずかしくなるっつうか……っ!」  物悲しげな黒波の表情を見ていられず、俺は正直にそう言い放った。すると黒波は、気が抜けたように唇を歪める。 「気持ちええのが、恥ずかしいことなん?」 「だ、だって……こ、こんなとこで!! お前がベタベタ触ってくるから!」 「こんなとこちゃうかったら、陽太郎は恥ずかしがらずに気持ちようなれるってこと?」 「はっ?」 「そういうことやねんな。……うん、ようわかった」 「いや……ちょっと待て。俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……」  一つ賢くなったといわんばかりに、うんうんと頷いている黒波である。黒波の理解はあながち間違ってはいないけれど、色々と説明不足な感が否めない。  ふとその時、ポケットの中でスマホが激しく振動し始めてギョッとする。じいちゃんからのメールの着信だ。 「……黒波、帰るぞ」 「ん? どうした、急に難しい顔をして」 「じいちゃんから依頼。俺、ちょっとやらなきゃいけないことがある」

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