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第16話 無自覚の好意

 蓮香に電話をしようと思っていたけれど、結局できずに、挨拶回りの出張は終わった。  筧から聞いた話によると、蓮香は新婚のうちに妻を亡くしたらしい。二つ上の、同じ支社の先輩だったそうだ。  一体、どんな顔をして蓮香に会えばいいのか分からなくなった。過去ごと受け入れるとか言っておきながら、亡くなった妻の代わりに祐輔を抱いているのではと思ったら、全身が痒くなって蕁麻疹が出てしまった。  どうか、そんなことはないと言って欲しい、と祐輔は思いながら、蓮香がいるであろう自宅の玄関ドアを開ける。 「祐輔さんっ」  気付いた蓮香が足音を立ててこちらにやって来た。そして姿を見るなり抱き着いてくる彼に、少しだけホッとする。 「……ただいま、貴徳(たかのり)」 「会いたかった……」  そう呟いてぎゅうぎゅう抱き締めてくる蓮香の背中を、祐輔は優しく叩いた。大丈夫、蓮香は自分を好いていてくれる、そう言い聞かせる。 「こら、中に入らせてくれ」  そう言うと、蓮香は祐輔に抱きついたまま、部屋の中へと招き入れた。出張前までは、そんな行動が少し鬱陶しいと思っていたのに、今は安心する。  明日は土曜で休みだ。だから話すなら今のうちが良いだろう。そう思うけれど、魔法でも掛かったかのように口が重い。 「あれ、祐輔さん……首痒いですか?」 「ん? ……ああ、疲れが出たんだろうって。薬もあるし、大丈夫だよ」  首筋にキスをしようとしていた蓮香が、祐輔の蕁麻疹に気付いた。それで祐輔は、腹を括るしかない、と口を開く。 「蓮香……お前、結婚してたんだな」  びく、と蓮香の身体が大きく震えた。祐輔は蓮香の身体に腕を回すことができずに、そのまま続ける。 「何? 俺は亡くなった奥さんの身代わりか?」 「違う! そんなんじゃない!」  ギュッと、蓮香の腕に力が込められた。ではどうして自分なんだ、という言葉が言えずに、祐輔は縋り付くような蓮香の抱擁を受け入れる。 「誰から聞いたんですか……?」 「お前が元いた支社の、神谷さん。それと、筧部長からも……」  はあ、と蓮香から大きなため息が漏れた。そして、肩口に顔をうずめた彼はいやいやと首を振る。 「違います……本当にそんなんじゃない」 「……でもさすがに、一生を共にしようとしたひとには、俺は勝てないよ。過去ごとお前を受け入れるとか言ったけど、体調崩すまで大事なひとがいたと思ったら……」 「違うんです祐輔さん! 本当に……!」  蓮香は祐輔の両肩を持って、顔を覗き込んできた。やはり縋るようにこちらを見てくる蓮香の顔が、急に滲む。 「お前の過去を知って、お前の一番になりたかったって気付いた。……本当に今更だけど」  滲んだ視界が限界を超えて、水滴になって落ちた。  最初に身代わりじゃないかと気付いた時は、本当に関心がなかったのだ。けれど、いつの間にか、祐輔の中で蓮香は大きな存在になっていたらしい。  だって初めて、自分の性癖に引かなかったひとだったから。蓮香に触れられて気持ちよかったのも、拒めなかったのも、初めから素の自分を見られていたから。  蓮香との関係が終わったら今後、祐輔を受け入れてくれるひとは現れるのか? そう考えるのが怖かった。 「祐輔さん……っ」  蓮香は祐輔を再びキツく抱き締める。震える声で違うんです、とまた呟いている。 「何が違うんだ? だって、奥さん亡くしたショックで……」 「そうです。だけど違うんです。ああもう、祐輔さんかわいい……」  何がそうで、何が違うのか。祐輔には分からないまま口付けをされ、流されないぞと顔を背けた。 「こうなったら全部白状します。けど、まだ冷静には話せないかもしれません。いいですか?」  だから、俺に遠慮して別れるとか考えないで下さい、と蓮香は言う。 「祐輔さんに振られたら、今度こそ俺、立ち直れない……」 「……分かった」  祐輔は返事をすると、蓮香から解放された。何だかいつもと立場が逆だな、なんて考えて、とりあえず出張の荷物をあらかた片付け、お土産を渡した。  すると、蓮香が寝るだけの状態にして話したいと言うので、二人で狭い風呂に入る。二人で裸になるのは初めてじゃないのに妙に緊張して、出ていた蕁麻疹がさらに痒くなってしまった。  祐輔は温まると痒くなるから、と早々に風呂を出て薬を塗り、パジャマ代わりのスウェットを着てベッドで蓮香を待つ。相手を待つ間、ソワソワと落ち着かないのは初めてで、そう言えば、今までも蓮香が帰ってくるのを、聞き耳を立てて待っていたな、と気付く。  そして今まで、自分の気持ちにどれだけ鈍感だったのか、改めて気付かされた。割と早い段階で、蓮香のことを気にしていたのか、と顔が熱くなる。 「祐輔さん……」  しばらくして、スマホを見ていたら蓮香がやって来た。狭いのにシングルベッドに並んで入り、帰ってきた時のように抱き着いてくる。 「……奥さんは、どんなひとだったんだ?」  沈黙が嫌で、祐輔はすぐに本題を切り込んだ。蓮香は祐輔の頬を撫でて、目を細める。  この手が、この視線が、自分だけに向けられたものだったらよかったのに、と自分の嫉妬深さにたった今初めて気付いたのも恥ずかしい。 「……祐輔さんみたいなひとでした」 「……っ、お前、やっぱり俺のこと……!」 「違います! 本当に違うから。信じてください」  お願いです、と額にキスをされ、祐輔は大人しく彼の話を聞くことにした。 「まず、俺実は女性が苦手なんです。それこそ、体調が悪くなるくらい。だから、祐輔さん以外を好きになることはありません」  そして、そこまで女性が苦手になったのは、元奥さんとのできごとがきっかけでした、と蓮香は言う。  そこで祐輔は、蓮香の言動の矛盾に納得した。そして、自分が蓮香にとって酷な指示を出していたことにも気付く。  鶴田と外出した日はいつも元気がなかったし、女性社員からもらったお菓子は食べなかった。できれば極力女性を避けていたようだったのに、どうしてそれに気付かなかったのだろう? 「祐輔さんと仕事をするためです。ここに来たのも、全部」 「でも、お前ゲイなのか? って聞いたら答えなかったじゃないか」  祐輔はそう言うと、蓮香は苦笑する。 「祐輔さん以外に男性を好きになったことはないし、それまでは女性が好きでしたから」  まだ話す覚悟もできていなかった、と言われて、祐輔はそこでやっと蓮香の腰に腕を回した。  なるほど、彼は女性が苦手になって男性を好きになったタイプなのか、と祐輔は思う。そしてその好きになった男性も、祐輔しかいないと言われて少し照れた。 「……長くなりますが、聞いてくれますか?」 「ああ。でも無理はするなよ?」  祐輔の言葉にこくん、と頷いた蓮香は、ぽつりぽつりと話し始めた。

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