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第15話 揺らぎ

 そして祐輔は、筧と一週間の挨拶回りの出張に出た。  このタイミングで、蓮香が元いた支社に行けることは、やはり自分と蓮香の巡り合わせは、科学で証明できない縁があったのでは、と思ってしまう。  北は北海道から南は九州まで、全十五箇所を回った。支社に着いたら挨拶を交わし、仕事上で困ったことはないか、相談に乗る。驚いたのは、支社の総務は二人、ないし三人で、それでよく仕事が回っているな、と思ったのだ。  人数が少ないから、と支社の社員は言っていたけれど、人事に労務関係、給与計算に事務所の管理、その他もろもろをその人数でやっていたなんて信じられない、と祐輔は尊敬する。どうりで、筧がちょくちょく支社に行くわけだ、と納得した。彼はずっと、支社の社員のフォローしながらやってきたのだろう。  そして今日は、蓮香がいたT県の支社へ行く日だ。ビジネスホテルから電車を乗り継いで行く道中、祐輔は思い切って筧に尋ねてみる。 「筧部長。今日は蓮香さんが元いた支社に行きますけど……」 「ああ、そうだな」 「どんな雰囲気なんですか?」  ん? と筧は笑った。まるで祐輔が何を聞きたいか、分かっているかのようで、みんな家族や兄弟みたいに仲がいいメンバーだよ、と返してくる。  少なくとも社内ではいい雰囲気で、仕事はしやすそうだったらしい。ではなぜ、とやはり疑問は解けない。 「部長、蓮香さんのこと、教えてください」  祐輔は筧を真っ直ぐに見た。その眼差しに筧も、祐輔が中途半端な気持ちで聞いている訳じゃないと悟ってくれて、彼は眉を下げて笑う。 「やっぱり、お前らはいい相棒になったんだろうに。異動で引き離さざるを得なくなって、悔しいな」  やはり筧は祐輔と蓮香に、並々ならぬ情を注いでいたようだ。ありがたいと思いつつ、蓮香が休職していたことを、データで見たと話してみる。 「そこまで分かってるなら、本人に聞けば早いだろうに」 「はい。けれど彼は、……蓮香さんにはまだ話す準備ができていないようで……」 「ああ……」  筧は祐輔の言葉に納得したようだった。 一体何が、蓮香を苦しめているのかを知りたい。そう言うと、筧は驚いたように祐輔を見る。 「ちょっと待て、もう元気になったって本人が言ってたぞ……」 「え? そうなんですか?」  祐輔の前では、元気な姿などあまり見せていない。そう言えば、会社では普通に過ごしているのに、家に帰ると不安定で泣き虫で我儘なのだ。そして筧は、そんな蓮香の状態を知らないという。  祐輔は家が近所で、時々ご飯を一緒に食べる仲だと話したら、桃澤には素を出しているのかな、と呟いていた。少し嘘を吐いてごめんなさい、と祐輔は心の中で筧に謝る。 「俺が余計な事言って呼び寄せちゃったからかなぁ……」  筧が項垂れた。彼が言うには、祐輔に憧れていると知っていた筧は、祐輔と一緒に働いてみるのはどうだ、と休職していた蓮香に提案したらしい。  蓮香は二つ返事でその提案に飛び付いて来たという。しかしまだ、休んでいた方が良かったのでは、と筧は言った。 「蓮香の休職の理由は、体調を崩したからなんだ」 「ええ。それは何となく察してます」  もしかしたら、本当に身体的な病気に(かか)っているのかもしれないけれど、多分、……恐らく蓮香の体調不良は、精神的なものだと祐輔は予想する。  そう考えたら、今すぐ蓮香の元へ行って抱き締めたくなった。祐輔の家に泊まりたいと言っていたのも、祐輔を感じられる空間にいないと、自分を保てないのだとしたら。合鍵を渡して来たけれど、それを大事そうに握った蓮香の、嬉しそうな顔を思い出して、胸が締め付けられた。 「おっと、もう降りるぞ。続きは、また後で」 「はい……」  筧に促され、目的の駅で電車を降りると、出張が始まって初めて、挨拶回りが早く終わらないかな、と思う。そして、後で蓮香に電話をしてみようとも。 ◇◇  支社に到着すると、早速筧はここぞとばかりに承認の印を押す羽目になっていた。普通なら本社総務部の承認を得る手間があるけど、これで省ける、と支社の総務担当は喜んでいる。 「それで? そこの若い子が新しい本社の総務課長?」 「いや、人事課長の桃澤くんだ。しばらくは新卒担当だけやってもらうが、そのうち中途も任せようと思ってる」  筧の言葉に、最初はふーん、と言っていた担当社員は女性で、筧と同じくらいの歳の見た目をしていた。元気そうなその見た目は性格も表しているらしく、筧にも容赦なく意見をいい、けれど常に笑顔なので嫌味にならない、ちゃきちゃきの肝っ玉母ちゃんのような感じだ。 「……ん? 桃澤? 桃澤くんって、蓮香くんが大好きな、あの桃澤くん?」  そう言われて事務所の視線が急に集まった気がして、祐輔は気まずくなって視線を泳がせる。どうやら蓮香が祐輔に憧れていたという話は、ここでは有名らしい。 「あら、あらあらあら! イケメンねぇ!」  そう言いながら女性社員──肝っ玉母ちゃんはバシバシと祐輔の背中を叩いた。 「神谷(かみや)さん、そんなに叩いたら痛いですよ」  筧がフォローしてくれる。肝っ玉母ちゃんは神谷と言うらしい。筧が先程言っていた、家族みたいに仲がいい、というのはあながち間違いじゃなさそうだ。 「そーう、あなたが桃澤くん。優しそうな子ねぇ」 「はぁ……」  神谷の勢いに押されて、祐輔は一言も発せられずにいると、彼女から蓮香くんは元気にしてる? と聞かれる。そんな彼女の表情は、息子を心配するような、慈しみに満ちたものだ。 「蓮香は……元気ですよ」  そんな神谷を心配させまいと思い、祐輔は微笑んでそう言う。すると神谷は目元を赤くして、よかった、と心底安心したように呟いた。 「本当によかった……新婚だったのにあんなことになって、見てられなかったから……」  涙ぐむ神谷の言葉に、祐輔は思考が停止してしまう。 「……え、新婚……? 蓮香、結婚してたんですか?」  何とか紡いだ言葉に、筧も苦笑していた。それで神谷の言葉が、事実だと悟る。  まさか自分より五つも若い部下が、既婚者だったとは。そう思うのと同時に、嫌な予感が一気に思考を支配した。  蓮香が、誰かの身代わりを祐輔に求めているのでは、という仮定。それが本当にその通りなのかもしれない、という予感。  無理だ、と思ってしまった。  どう足掻いても、一生を共にしようと決めた程の女性の代わりなんて、祐輔にはできない。あんなに熱い視線で祐輔を見ていたのに、彼は祐輔の向こうに妻を見ていたなんて、思いたくなかった。  そう思って、自分が本気で蓮香を好きになっていたことに気付く。自分に甘えてくるかわいい蓮香も、ちょっとした事で嫉妬して怒る面倒臭い蓮香も、メソメソ情けなく泣く蓮香も、全部かわいいと思っていたのに。  今まで自分の中に、盛り上がる気持ちはないと思っていた。なのに、きちんと自分の中にもあったんだと、こんな形で自覚させられるとは。  筧が祐輔の肩をポンと叩く。 「……今のは、オフレコな」 「…………はい」  そう返事をするのが、精一杯だった。

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