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第13話 異動
結局あれから、土曜日は蓮香に抱き潰され、日曜も二人でベッドの上で過ごすことになり、蓮香の家の片付けはできずじまいになった。
そしてそれから一週間半経った頃、大々的な人事異動が行われる。
祐輔は事前に知らされていたからいいものの、それを知った蓮香が子供のようにイヤイヤと言って、家でも更に離れなくなったことには閉口した。
笹川も鶴田とのこともあって、何かしら対策がなされるかと思いきや、筧から聞いた通り、鶴田の昇進のみだった。
引き継いだ筧のパソコンから査定評価を覗いたら、意外にも笹川の成績はいいことが判明する。性格的にも彼は営業向きだし、異動させるのは難しいと判断したのか、と祐輔は納得する。
(鶴田さんは主任になったけど……それだけで笹川さんが絡むのを止めるとは思えないしなぁ)
社員の働きやすい環境をつくるのが総務部とはいえ、やはり全員の希望は聞けない。
(蓮香だって……)
そういえば支社にいた頃の蓮香の評価はどうだったのだろう? と祐輔はデータを探す。エリアマネージャーをしていたらしいし、筧は蓮香を買っていると言っていたから、成績はいいはずだと思ったのだ。
(……あれ?)
しかし直近一年間、二回分の査定評価がない。どういうことだ、と遡ってみると、それ以前は確かにあり、成績もやはりよかった。
査定評価が出ていないということは、ボーナスが出ていない、ということだ。その理由を考え、出てきた答えを確認するために他のデータを探す。
(職権乱用だな……)
本社の総務部は、支社の総務の統括部署であるため、査定評価を支社と連携して付けている。なのでそれに付随する給与や労務関係のデータも、筧が使っていたパソコンなら全て見ることができるのだ。
そして祐輔の読み通り、蓮香が査定を受けていない一年間、彼は休職していたことが分かる。でもなぜ?
「佐々木さん」
祐輔は近くに座る佐々木に声を掛けた。彼は全支社の労務管理を担当する係長で、筧から「仕事は早くて正確だが、とにかく暗い!」と言われていた人物だ。
「蓮香さんが本社に来た理由、知ってたりします?」
「……さあ。私には関係ありませんから」
長めの前髪がそうさせるのか、鬱々とした雰囲気を醸し出している佐々木は、こちらを見もせずに答える。彼が言ったことはもっともなので、祐輔はそれ以上話しかけずに、蓮香の他のデータを探した。
蓮香貴徳 、二十五歳。入社当時はT県の支社に営業として配属。
(大学がT県か……お母さんがこっちにいたから、地元はこっちなのか?)
その年の新卒採用は全社で十名。蓮香と同じ支社に入社したのは、女子社員一名。あとはそれぞれ別の場所に配属になっており、本社配属の社員はいない。
(もしかしたら、そのうち本社に来る蓮香の同期がいるかもな)
そう思いながら、祐輔はそこで蓮香のリサーチを止める。来年度の新卒も若干名、入社があるようだし、再来年度の新卒に向けて学生へアピールして行かなければ。そう思ったら、新卒採用のピークを過ぎた後の異動はタイミング良かったなと思う。
ちなみに、中途採用は筧に任せることにした。祐輔はまだ若く、学生受けもいいだろうからと言われれば、頷くしかない。しかしそのうちに、中途採用も仕事になるのだろうとは思う。
しばらくは筧に付いて、仕事を覚えていくことになるけれど、同じ総務部の庶務課課長もいるし、不安はあまりない。いきなり課長としての配属も、筧の根回しがあったようで反発もなかったし、恵まれた環境に感謝する。
(置かれた場所で咲くしかないしな)
そう思って、はた、と気付いた。
蓮香も、祐輔の指示だからと言っていたな、と。指示じゃなければ放っておく、とも。
祐輔の前ではわがまま甘えん坊な蓮香だが、仕事上ではやることはやる。一点集中だけど、気が付けばフォローをする優しさもある。笹川の態度にイラつく姿も見せた。
「……」
祐輔は、どうもそこに蓮香の言動の矛盾を感じて仕方がない。鶴田が祐輔のことを好きだとしても、蓮香は祐輔の指示だから鶴田を忠実に守っているだけ……本当にそれだけだろうか?
やめやめ、と祐輔は思考を切り替える。最近、気が付けば蓮香のことを考えているので、それだけ気になってはいるのだろう。ただ、それが恋愛感情かは別だ。
(恋愛ってこう……もっと『好きだー!』って盛り上がるもんじゃないのか?)
自慢じゃないが、祐輔が今まで付き合ってきた女性は、全て相手からの告白から始まった。可愛くて柔らかい彼女の手を繋いだりしたら、ドキドキもした。
相手を思うと胸の辺りが温かくなる感情は、間違いなく『好き』だと思っていたのに、祐輔の性癖を知って離れていく女性を見て、スっと心が冷めるのは本当に『恋愛』だったのだろうか、と思う。
しかし、蓮香に対してはそれすらない。けれど気が付いたら彼のことを考えている。
(そりゃ、キスされたりアレコレ触られたら、勃つけどな……)
いい大人だから、身体から始まる関係なんてとんでもない、とか純情ぶったことは言わない。むしろ性癖を言えないでいた祐輔にとって、そこを突破した関係は貴重だ。
(ああもう、分かった)
また蓮香のことを考えていることに気付き、祐輔は心の中で両手を挙げた。こんな風に考えてしまうことも、身体の関係を拒めないことも、蓮香のことが好きだからだと仮定しよう。
すると、遠くの視界の中に件の彼が入ってきた。総務部に何の用だと思っていたら、社用車を借りに来たらしい。
対応した若い女性社員が「外出ならおやつにどうぞ」なんて言って、個包装のお菓子を渡していた。その女性社員と別れると、蓮香は真っ直ぐこちらにやって来る。
「お疲れ様です、桃澤課長」
にこやかに言いながら、蓮香はそっと、今しがたもらったお菓子を祐輔のデスクに置いたのだ。
「何? 甘いの嫌いでしたか?」
「嫌いじゃないですけど、いらないです。……どうですか? 人事の仕事は」
さらりと言って、話題を逸らした蓮香。あまりにも自然でスルーしそうになり、祐輔は視線だけで蓮香を咎める。
「いらないなら、その場で断ればいいじゃないですか」
「……面倒なんで」
そう言って、にこりと微笑んだ蓮香が何だか別人に見えた。それは、鶴田のことを放っておくと言い放った時の頑なさに似ていて、時折見せるこの態度は一体何が原因なのだろう、と祐輔は思う。
そして、それが発現する条件は何なのだろう? と笑顔で去っていった蓮香を眺めながら思った。
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