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12、安堵とぬくもり

 基本的に俺の部屋は寒い。真冬は電気毛布を使わないと眠れないほどの寒さなのだが……なんだか、今日は妙に布団の中があったかい気がする。 「ん……」  口の中がカラカラに乾いている。重い瞼をゆっくりと持ち上げてみると、視界に入ってくるのは見慣れた天井だ。俺の部屋の、ベッドの上だ。  ——あれ……俺、確か妖に……。  そうだ。俺は遠藤さんの浄霊の最中に現れた妖に見据えられただけで、動けなくなったんだ。怖くて怖くてたまらなかったけど、黒波が助けに来てくれて……。 「はっ……黒波……」  掠れた声で名前を呼ぶと、布団の中でなにかがもぞりと蠢いた。暗がりに目が慣れてくると、俺の隣で肘枕をして横たわっている金眼と間近で目が合い、仰天する。 「起きたか」 「うおっ!! 布団の中に……!」 「お前が寒そうやったから、暖を取らせてやろうと思ってな」  大人バージョンの黒波の脚が、俺の素足に絡みついてくる。俺より数段体温の高い黒波の肌は思いのほか滑らかで、さらりとした感触が素足から伝わり、ドキドキした。 「……って、素足? あれっ」 「ひどく汗をかいていたからな、脱がせた」 「はっ!? お、お前っ、勝手なことを……!」 「あかんかったか?」  ガバッと布団の中を確認してみると、一応Tシャツとパンツは身につけているようだ。怒りかけたけれど、寝汗をかいた俺の体調を慮って服を脱がせたわけだから……うん、これは善行……。 「あ……あかんことはない。……ありがと」 「まだ動かへんほうがええ。ずいぶん高い熱が出ていたようやし」 「え……まじで? どうりで身体、だるい……」 「ほら水や、飲み。じじいから渡された」 「うん……。……えっ? じじい……って、じいちゃんにバレたの!?」  今度こそがばりと布団から身を起こしたものの、ぐら……とひどいめまいに襲われてしまう。咄嗟のように起き上がった黒波が倒れ込みかけた俺の身体を受け止めて、背後から抱き込まれるような格好になる。 「まぁ、落ち着き。ほら、水」 「あ、ああ……うん」  渡されたペットボトルの水をごくごくごくと喉を鳴らして飲み下し、俺は大きく息を吐いた。乾いていた身体にミネラルウォーターが染み渡っていく心地良さで、生き返ったような気分になる。 「陽太郎のじじいの前で大立ち回りをしてしもたんやし、そらばれるやろ」 「そ、そうだけど……。黒波って、普通の人にも見えるんだな」 「そのようやな」 「で、で!? どうなったの? のんびりここで寝てるってことは、じいちゃんに追い出されなかったってことだろ!? うう……」  がば、と黒波を振り返り、勢い込んで喋ったせいで、またフラフラと血の気がひく。黒波はやれやれと言いたげに首を振り、「まあ落ち着け」と言って、改めて俺の肩を抱き寄せた。 「はじめは、俺を見て何や怒鳴り散らしとったけど」 「……想像に難くない」 「だが、陽太郎を助けたことに関しては、礼を言われた」 「えっ……そうなの?」  黒波いわく。  まず、じいちゃんが黒波に言ったことは、「もうちょっと人間らしい格好になれないのか」というものだったという。只人に見えてしまう以上、小粋な着流しと額のツノは目立ちすぎる。陽太郎が意識を失っているのだ、お前にも手伝ってもらいたいことがあるのだから化けるなりなんなり早くしろ——と、じいちゃんに急かされたのだとか。  なので、黒波は額のツノや鉤爪を隠してやったいう。 「今は……生えてるけど? ツノ」 「俺は化け狸ちゃう。けっこう気ぃ遣うねん、変化っちゅうもんは」 「そうなんだ……。で? どうなった?」  妖を退けるのに力を使ったことや、現世に不慣れなこともあって、黒波は着衣までは変えることができなかった。そこでじいちゃんは神職の装束を黒波に貸し、娘さんにかわって意識のない遠藤さんを車に運んだり、起きる気配のない俺をベッドに運んだりと肉体労働をこなしたらしい。  ついでに、妖と黒波が暴れたせいでしっちゃかめっちゃかになっていた本殿の片付けを命じられ、掃除の仕方を習い、ようやく解放されたのだと……。 「めちゃくちゃ働かされてんじゃん……。徳積みまくりじゃん」 「そう。一応、俺自身の身の上についても話をしておいたんや。……そしたら、徳を積みたいなら働けと。