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第17話 蓮香の過去

 蓮香は生まれも育ちも、T県だ。首都圏に比べれば田舎だが、そこそこ栄えた町で伸び伸びと育った。  両親は、兄弟で一番下の蓮香が十八歳になった時に円満離婚し、誰の世話にもならん、とそれぞれ遠方へ引っ越して行く。  県内の大学への進学が決まっていた蓮香は、大学の近くに引っ越した。家族という枠がなくなって自由の身になった蓮香は、勉強もバイトも大いに楽しむ。──もちろん恋愛も。  そして、学内で仲良くなったグループがあった。蓮香は時間が空けばそのグループの輪に入り、どうでもいい話をしたり、ただまったりと過ごしたりする。こんな風に、気を遣わない相手がいるのは初めてで、蓮香は特に、その中の芳川(よしかわ)という女性と仲良くなった。  彼女は社長令嬢と聞いていたけれど、全然そんな雰囲気を出すことはなく、むしろ蓮香と同じくバイトに勉強にと、一生懸命打ち込んでいた。素朴な顔立ちもあって恋愛方面はあまりだったけれど、ノリがよく、気を遣わない友人としてよく一緒にいて、つるむようになったのだ。  そして何より、蓮香とはゲームの話で盛り上がった。蓮香はかなりのゲーマーで、好きなシリーズの新作が出たら発売日に買い、二、三日は徹夜でプレイするのが常だった。それは芳川も同様で、よくゲームの攻略法を語り合って、情報交換をしていた。 「何か最近いいゲーム出ないね。蓮香は今何かやってる?」 「いや、スマホアプリばっかだなぁ」 「え、どれ?」 「ん、これとか?」  芳川が蓮香のスマホを覗き込む。二人で肩を並べて、一つのスマホを見るのに密着するけれど、蓮香はもちろん、芳川もお互いに恋愛感情を持つことはなかった。  男女の友情って成り立つんだな、なんて思って、蓮香は彼女のカバンに、タバコが入っていることに気付く。 「あれ? お前タバコ吸ったっけ?」 「ん? 吸わないよー? ああ、これ? 先輩が吸ってたから」  芳川はカバンの中の青い箱を、蓮香に見せるように出して、またポイと戻す。先輩とは、仲良しグループの一人だ。芳川は、あからさまに態度を変えるタイプじゃないけれど、グループでいればその先輩のそばから離れない。分かりやすいな、と蓮香は思う。  するとふふっ、と彼女が笑った。 「先輩、私のベッドにこれ、忘れてやんの」  彼女いるのにね、と笑う芳川に、蓮香はこの時初めて彼女の言動に違和感を持つ。 「それバレたらやばいんじゃ……」 「先輩は、私といる方が楽しいって言ってるよ?」  そう言って、芳川はニコリと笑った。荒れた肌をポリポリと搔き、爪に入った垢を丁寧に取っている。不潔感漂うその仕草に、蓮香はそっと身を引いた。 「先輩ああ見えて結構変態だよ? 手のひら器にして、『ここにおしっこ出して』とか言うし」 「……止めろよそんな話」 「だよねー! 変態過ぎて引くわー」  そういうことじゃない、と蓮香はうんざりする。誰が好き好んで、身近な人のセックス事情を聞かなきゃならないんだ、とこの場から逃げたくなった。  すると、遠くに件の先輩が見え、こちらにやってくる。 「あー、先輩も休講になった感じですかー?」 「おー、今日の講義この後丸つぶれ」  そう言って、先輩は蓮香の隣に座る。当然芳川は不満顔だ。 「ちょっと先輩、座るならこっちでしょ?」 「は? 何でだよ」 「あ、そういうこと言う? せっかくジュース奢ってあげようと思ってたのに」  芳川は立ち上がり、先輩の隣に座った。そしてその後は蓮香の存在を忘れたかのように、先輩と話し始めたので、帰って一人でゲームでもするか、と席を立つ。 「先輩、俺先に帰ります」 「おー、気を付けて」 「でさー、この間店で見つけたこのアクセサリー、先輩が探してたやつじゃない?」  