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8、なんでここに!?

 朝から色々と騒がしくてすでにぐったり疲れているが、俺は大学へ行かねばならない。  だが幸い、今日の必修の講義は午前中だけ。午後からはバイトを入れているが、……はてさて、どうなることやら。  黒波には『人に見られないなら外に出てもいいけど、俺が帰ってくるまで、絶対にじいちゃんには見つかるなよ』と言い聞かせて、家を出てきた。読めるかどうかわからないが、手持ちの漫画や本、そしてテレビの使い方も一通り教えておいた。 『こっ、こんな小さい箱ん中で人間が動いとる!! なんちゅう高度な妖術や!!』と液晶モニターにかじりついていたので、とりあえず暇は潰せるだろう。ついでに現代の人間界についても学んでおいてもらいたいところである。 「……とはいえ、大丈夫かなぁ」  黒波は八百年ぶりに外の世界に出てきたのだ、部屋の中だけで俺を待つというのは難しいだろう。どこかへふらふら出かけて行って、悪さをしなければいいが……。  俺は自転車を快調に走らせながら、軽く空を見上げて白い息を吐いた。  大学までは、自転車で十五分ほど。俺は神社の跡を継ぐことが確定しているのだから、本来ならば卒業と同時に神職の資格を得ることのできる学部へ進むのが近道だ。だが日本に神職資格取得過程のある大学は二校しかなく、どちらも家を出て下宿をしなくてはならない距離にあるため、じいちゃんが反対したのだ。  下宿するには金がかかる……という建前もあるが、実際のところ、じいちゃんが割と心配性だと言うことは、俺もよくわかっている。  ——じいちゃんも、ばあちゃんと母さんを早くに亡くしてるんだもんな。俺はちょっとでも長生きしてやりたいけど、何があるかわかんないし……。  ばあちゃんは、俺の母さんが十五の頃に事故で亡くなったと聞いている。享年四十だったらしい。そして母さんも三十五歳で死んだ。俺は……どのくらい生きられるのだろう。  幼い頃から「毎日を大切に生きなさいね」と言われてきたけれど、当時は全然ピンと来なかった。俺はまだ子どもで、平穏な日々が続いていくのは当然だと信じて疑わなかったのだから。  だが、あの日。妖に襲われてからというもの、平穏な日々はとても貴重で、当たり前のものではなかったのかもしれない……と思うようになった。  そして色恋に興味を抱くようになってからは、孤独感が増した。友人たちは当たり前のように恋バナに花を咲かせていたし、彼女ができて歓喜していたりしたものだ。笑顔で話を合わせたり、祝福したりしてきたけれど、その実、心の中ではいつも寂しかった。  だからこそ、零士との付き合いが始まったときには胸が躍った。よくあるBL作品のように、これまでの寂しさが報われる日が来たのかと思うと、嬉しかったのに——……。 「お、陽太郎じゃん。おはよ」 「げっ…………」  なんということだ。駐輪場から出てきたところで、当の零士にでくわしてしまった……。俺はスヌード深くに埋めていた顔をさらに深く埋めて、無言のまま零士の横を通り過ぎようとした。が、零士はどう言うわけか俺の腕をガシッと掴んでくる。 「なっ……なんだよ」 「無視することなくね? なにキレてんだよ」 「は? 別にキレてなんかないし……」  低い声でそう言いつつ、俺は身を捩って零士の手から逃れようとした。……が、零士は俺の行手を阻んでは、華やかな小顔をじっと俺の方へ近づけてくる。 「っ……なんの用だよ。俺、必修あんだけど」 「いいよ、俺。お前とまたヤっても」 「……は?」 「彼女できたって言ったけどさあ、なんかこう……やっぱ女とやっても物足りないんだよね」 「いや……なにいってんのかわかんない」  零士は俺のスヌードの口元をひょいと指先で下げ、軽い調子で唇を寄せてきた。あいさつのようなフランクなキスだが、俺には刺激が強すぎる。  かぁぁ……と顔がまっ赤に染まり上がってしまい、俺はすぐさまスヌードを引っ張り上げた。 「な、なんなんだよっ……! ていうか、人に見られでもしたら……っ」 「男を抱くからこそ感じられる支配感っつーのかな。女とやってもそういう快感あんまないんだよね」 「……」 「なぁ、セフレ関係続けようよ。な? お前だって寂しいだろ?」  する……と腰に回った零士の手が、そのまま尻へと降りてゆく。そこを荒々しく鷲掴みにされ、叩きつけられるように内側を抉られた。そのたび内側から込み上げてくる抗い難い快感を思い出し……身体が、じゅわりと熱くなった。  こんな軽薄なクズを相手に、欲を滾らせてしまう身体が忌まわしい。だけど、寂しいのは事実だ。せっかく欲しかった肉体的な快楽を与えてもらえたのに、それをもう与えてもらえなくなってしまうのだから。  俺が無言で逆らわずにいるものだから、零士はそれをOKと受け取ったらしい。耳元で、「……なぁ、今から俺んちでもいいよ」と囁かれ、情けないかな、心がぐらついた。  ……だが、不意打ちで、膝の辺りをどすんと衝撃が襲う。 「うおっ!」と声を上げてよろめきつつ膝のあたりを見てみると——……なんと、俺のパーカーをワンピースのように着込んだ、小さな子どもの姿があった。  ぎゅううう、と俺の膝に抱きついて、フードの中から涙目で俺を見上げているのは……小さい黒波だ。 「おっ、お前なんでこんなとこに……!? て、てか、またちっちゃくなってんじゃん!!」 「陽太郎! だれやねんこいつ!! おれいがいのやつにその身体をさわらせるな!」 「は!? な、何言ってんだよ……!」  慌てた俺は、べったりとくっついていた零士をどんと突き放し、ひょいと黒羽を抱き上げた。「うっ」と呻いて零士はよろめき、たたらを踏む。 「いってぇな……陽太郎、なに、そのガキ」  そして、剣呑な目つきでその一言だ。……どうやら鬼というのは常人にも見えるらしい。    俺の腕の中から零二を睨みつけている黒波のフードを引っ張って目深に被せ、俺は冷や汗を垂らしながら誤魔化した。 「しっ……し、親戚の子だよ、親戚の子!! そうそう俺、今日はこの子の面倒見ないとだから!!」 「はぁ? 大学にガキ連れてきてたってのか?」 「そ……そうだよ悪いかよ。じゃ、俺はこれで……!」  ぽかんとなっている零士にくるりと背を向け、俺は黒羽を抱っこしてダッシュでキャンパス内を駆け抜けた。

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