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最終話 終点
ロストシティ。かつて栄えていたニンゲン世界そのままの古い街並みは、紛い物といえどニンゲンであるロンを歓迎しているように思えるほど美しい。
街には水路が多く、透明な水が家々の間を通って、街を囲む湖へと流れ込む。大通りでは、雑貨屋で金属製ではない「傘」が売られ、「花屋」なるものが、色とりどりのブーケを売っている。まるで別世界に来たかのようだと、ロンはぼんやり思った。
「すみません、この方がどこにいるか、知りませんか」
ロンは街の生き物に写真を見せる。生き物は首を傾げた。
「いいや、知らないな……。ハイザイは……あまり街では見ないから」
「そうですか、ありがとう」
ノアロの行方を知っているという宝石商は、街の生き物たちによると、どうやらハイザイという名前らしい。ロンは写真を頼りに、彼のことを探していた。しかし、誰に写真を見せても、彼の居場所は知らないと言う。曰く、彼はいつも森の中の小屋に引き篭もっているらしい。
有名人だと聞いていたから、すぐに見つかるものかと思っていたが、甘かったようである。広い街で行く宛を失ったロンは、日陰のベンチに座り、大きな噴水のある広場を眺めた。この街には、子どもたちの明るい声が溢れている。
「……おじちゃん、何してるの?」
「え、……うん?」
ふと、一人の子どもが声をかけてきた。ニンゲンを見慣れているのか、ロンのことを「おじちゃん」と呼ぶその子は、不思議そうに首を傾げていた。
「お昼寝してるの?」
「ははは。いや、休憩していたんだ」
「へー」
子どもはさほど興味もなさそうにそう言って、たかたかと走り去っていく。
子どもが一人で見ず知らずのニンゲンに声をかけるなど、この街は、よほど安全なのだろう。ロストシティはこの世の理想郷だと言われるだけのことはある。
ロンはあたりを見渡した。誰もが、いきいきと、楽しそうに街を歩いている。大人が大きく口を開けて笑い、子どもたちが街をのびのびと駆け回る。ノアロがこの街を好きだった理由が、なんとなく理解できた。
ロンは大通りへ向かう。多くの生き物と店で溢れているその道を、ふらふらと歩いた。色とりどりの商品は、見ているだけで心が弾むようだ。どれもこれも、ブレウィズではあまり好まれないような、心の繊細な部分を満たすものばかりだった。
しばらくそれらを楽しんだあと、ふと、ロンは大通りを離れ、脇の細道へ入った。理由はなかったが、ただなんとなくそうした。まるで何かに導かれるように辿り着いた先は、「ハイザイ宝石店」という看板のかかった、古い宝石店だった。
ロンは驚いて、その店の看板をじっと見つめる。看板を二、三度確認してから、店の中を覗いた。しかし、店の中は暗く、何も見えなかった。
「……よし」
ロンは意を決し、ガラスのはまった木製の扉を開いた。
そこには、埃をかぶった宝石細工が、あちこちガラクタのように積み上がっていた。照明器具がなく、薄暗い店の奥で、機械人間がぽつんと座って宝石を眺めている。今ではもうほとんど見ることがない、特段大きな身体を持つ、古い機械人間だ。
「すみません。貴方がハイザイさんですか」
ロンは尋ねる。彼は手を止め、ゆっくりとロンを見た。ロンはフードを外し、小さく頭を下げる。
「……俺はロン。クロバロンです」
「…………ロン……」
彼は宝石を片付け、ロンのことを注意深く観察した。目線が、ロンの足から胸に上り、顔で止まる。
「ああ、貴方を待っていた」
彼は優しく微笑んだ。それに驚いて、ロンは目を瞬かせる。
「私はハイザイ。古い機械人間だ。宝石彫刻師をやっている」
ハイザイはそう言って、指の先をロンに差し出した。ロンは差し出された指を握り、微笑み返す。
「会えてよかった。貴方はどこにいるんだときいたら、街の生き物がみんな知らないと言っていたから困ってしまったよ」
「ああ、私は普段は森から出ないから……。月に一度だけ、店に出てくるんだ」
「そうだったのか。なら、こうやって会えたことは奇跡だな」
