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第14話 言えない過去
「え、各支社に挨拶に行くんですか?」
「そう。顔も分からない相手とやり取りするより、知っていた方がスムーズにいくだろう?」
ある日、会社の食堂で昼食を食べていると、筧に一緒にいいかと声を掛けられ、話の流れでこの話題になった。筧が時折支社に行っていることは知っていたけれど、わざわざ挨拶に行くのか面倒だな、と少し思ってしまう。
「確かに、支社の採用は支社で任せているけど、承認の判子を押すからにはな」
それに、と筧は声を潜める。
「各地の美人にも会えるぞ。桃澤もいい歳だろ?」
「……はぁ、実はあまり結婚には興味がなくて……」
筧が珍しく下世話な話をするな、と思ったら彼はやっぱり、と呟いていた。どうやらわざとだったらしい。
彼氏彼女の関係なら大いに興味はあるけれど、祐輔はなぜか結婚にはそんなに興味がないのだ。それに、今は色んな意味で蓮香のことが気になるし、と祐輔は心の中だけで思う。
「いやな、今は結婚せずともいい暮らしができるしな。本当に、結婚するなら、相手は慎重に慎重を重ねて選べよ……!」
力のこもった筧の言葉に、祐輔は苦笑した。筧のプライベートはあまり話したことがないけれど、どうやら思うところは沢山あるらしい。
「筧部長は、結婚して後悔したクチですか?」
「……桃澤。それはな、言ってはいけないやつだ」
そう言うなり頭を抱えてしまった筧。仕事ができる筧の意外な一面を見て、祐輔は少し微笑ましくなった。筧には頭が上がらないひとがいるようだ。
すると、近くで話が盛り上がっている一角があった。男性社員の集まりで、どうやら最後のお菓子を誰が貰うかジャンケンをしていたらしい。そこには蓮香もいた。
(さっきはいらないですとか言ってたのに……)
楽しそうに笑う蓮香は早々に負けたようだ、ジャンケンの行方を、貰ったお菓子を食べながら見守っている。
すると女性社員が、そこに割って入っていった。良かったらこれもどうぞ、と聞こえてきて、そこにいた面々は益々賑やかになる。
(……ん?)
祐輔は蓮香を見ていてその表情に引っかかった。蓮香は女性社員が見せたお菓子には、興味が無さそうに視線を逸らし、口に含んだお菓子を咀嚼している。そして、女性社員がそれぞれにお菓子を渡し始めると、ゴミを捨てるために、席を外したのだ。
「あれ、蓮香さんいらないです?」
女性社員がそう聞くと、蓮香は「お腹いっぱいなんで」と笑って答えた。営業スマイルだ。
(甘いものは嫌いじゃないって言ってたよな。今食べてたし)
注意深く見ていないと、あまりにも自然で見逃してしまう、蓮香の営業スマイル。相手が誰で、どんな時に出るのか、祐輔は観察してみようと思った。
◇◇
その日の夜、夕食を食べ終えて寛いでいると、蓮香の車が駐車場に入る音がした。そして、真っ直ぐ足音がこちらに近付いてくるのが分かり、玄関まで迎えに行く。
なんかこれ、恋人っぽいな、と思いながらドアを開けると、やはり疲れた顔の蓮香がいた。
「……お疲れ」
「…………お疲れ様です……」
余程疲れたのか、声にも覇気がない。祐輔は彼を中に招き入れると、早速蓮香は抱きついてきた。
「どうした?」
「充電させて下さい……」
今日は午後から外出していたらしい。客に会うのは気を遣うし、疲れるよな、と背中をポンポンと叩くと、蓮香は祐輔の首元に顔をうずめて、すんすんと匂いを嗅いでいる。
「なぁ、蓮香」
祐輔はそのままの体勢で、来週一週間、全支社に挨拶回りに行くことを伝えると、え? と彼は顔を上げた。
「一週間も祐輔さんに会えないんですか?」
「そうなるな」
「嫌だ……俺、祐輔さんがいないと……」
「そう言われても、仕事だし……」
「じゃあ、……じゃあせめて、その間ここに泊まらせて下さい」
案の定寂しがった蓮香だが、大の大人が言うには子供っぽすぎる我儘だ。そして、それを言う蓮香の表情から読み取れるのは、やはり不安だ。
どうしてここまで、祐輔に執着しているのだろう? そして、彼は祐輔が離れていくのを、極端に恐れている。
「……蓮香、とりあえず中に入ろう」
一般的に不安定な人とは、ある程度の距離を意識的に保たなければ、自分も潰れてしまうという。けれど祐輔は、今蓮香と距離を置く仕草を少しでも見せれば、彼はとんでもないことを起こしそうな、そんな危うさがあるように思えてならない。
(具体的に言えば、失踪か自死してしまいそうな……)
そこで蓮香が休職していたことにも納得がいく。それ程の傷を負う出来事が、彼の過去にあったのだ。そしてその傷を癒すために、祐輔に助けを求めている。誰かの身代わりにしていると感じるのもそのせいだろうか。けれどなぜ? どうして自分に?
