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第1話

 約束だ。  次に生まれてくる時には必ずまた巡り会おう――。 第一章   中原(ちゅうげん)のやや西寄りに古い国があった。名を尚国(しょうこく)という。勃興して千有余年、数々の争いはあったものの、今は戦もなくすこぶる穏やかだ。どれくらい穏やかかというと、国の王太子が城の外にある廟に従者をたった一人だけ連れて参拝にやってくるくらいで、まさに呆れんばかりの穏やかさだった。  今日も王太子リーレンは、従者のフェイ一人を伴って王都碧宿(へきしゅく)の城から少し離れた丘に立つ廟を訪れていた。  空は快晴、雲一つない。高く澄んだ青空を眺めつつ馬に揺られて城を出たリーレンは、やや古びた廟に参拝して線香と供物を奉納した。別に願掛けをするようなこともないリーレンの目的はただ一つ。この廟に祀られている武神月牙(げつが)将軍とその供である神獣白虎の神像を見ることだ。  天界を追われて久しい月牙将軍の廟は城の中にはもう一つもなく、丘の外れにあるここが尚で唯一残された廟だった。その月牙廟にリーレンはほぼ三日に一度の割合で訪れている。 『月牙宮』と重厚な文字で書かれた扁額がかかったこの廟は、建物こそそこそこ大きいのだが、朱塗りの柱はすっかり色褪せていた。壁の色も同じように褪せていて、屋根瓦もところどころが剥がれ落ちている。廟の前にある香炉は大きいものの、そこには線香一本すら立っておらず、先日リーレンが持ってきた供物も誰かに盗まれでもしたのか既になくなっていて、供物卓にはうっすらと埃が被っていた。  それらをため息交じりに眺め、リーレンは埃を被っている卓を綺麗に拭き清め、そこに持参した果物や餅を並べた。持ってきた線香を香炉に立て、跪いて拝礼する。廟内に線香の香りが漂い始めると、リーレンはようやく顔を上げて廟の奥に祀られている神像に目を向けた。  この月牙廟に祀られているのは黒い甲冑を着て剣を腰に佩いた月牙将軍だ。立派な髭を蓄えた姿は、いかにも武神めいている。だが、リーレンのお目当ては将軍その人ではなく、脇にいる白虎だった。  リーレンはなぜか幼い頃から白虎が好きでたまらなかった。御利益があろうが、なかろうが関係なくこの廟に足繁く通って奉納をし、白虎の像をそれこそ舐めるように眺めて時にその頭に触れる。この日も白虎の像をさんざん撫で回したリーレンは、満足げに廟を後にした。 「リーレン様、もう十五歳になられたんですから、いい加減そういう子どもじみた真似は控えてください」  毎回付き合わされている従者のフェイがうんざりした面持ちでそうぼやく。だが、当のリーレンは一向に気にする様子もなかった。 「だったらフェイは城に残っていればいいじゃないか。ここまでなら私一人でも大丈夫なんだし」 「そういうわけにはいかないでしょう。尚国の太子殿下をお一人で城外に行かせたなんて知られたら私は投獄されてしまいます」  そうでなくても警護の兵を置いてきてしまっているのにとため息をつき、フェイはくどくどと愚痴を零す。 「だいたいリーレン様は太子としての自覚がないんです。今日だって勝手に城を抜け出そうとするし……」 「歩哨の兵に見つかったから、ちゃんと出ていくって知らせただろう?」 「見つからなかったらそのまま黙って出ていくつもりだったんでしょうがっ!」  同じ十五歳だというのにフェイの口調はまるで兄か父のようだとリーレンは肩をすくめた。リーレンの世話をしてくれた女官がフェイの母親で、フェイはリーレンの遊び相手として子どもの頃から城に上がっている。兄弟のように育ってきたせいか太子であるリーレンに対してあまり遠慮がない。リーレンもそれを全く気にしておらず、二人の関係は主と従者というよりは気の合う幼なじみといったところだ。 「本当にフェイは心配性だな」  フェイの小言を笑って聞き流したリーレンは、いつものように月牙将軍と白虎の塑像に一礼し、いつものように廟を出て愛馬『赤駿(せきしゅん)』に跨がった。いつもと違っていたのは、騎乗した途端に赤駿が大きくいなないたことだった。 「赤駿?」  訝るリーレンが声をかけると同時に赤駿が後ろ脚を大きく蹴り上げる。もう一度いなないた赤駿は、リーレンを振り落とさんばかりの勢いで丘を駆け上り始めた。 「リーレン様ッ!」  フェイの声が聞こえたが、それが一瞬にして遠くなる。今にも振り落とされそうになったリーレンは必死で手綱を掴んだ。そのまま何度か引いてみたが、赤駿は全速力で走りながら暴れ回る。 「赤駿、どうしたんだ!」  赤駿は仔馬の頃からリーレンが可愛がっている馬で、今まで一度もこんなふうに暴れたことなどなかった。城から出た時は全くいつも通りだったため、なぜこんな状態になっているのかリーレンには見当もつかない。

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