ロンがそう言うと、ハイザイは頷いた。
「あの子に導かれたんだろう」
ハイザイはにこりと笑う。ロンは不思議そうに首を傾げた。
「……機械人間にしては、随分と表情が豊かだ」
「ああ、これは、古い機械人間につけられている、表情作成機能のおかげだ。喋った言葉を解析して、それにあった表情を作り出すものだな」
「……なるほど」
ロンは頷いた。大昔には、機械人間にも表情をつけようという動きがあったのだと、文献で読んだことがある。しかし、かなりのコストがかかることから、効率で動くべき機械人間に、表情など必要ないと判断され、その動きはなくなった。
「やはり機械人間にも表情があったほうがいいな」
ロンがつぶやくと、ハイザイは小さく微笑んだ。
「ノアロに会いに来たんだろう」
「ああ、そうだ」
「そうか。あの子に、貴方をノアロの元へ連れて行くよう頼まれている」
ハイザイはそう言って、ゆっくりと大きな身体を持ち上げた。
「ノアロには、世話になったんだ。彼を見ていると、なんだか、自分までニンゲンに戻ったようだった」
ハイザイはそんなことを呟いた。
「宝石のデザインをしてもらったこともある。有意義な日々だった」
ハイザイは裏の扉から店を出る。ロンは慌てて彼を追いかけた。
「店、閉めなくていいのか」
「平気だ。ここには大したものはない」
ハイザイと共に、ロンは街を歩く。ニンゲンの二倍ほどの大きさの彼の身体は、この街では動きづらそうだった。
大通りに差し掛かったところで、ハイザイは立ち止まり、ロンを振り返った。
「もう出発しても大丈夫なのか」
「…………ああ。大丈夫だ」
ロンは呟く。ぎゅっと白い箱を握りこんだ。
これから先、何がそこに在っても、もう、戻らない。
「ならば、行こうか、彼のところへ」
ハイザイは、ゆっくりと歩き出した。大通りを横切り、彼の身体の幅ぎりぎりの細い路地を抜ける。
「貴方の住んでいたブレウィズとは、また違ったいい街だろう」
ふと、ハイザイはそう言った。ロンは頷く。
「ああ。本当に、時間が巻き戻ったかのような街だ」
「私は何百年もここにいるが、ここはちっとも変わらない」
ハイザイは懐かしむように目を細めた。それは極めて繊細な表情で、ロンは驚きに目を丸くした。ハイザイはまた前を向き直し、ゆっくり歩いていく。
「その箱は、どうしたんだい」
「これは、俺たちの家族だ」
「ああ、そうか。それが、シーザ。……ノアロのところまでは、もたなかったか」
ロンは目を伏せ、小さく頷く。
「仕方がない。生き物の命を引き延ばすことは、神にさえ許されていない」
ハイザイは淡々とそう言って、立ち止まることなく歩き続けた。
二人は橋を渡り、森に入った。辺りに生えているのは、他の地域では何億年も前に絶滅してしまった、珍しい木々だ。森の中では、珍しい小動物が駆け回り、美しい鳥が飛んでいる。耳をすませば、そこはありえないほどに静かで、木々が風に揺れる音だけが、優しく耳に届いた。
「……ドクター、そんなに森が気になるかい」
「あ、ああ、すまない。いい森だ、本当に」
「学者先生は大変だ。なんでも面白いらしい。旅人と同じだな」
ハイザイはそう言って笑い、ロンの少し前を歩いた。森には慣れているのか、彼はずんずん進んでいく。しかし、ロンがいつまでも森を見渡しながら歩いてくるのを見て、歩をゆるめた。
暫く歩くと、森の木々は無秩序に生い茂りはじめ、歩きづらくなった。ハイザイは大きな身体を木々の間に滑り込ませながら歩く。ロンも、彼の後を追って、滑ったり転びかけたりしながら森を進んだ。
「ロン、ダイヤモンドが、何でできているか知っているか」
突然、ハイザイは尋ねた。ロンは怪訝な顔をする。
「……炭素だ」
「そうだな、炭素だ。知識の人にする質問ではなかったか」
ハイザイの顔は少し笑っていた。ロンは首を傾げる。ハイザイは、立ち止まって、後ろを歩いてくるロンを真っ直ぐに見た。
「では、ニンゲンは主に何でできているか、知っているな」
「…………何が言いたい?」
ロンは低い声で尋ねた。ハイザイは前を向き、また歩き出す。
「…………ロン。私は、ノアロの最期を見ていたんだ」
