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第4話 ISC①
リハビリの結果は散々だと言わざるを得ない。
ケヴィンの恋人を名乗るミラン・アーキテクトについては、病院の売店にあるごく一般的なファッション雑誌が全てを教えてくれた。
666(スリーシックス)というロックバンドのボーカルであること、主に作詞を担当していること。バンド結成当初は長い間地下やインターネット上で個人活動していたが、クイーンズ・レコードにスカウトされファーストシングルを発売すると、それがオープニングに使われたドラマの注目度と相まって一気に人気を獲得し、今では若年層を中心に爆発的な人気を保持している。その儚げながら貧弱さとは無縁の独特の風貌も相まって今ではモデルやドラマにも出演し、活動の幅は音楽に留まらない。
言われてみればどこかで見たことがある、という程度の既視感をケヴィンは感じた。しかしそれが自分の恋人としての既視感なのか、有名さ故に一視聴者としての既視感なのかまでは区別することはできなかった。
666自体はミランともう一人、ドミトリ・カデシュというメンバーがいる。こちらはミランと対をなすような黒髪の男で、優しそうな目元は優しすぎて何処を見ているのかわからない。左頬に縦に並んだ黒子が印象的で、これが油性ペンで描かれたものでないなら、その見事な直線上の配置にファンがミランと同様、ドミトリの風貌に神秘的な何かを見出そうとするのは無理からぬことだった。
ミランは明け方に病室を出て行った。「最愛の恋人の意識が戻って安心した」恋人にしては淡白なほど呆気なく、ただ自分達は恋人だったという爆弾だけ落として、粉々になった病室を後にした。
「今冬のドラマの打ち合わせがあるから、もう行かなきゃならない。また来る」
そのドラマについても安価なファッション雑誌は網羅していた。元よりそのドラマの特集が組まれていたのだから当然のことでもあった。
既にワンシーズン放映済みの超常現象や都市伝説をモチーフにした人気ドラマのセカンドシーズンに666の二人がそれぞれ超常現象側で出演するらしい。
打ち合わせ自体はビデオミーティングで行われるため、警備の必要は無しと聞いている。
とはいえ打ち合わせ当日の明け方まで病室に居座って、睡眠不足で仕事に出向く方が問題ではないのかとケヴィンは思ったが、本人の振る舞いによる責任にまで口を出すつもりはなかった。
人通りの少ない病棟を雑誌を捲りながら歩いていると、上階へ向かうエレベーターホールのところに物々しいまでの黒服が二人立っている。
屋内だというのにつば付きの帽子を目深に被った男と、もう一人はあどけない表情をした女だった。さして小柄であるわけではないが、隣にいる男が二メートル以上あるせいでまるで少女のように見える。
「カタギリ」
少女のような唇が低いアルトの声でそう言った。
「キルヒャー」ケヴィンの口は考えるより先にその名前を呼んでいた。「誰かの見舞いか?」
「君の見舞いだよ。頭を打ってバカになったんだね、その割にまだ二本足で歩いているのは立派なことだけれど」
「四本足で歩くようになったら首輪つけて飼ってくれ」
「子犬はシーシャで十分だよ、弱い犬は餌の無駄だし、君は愛玩用にしても可愛くない」
「散歩は自分で行くし、粗相もしないが」
「私は可愛くもないのに撫でられようと寄ってくる犬が一番嫌い、分別がないからね」
エレベータが一階まで下りてくる。開いたドアの向こうに立っていた看護師二人はまず目の前に岸壁の如く聳え立つシーシャに怯え、その隣のキルヒャーを見つけると、おそらくはどこぞの令嬢と屈強な護衛と判断して途端に安心したようだった。
そそくさとすれ違って降りていった看護師たちと入れ違いに黒服二人と入院着のケヴィンが乗り込む。シーシャがいて窮屈だと思わないエレベータは世界を探してもそうはない。
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