明日から色々仕事をさせてやると言われて」 「そ、そっか……」 「そして、じじいは囲碁がどうのこうのといって、出かけたぞ」 「ああ……じいちゃんの生き甲斐だからな」  俺は腕組みをした。  ——じいちゃんのやつ、黒波のことを追い払うどころか、働かせて功徳を積ませてやろうとするなんて……さすがというべきか、なんというべきか。  俺よりもずっと腕っ節の強そうな働き手が現れたものだから、これ幸いと喜んでいそうだな……と、俺はちらりと思った。 「器の大きな御仁だな。お前のじじいは」 「……御仁とじじいは並列できないと思う」 「なら、じじいでいいか」 「まぁ、いいんじゃない」  黒波にもたれかかっていると、あたたかくてなんだか落ち着く。そのせいで、俺はだんだん眠くなってきてしまっていた。襟元は大きく開いるため、俺の頬は黒波の素肌に触れている。鬼にも心臓があるらしく、どく、どく、と力強く拍動する音が聞こえてきて、それがまた俺の眠気を誘うのだ。 「あの妖……お前に覚えがあるようやったな」 「ああ……うん。子どもの頃な、一回襲われたことがあるんだよ」 「はっ!? なんやて!?」 「……まぁ、巣を荒らした俺も悪かったのかもだけど」  温もりに包まれる安堵感の中、俺はあの妖に襲われた時のことをぽつりぽつりと黒波に話した。明らかに、黒波が不機嫌になり始めている。 「気色悪い妖やな。すぐに喰らわず、触手で舐め回して楽しむとは」 「楽しんでたのかは知らないけど」 「陽太郎……よう今まで襲われへんかったな。結界か何か張ってたんか?」 「いや、何も……。俺、そういう器用そうなやつできないんだよね」 「……そうか」  黒波はなにごとかを考え込むように、片手を顎にあててしばらく黙り込んでいた。俺が大あくびを一つすると、我に返ったように俺を見下ろし、目を細める。 「お前ほどの霊気を持った子どもや。手元に置いておいて、腕を一本、脚を一本と、ゆっくり喰らうつもりやったんかもしれん」 「はぁ……!? うぇ、やめろよ気持ち悪りぃな!」  黒波を見上げて眉を顰めると、ぎゅ……と俺の背に回った腕に力がこもった。見上げた格好のまま抱きすくめられ、黒波の端整な顔が目の前で固定されてしまう。  妖を斬り裂いたときとはくらべものにならないほど優しい眼差しが、そこにはあった。思いがけない表情を目の当たりにして、心臓が大きく跳ねる。 「……お前に怪我がなくて、ほんまによかった」 「あ……うん」 「俺はお前を守ると誓ったんや。俺のそばを離れるな」  ややぎこちない動きで、頬に大きな手が添えられる。黒波の眼差しはあまりに真摯で、心の底から俺の身を案じている様子が伝わってくるような気がして……。  疑う余地さえ与えられないまま、俺はこくりと素直に頷いていた。 「うん……」 「よし。……それにじじいにも、陽太郎を守れと命じられているしな」 「えっ!? なんでそうなんの!?」 「陽太郎のことを深く心配しているようやった。……俺が本当に過去を悔いているのなら、命をかけてお前を守れと言われたぞ」 「い……命をかけて、って。じいちゃんもおおげさだなぁ……」 「あと、くれぐれも陽太郎に手を出すなと言われた」 「……」  俺の性的指向については理解してくれているようだが、さすがに鬼相手となるとじいちゃんも警戒するようだ。俺はため息をつき、黒波を見上げてちょっと笑った。 「ま、まぁ……じいちゃんも、黒波がここにいていいって認めてるってことだ。よかったよ」 「ああ、そうやな」  そう言って、黒波もまた、安堵したように微笑んだ。その優しい微笑みを目の当たりにして、また性懲りも無く俺の心臓はばくばくと暴れ始めている。  熱のせいで身体も顔もひどく熱い。普段の俺であれば、もっと冷静な思考と行動ができていたと思う。けれど今はなんだか、もっと黒波に触れて欲しかった。  鬼のくせに優しいことばかり言う黒波に絆されてしまったのかもしれない。黒波とて妖だけれど、俺は、この優しさを信じてみたかった。  俺はそっと腕を持ち上げ、黒波の頬に指先を触れた。ぴく、と驚いたように軽く見開かれた美しい金眼を見上げながら、俺は力の入らない目で黒波を見つめる。 「……助けてくれたお礼、しないとだな」     ◇ここまでお読みいただきありがとうございます!次話更新までまた数日お時間いただきます。

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