俺は医者じゃないぞ、と思いながら、祐輔はとりあえず中へ蓮香を連れて行った。まずは食え、と用意していた晩御飯をテーブルに並べると、大人しく食べ始めたので安心する。
「蓮香、出張の間、ここを使っていいから。だからお前がどうして俺に執着するのか、教えて欲しい」
祐輔がそう言うと、蓮香の手が止まった。そして苦笑した彼を見て、失敗したと思う。ストレートに聞いても、彼は答えてくれないようだ。
「言ったじゃないですか。元々祐輔さんに憧れてたって」
無理やり人の体を拓かせておいて、自分のことは話さないなんて、なんて自分勝手な奴だ、と思う。けれどサッと箸と茶碗を置いた蓮香の手が、膝の上でギュッと握られたのを見て、違う、と感じた。
(自分勝手なんかじゃない。……言えないのか)
蓮香の手が僅かに震えている。負った傷が深すぎて、思い出すだけで手が震えてしまう程なのだ。
そしてそれを知った祐輔は強く、蓮香の過去に何があったのかを知りたいと思う。そして、俺がいるからもう大丈夫、と慰めてやりたい気持ちでいっぱいになるのだ。
なぜだろうとは思うけれど、これはもう、蓮香のことが好きだと言ってもいいのではないだろうか。
正直、ドキドキはしないし、相手の言動に一喜一憂したりもしない。世間一般でいう恋ではないのかもしれないけれど、蓮香を大事にしたい、守りたいという気持ちは大いにある。初めての感覚で戸惑っているけれど、嫌な気持ちではない。
「蓮香……」
祐輔はできるだけ穏やかに声を掛けると、彼は眉を下げてこちらを見てきた。大型犬がしょんぼりしているようで、かわいいな、と祐輔は肩の力を抜いて笑う。
「俺、お前が好きだよ。だから大丈夫、いなくなったりしない」
そんなに不安がるな、と頭を撫でたら、蓮香は声を上げて泣いてしまった。情けなく泣く蓮香がかわいくて、守ってやりたくて、横からそっと抱き締める。
「祐輔さん……! 俺……俺……っ!」
「うん、大丈夫。……大丈夫だ」
俺が過去ごと、貴徳 を受け入れてやる、と祐輔は言った。蓮香の止まらない涙を袖で拭ってやり、宥めるようにキスをする。
名前呼び、嬉しいと蓮香はまた泣いた。お前が話す準備ができるまで待つから、と言うと、蓮香はごめんなさい、とありがとうを、壊れたおもちゃのように繰り返す。
「祐輔さん、好きです……っ」
「うん。分かってる」
蓮香の硬めの髪を撫でながら、祐輔は思う。彼が話せないなら、こちらである程度調べられないか、と。
蓮香の温もりを感じながら、祐輔はよし、と心に決めた。
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