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第6話

「喬と一戦を交えている間に南方の範(はん)が攻めてこないと限りません。背後の憂いを断つためにも、我が尚の領土の西側全てと国境を面している琅との強固な同盟が不可欠かと」 「琅は他国に不干渉を貫いている。あの琅王がなんの益もなく同盟になど応じぬと思うが」  尚王が『あの』とわざわざ付け足すところに含むものがあった。広間の家臣たちも、その通りだとばかりに頷いている。だが、それらを遮るようにリーレンは言った。 「琅王が他国のいざこざに不干渉なのは存じています。滅多なことでは動かないということも。ならば琅王に益を示せばよろしいのでは? さしずめ我が尚と琅との国境にある陽山城(ようざんじょう)。この城を明け渡すと言えば、あの琅王も多少は考えると思いますが」 「陽山か。だが、あの城は我が尚にとっても交易の要とも言える場所。それを明け渡すとなると……」  難色を示す尚王に、リーレンは小さく笑う。 「陽山が交易の要となっているのは尚、琅、喬、範、いずれの国の国境からも近いからです。陽山のすぐ横にある喬との国境の断崖は天然の要塞と言われていますが、喬が抜けないわけではありません。しかも陽山は尚の王都から遠い。あそこを琅に守ってもらうのだと思えばいいではないですか。そもそも陽山が喬に落とされるようなことがあれば、琅にとっても手痛いはず」 「確かにそうなのだが……」  顎髭を撫でつつ、尚王は眉間に皺を刻ませる。  尚の西にある琅は獣人の国だった。民の多くは獣人で、琅王もまた獣人だ。獣人のための獣人の国と言っても過言ではない。  喬はことのほか獣人を嫌悪していて、獣人をどう扱おうが――最悪、殺めてしまっても罪にならない。むしろ率先して迫害しようとする。陽山が友好国の尚の領土であるからこそ、琅は今までこの周辺の国境に兵力を割かずに済んできた。万が一にもその陽山が喬の手に落ちるようなことがあれば、琅は民を守るために膨大な兵力をそこに割かなければならなくなるだろう。  国境近くの城はそうでなくても戦場になりやすい。陽山を引き渡してその守りを琅に押しつけ、ついでに尚が喬と戦う間に南の範が背後を突かないよう盟約を結ぶ。こんな手前勝手な同盟に果たして琅王が応じてくれるだろうか。 「リーレン。琅王はそこまで愚かではないぞ。陽山ひとつで動くとは思えん」 「そうでしょうね。ですから私が琅に赴きます。琅に行って琅王と交渉をして参ります」  リーレンが言った途端、広間の家臣たちがざわめきたった。 「リーレン太子が琅に?」 「いや、それは駄目だ。あの国は獣人の国だぞ」 「人を食うという噂がある蛮族の巣窟に太子殿下を行かせるわけにはいかないだろう」  口々に言い合う家臣たちにリーレンはちらりと目を向けた。喬は獣人を嫌悪しているが、尚もあまり大差ないと内心思う。嫌悪まではいかなくても、家臣たちの言葉の端々からは獣人に対する侮蔑の念が嫌というほど感じられた。  獣人を悪し様に罵る家臣たちに内心でため息をつきつつ、リーレンは父王に向き直った。 「交渉にあたって生半可な使者では琅王は動いてくれないでしょう。ならば使者は王族が適任かと」 「それはそうだが、そなたはもう我が尚の正式な王位継承者なのだぞ」 「王位継承者たる私だからこそ使者となる意味があります」  きっぱりと言い切ったリーレンに、尚王が小さくため息をつく。 「わかっているのか、リーレン。皆も言っている通り、琅は獣人の国。蛮族の巣窟だ。琅王も獣人で凶暴な虎だと聞いている。行けばそのまま人質にされるか、最悪、食い殺されてしまうかもしれないのだぞ」 「その時はその時。もしも私が戻らなくてもコウリンがいるではありませんか。コウリンは兄の私から見ても聡明な子です。そもそも、同じ王族でもコウリンを使者に立てるより私が行く方が事は丸く収まるでしょうし」  リーレンの後の言葉には若干の自虐が込められていた。  リーレンにとってコウリンは年の離れたかわいい弟だが、母親が違う。リーレンの母は身分の低い宮女で、コウリンの母は尚国の王族に繋がる宮家の出身だ。王は分け隔てなく二人の息子を愛したが、やはり何かにつけ母の実家の影響力がものを言う。加冠したリーレンが正式に王位継承者となったものの、もともとはリーレンではなくコウリンを次期国王にという声が大きかったのだ。  それに、まだ十歳の子どもでしかないコウリンを使者に立てても琅王に鼻で笑われるのが関の山だろうし、それこそ万が一のことでも起これば母方の宮家が大騒ぎをする。最悪、尚と琅との間で戦になりかねない。 「交渉には私が赴くのが一番でしょう。父王、どうかこのリーレンに使者に立つようお命じください」 「だが……そなたはそれでよいのか?」  苦虫を噛みつぶしたような顔でそう言った尚王に、リーレンは穏やかな笑みを浮かべた。 「千年に亘って栄えてきた我が国が喬に蹂躙されるのを黙って見ているくらいなら、私はこの身を賭して尚の太子としての役目を果たしますよ」  その二日後、太子リーレンは従者のフェイと文官数名、それに形ばかりの護衛だけを連れて琅に向かった。冠礼の儀式を終えてから、わずか十日ばかり後の出来事だった。

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