ハイザイはゆっくりとそう言った。ロンは一瞬足を止める。
「……さいご?」
「ああ。彼は腹に穴を開けて、千切れそうな右手をぶら下げて、この森へ来た。森には、昔彼と共に宝石のデザインをした、私の工房がある。彼はそこを訪ねてきた」
ロンは目を見開き、立ち止まった。ハイザイは振り返る。
「……彼は私に、頼みごとをした。一つは、貴方がここへ来たときに、自分のところまで案内してほしいということだ。もう一つは……」
「…………ノア……?」
突然、ロンは呟く。蔦と木々に侵された洞窟の奥、一筋の光を浴びる石造りの台の上に、ノアロが座っていた。ノアロは顔を上げ、灰色の瞳を七色に煌めかせると、ロンを見て、にっと笑った。
「……ノア…………!」
ロンは駆け出した。蔦や草木に足を取られながらも、なんとか彼の側へ寄り、台の上に手を伸ばす。
ノアロの白い指に、手が触れる。
「…………ノア、ロ……」
ロンの手の中にあったのは、青く光る小さな宝石の付いた、美しい指輪だった。
ロンはひとつ瞬く。きらきらと輝く宝石に目を奪われ、口の端が震える。
「……はは、ノア……、そう……お前……っ、本当にばかだなぁ……」
ロンは震える手でその指輪を握り込み、額に押し当てる。
「…………来たよ、ノア……。迎えに来た……っ」
ハイザイはゆっくりと近づいてきて、ロンのすぐそばで立ち止まった。
「…………もう一つは、自分の身体でダイヤモンドを作って、世界で一番綺麗な結婚指輪にしてくれと」
ロンは指輪を両手で握って胸に押し当てる。そのまま、ロンはうずくまった。
「ノア……っ、ノアロ…………」
「…………これは、貴方のものだ。…………貴方の」
ハイザイは、はっきりとそう言った。それから、ロンの背を硬い指先で撫でる。
「……ノア……っ、ノア…………っ」
ロンは何度も彼の名前を繰り返す。包み込んだ宝石は、しんと冷たかった。
「ああ……、ああ、馬鹿なんだ、お前はやっぱり……っ。馬鹿だよ、本当に……、お前も……っ、俺も…………っ」
ロンは震え、唸るような声でそう言った。それから、地面に額をつけたまま、涙を堪えるように微笑む。
「おかえり、ノアロ…………」
涙が、溢れて地面を濡らす。ロンはうずくまったまま、暫くの間肩を震わせていた。
「……ありがとう、ハイザイさん。ノアの頼みを、きいてくれて」
「構わない。私は彼にたくさんの借りがある」
洞窟の端に座り込み、微笑んだロンに、ハイザイはそう言った。ロンは目の縁を真っ赤にして、自分の左手の薬指を見る。空にかざせば、それは柔らかな木漏れ日を受けてきらきらと光った。
「……ああ、綺麗だ。綺麗だよ、お前。本当に……」
ロンの溢した笑みは、苦笑にも似ていた。ロンは俯く。右手で、膝の上にある白い箱を、ゆっくりと撫でた。
「…………ロン?」
「ハイザイさん、悪いが、俺からもひとつ頼みがある」
「なんだろう、なんでも言うといい。ノアロの借りは、貴方に返す」
ロンは自分の上着の内側をまさぐって、なにか手につかむと、ゆっくりとハイザイに差し出した。
「……旅に出たい。ここから、ノアロと」
差し出されたのは、一挺の銃だった。ハイザイの顔が、やや引き攣った気がした。
ロンはシーザの遺骨の入った箱を抱え、洞窟の壁にもたれかかった。じっと、左手の薬指の青い輝きを見つめる。
「…………ロン」
「ノアロはきっと、俺を待ってる。……今度こそ、一緒に旅に出るんだ。……きっとこの旅のように、悪くないものになる」
ロンは微笑む。その顔は穏やかだった。
「弾は一発きりだから、外さないでくれよ。……まあ、機械人間 ならば、外すことはないだろうが」
ハイザイは、黙って銃を持ち上げた。
ロンは辺りを見回した。太陽の光を浴びて、きらきらと穏やかに輝く、美しい木々。心地よい静寂。ただひたすら、自然の匂いに包まれる。
「…………いい場所だ、ノア」
ロンは目を瞑る。膝の上で丸くなるシーザの背を撫で、ロンの隣で、彼の左手を優しく掴む男に、肩を寄せる。
旅が、始まる。
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