すっかり話に夢中な芳川は、綺麗に蓮香を無視して話している。背中越しに先輩の、「よく見つけたよな!」と感嘆する声が聞こえて、ため息をついた。  ゲームの話はとても趣味が合うのに、恋愛が絡むと全く話が合わないと、この時の蓮香は気付かなかった。ただ刹那的に、今が楽しければいいとそのグループから離れず、仲間とダラダラ過ごす日々。芳川も、変わらずゲームとバイトにいそしんでいて、すっかり先輩とのことを忘れた時。 「あれ? 最近先輩来ないな」  蓮香がいつもグループが集まっている場所に来ると、いつもの面々が迎えてくれる。しかしその中に先輩がいないことに気付き、仲間に聞いてみた。 「ほんとだ。就活でもしてんじゃない?」  答えたのは芳川だ。確かに、先輩は三年生だったし、早めの就活をしていると聞かされても、違和感はなかった。けれど、蓮香は別のところに違和感を持つ。 「芳川、先輩のこと気に入ってたじゃん。今何してるか聞いてないのか?」 「……うっさいなぁ!」  彼女は突然大声を上げる。その場にいた面々が驚いて彼女を見ると、芳川は泣いていた。 「どうした芳川?」 「なに? 先輩と何かあった?」  普段からノリのいい芳川の、突然の涙に仲間は心配し、みんなが声を掛ける。すると、耐えられなくなったのか、芳川は仲間の一人の女の子に抱き着いて心情を吐露した。 「振られたの、彼女がいるからって。私、初めて本気で好きになったひとだったのに……!」 「そっかそっか、辛かったねぇ……」  仲間たちは芳川の言葉に同情し、彼女を慰めている。ガッツリ浮気していたのを知っていた蓮香は、さめざめと泣く彼女に違和感しかなく、むしろ気持ち悪ささえ覚えた。  そこで気付く。先輩と身体の関係を持っていたことを知るのは、自分だけなんじゃないかと。そうじゃなければ、芳川は非難されて当然の行為をしているのに、みんながみんな、彼女に同情的になるはずがない、と。 「あ、俺用事思い出したから行くわ」 「あ、それなら私ももう帰るから、途中まで一緒に行こう?」  ぐす、と鼻を啜った芳川が、一緒に行くと言い出し、蓮香は返答に困った。表では同情を誘い、裏では恋人がいても手を出す行為をしているひととは、これ以上付き合いたくないと思ったのだ。 「大丈夫? 愚痴ならいつでも聞くからね!」 「うんありがと」  そう言って笑った彼女の顔は、歪んでいた。反射的に怖いと感じ、先に歩き出すと「待ってよ」と芳川は追いかけてくる。 「……先輩とは、浮気関係じゃなかったのかよ」 「ひどい蓮香、私は本気で先輩のこと好きだったよ? 嫌いなタバコ我慢して、彼好みの子になってたのに、いきなり関係を切るって言ってきたんだもん」  それはそうなるだろう、と蓮香は思ったが、口には出さずに黙っておいた。しかし顔に出ていたらしい、芳川はスマホを出すと、画面を見せてくる。  それは、明らかに先輩と芳川の関係を匂わすような写真だった。先輩は寝ていたけれど、お互い裸で一緒にベッドに寝ていれば、何があったかは安易に想像できる。 「これだけじゃないよ、写真は。先輩の恥ずかしい性癖、みんなに知られたらどうなるんだろうね?」  蓮香は何も言えなかった。だから先輩は何も言わずにグループを離れたのか、と背筋が寒くなる。  そして、最後までハッキリ言わない芳川の言葉にも、彼女の恐ろしさが滲んでいた。言葉の先を想像させて、相手をコントロールしようとするのか、と先輩に同情する。  こういう言い方は、慣れていないと上手いコントロールができない。そして芳川は、蓮香を見上げて笑って言うのだ。 「蓮香は、ずっと友達でいてくれるよね?」  とんでもないひとと知り合ってしまった、と蓮香は思った。

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