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第1話 夜長と月白

 弟子の立場で言うならば、師匠の命令は絶対。  他所は知らないけど、ウチの工房の場合は、ホントにこれが基本。  なので。  俺は、師匠の淡雪の指示に従って、街道からウチの工房までの道を掃除している。  今日の俺は危なっかしくて、工房の中の仕事は任せられないんだそうだ。  まあ、しょうがない。  だって、昨日、便りが届いたんだ。  俺を形づくった人のひとりが、死んだ……らしい。  直にこの目で見た訳でも、直接の知らせが俺にあったわけでもなくて、訃報が師匠のところに届いて、そう聞かされた。  聞かされただけだから、余計に実感がわかない。  全然実感なくてピンと来てなくてちょっと気もそぞろな感じのまま、俺は師匠に言いつけられた工房前の道を掃除しながら、部屋に届いた形見のことを考える。  知らせと共に、形見として届けられた俺に縁のもの。  あの人のもとにいた頃に俺が書いた、日記のような紙切れ。  当時の俺が書いた拙い文字の横に、あの人の手で書かれた優しい雰囲気の達者な文字。  『(夜長が来てひと月)   じじいが これをかけと いた(言った)   おれが ちゃんと じを おぼえたか みはている(見張っている)。   (見張っているのではなくて、君がどのように日々を過ごしているのか、知りたいのだよ)』  『(夜長がいつの間にか書いていた。たいそう上達したものだ)   じじいは かみがない まんげつみたいな あたま   じじいのなまえは つきしろ という   みためのままだ   じじいに はげといったら じじいのてしたが おまえはぶれいだと おこる   じじいは えらいひとらしい   おれのなまえは よなが   じじいがつけた   ありがたいことなんだと てしたがいっていた   (わたしは『月の塔』の管理を預かっているだけで、決して偉くはないよ)』  『(これが夜長の日常だったのであれば、もう少し早くに引き取れたらよかったのにと、思ってしまう)   月のとうにきて よいこと。   食じの時間があって まい日はらがへらないで すごせる。   たてものの中で 自分の場所があって 安全にねむれる。   おとなに おいかけられたり けられたり なぐられないのは 良い。   (どうかこれから先の人生は、夜長にとって良いことばかりでありますように)』  あまり治安のよろしくない街で育った俺を拾って保護をして、二年ほど面倒を見てくれた養い親。  『月の塔』の長だったその人は、出会ったその日、俺の前に膝をついて視線を合わせて、月白と名乗った。  世界の中にはいくつかの『塔』があって、世界を調べたり観察したり、人材を育てたり記録を残したりしているのだという。  月白さまはその一つ『月の塔』の長だった。  色が白くてほっそりしていて、髪は剃ってしまったとかで禿げ頭で、くっきりとした印象的な黒目の人だった。  俺が反抗して『禿げ!』と言ってもやわやわと笑う人で、どちらかというと穏やかで静かな人で、いろんな人に慕われていて優しい人だった。  俺に、夜長、という名前をくれた。  月白さまは、俺は枯葉色の髪と橡色の瞳をしていると、言った。  穏やかで美しい秋の色だから、『夜長』という名がいいと、名付けてくれた。  夜が長いと月を愛でる時間が長くていいよね、そう言って笑いながら俺の髪を編み込みするような人だった。    月白さまが、もうこの世にいないんだという。  本当の親も、その親につけられた名前も、俺は知らない。  別にそれは不幸でもなんでもない、ただのよくある事実で、幼いころ俺はそんな街で生きていた。  月白さまに拾われて『月の塔』にいる間に、俺はいろんなこと――生きていくために必要な常識だとか、文字だとか、そういう基本的なことを学んだ。  俺が『月の塔』の月白さまのところで過ごしたのは八歳くらいから十歳までの間のことで、その後、月白さまの昔馴染みだという師匠に、預けられた。   「わたしの手元に置きたいけれど、お前にとって月の塔は息苦しそうだからね……淡雪なら、お前によくしてくれるだろうし、手に職をつけられる」    整えられてはいたものの伸びるままになっていた俺の髪を、出会ったころのように編み込みながら、仕方ないよねと月白さまは微笑んでいた。  それが、最後の思い出。  たった四年ほど前のこと。

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