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第13話 ハトリーヴ急行

 最も新しい街フイッフィーと、最も古い街ロストシティを結ぶ、ハトリーヴ急行。ロスティカジン語で「仲介者」や「平和」という意味の名を持つこの列車は、森を走る特殊小型生物用の列車のように、金属の武装をしていない。細いボディの中に広い空間がある、現代においてはここでしか見られない、古代型の急行列車である。  外と内を隔てるものが薄っぺらい金属の板だけで済んでいるのは、この辺りに、危険生物が生息していないためである。ロストシティを囲む森は古く、この世界に酸の雨が降るようになってから生まれた生物たちは、基本的にその木々を好まない。特に、凶暴で大きな身体を持つリュウグウキリンは、古い木々を嫌う性質があり、この辺りで生き物を襲うものといえば、せいぜい妖精か毒性のある小さな生き物くらいなのである。ロストシティを囲む森は、様々な危険から生き物を守る、自然の防壁となっているのだ。  ハトリーヴ急行は、ロンを乗せて森へ入る。ロンは、数千万年前の植物を、窓から眺めた。  ロストシティ近辺には、酸の雨は滅多に降らない。この辺りに降るのは、人工的に作られた雨だ。  ロストシティでは、雨雲を人工的に生成する技術が発達している。なぜならば、この辺りには「エデンの箱庭」という研究施設があり、そこでは、かつての自然、かつてのニンゲンの世を取り戻そうと、日々研究が行われているためである。 「……ノアロの出身地か」  ロンはぽつりと独り言を呟く。  ノアロは、ロンと暮らすようになってから一度も、自分の過去の話をしなかった。そのため、ロンはつい最近まで、彼の過去について何一つ知らなかった。妖精の森で、記憶の妖精たちがロンの頭に流し込んだ情報で、はじめて、ノアロの過去に触れた。ノアロが「エデンの箱庭」の出身だなんて、考えもしなかった。  さすがのロンも、「エデンの箱庭」について知っていることは少ない。あそこを管理しているのは機械人間たちで、詳しいことはこの世界の誰も知らないし、知りようがないからだ。  ロンは膝の上に乗せた、小さな白い箱に手を当てた。この中には、シーザがいる。しかし、もうロンが箱に話しかけることはなかった。 「へえ、珍しいね。おにーさん、ニンゲン?」  ふと、ロンは誰かに声をかけられた。驚いて、声の方を見る。目の前に、自分とよく似た生き物が立っていた。 「……あ、ああ、ニンゲンだ。ロンという」 「ロン……いい名前だね。アタシ、ハルカ!」  ハルカは右手を差し出す。ロンはゆっくりとその手を握った。 「ハルカか……。そういう君もニンゲンかい」 「もちろん、ニンゲンだよ。純正のね!」  ハルカはからっとした笑顔を見せた。 「右手、どうかしたの?」 「ああ、いや……昔……ちょっとやられてから、動きが悪い」 「そうなんだ。かなり酷い傷だったんだね」  彼女はまじまじとロンの腕を見つめた。それから、当然のようにロンの隣に座る。 「アタシ、外交官やってるんだ。だからこの列車にはよく乗ってる。だけど、この列車にニンゲンが乗ってるのを見たのははじめてかも」 「本当か? ロストシティには、ニンゲンが多いんじゃないのか?」 「ああ、はじめては言いすぎかも?  でも、ホント、珍しいんだよ」  ハルカはぺらぺらと喋りつづける。よほどお喋り好きらしい。しかし、言葉から感じられる印象に対し、彼女の一挙一動は上品だった。 「君は動きが綺麗だな」 「ふふ、そうでしょ。アタシ、王族に育てられたんだ。ニンゲンじゃない生き物だったんだけど、良くしてもらったよ。……ほんと、運だけはいいから」 「それなら、君は努力家なのだろう」  ロンは呟いた。彼女は目を見開き、小さく微笑む。  ふと、窓の外に、砂漠の中に立つ、白一色の大きな建物が見えた。 「……『エデンの箱庭』……!」  ロンは思わず呟いていた。 「ロン、あそこに興味があるの?」 「ああ、いや。……俺の夫が、昔、箱庭にいたらしい」 「…………貴方の夫が……?」  ハルカは目を見張った。ロンにぐいと顔を寄せる。 「あそこから逃げ出したの? どうやって? なぜ逃げようと思ったの?」 「……いや、違うんだ。彼は……連れ去られたらしい」  ロンは手を胸の高さにあげて首を振る。ハルカはつまらなさそうに短く息を吐き、身体を元の位置に戻した。 「なんだ、密猟ね。まあ、時々あるよね。数十年に一度くらい」  ハルカはロンの顔を覗き込む。 「……ロンは、そこの出身じゃないの?」 「俺は培養哺乳類だ」 「うそ、本当に? 培養生物のクセが全然ないじゃない」 「純正のニンゲンと暮らした時間が長かったのと……街の生き物と触れ合う仕事だったからだろうか」 「へえ……! 培養だって、生き物と触れ合っていればなるのね……。培養哺乳類なら、もしかして、ブレウィズから来たの?」  ハルカは尋ねた後、ロンが答えるより先に目を見開いた。 「……もしかして、貴方……クロバロン?」  ロンは驚き、おずおずと頷いた。ハルカは身を乗り出して、自分の胸元を掴んだ。 「アタシ、ノアロと同じ密猟者の車に乗っていたの!」  ロンは目を見開いた。  「おいおい、お前ら。もう何も持ってないったら!」 「もっと!」 「さっきの美味しかった!」 「やめろ、離しなさいったら! こら!」  ロンは街の大通りで、子どもたちに集られているノアロを見つけた。 「ノア?」 「あっ、先生! ただいま!」  ノアロは大きく手を振り、ロンに笑顔を向けた。 「……おかえり。何してたんだ」 「こいつらに土産をせびられてるんだ、助けて先生!」  ノアロはロンの背後に回り、肩の後ろから顔を覗かせる。子どもたちはわらわらと二人を取り囲んだ。 「……先生、ノアロ、ケチなんだよ。まだいっぱい持ってるのにくれないの」 「だから、これは先生のだってば」 「だってぇ」  子どもたちは、びりびりに裂けたノアロの服の裾を握って引っ張る。ロンの身体にしがみついた子どもは、ロンを潤んだ瞳で見つめた。ロンは、そのしがみつく子どもに嫉妬のような目を向けるノアロの頭を撫でた。 「俺の分くらいあげていい。子どもたちに食べ物を強請らせるなんて可哀想なことをさせるんじゃない」 「けど……」  ノアロは口を噤む。不満そうな顔で、ノアロはしゃがんだ。 「仕方がないな。お前たち、ほら、やるよ」  ノアロがそう言うと、子どもたちは嬉しそうに飛び跳ねながら、ノアロの手からお菓子を奪い去って行った。ノアロは立ち上がり、腰に手を当ててため息をつく。 「……あーあ、先生のために持ってきたのになぁ」 「子どものようなことをするな」 「俺はいつまでも子どもなんだよ」  堂々とした態度でそんなことを言うノアロに、ロンは苦笑する。 「……先生に食べてほしかったんだ。ロストシティのフロージーってお菓子なんだよ」 「『花びら(フロージー)』か」 「絶対先生好きだと思ったのになぁ……」 「……はは、お前がそう言うんなら、きっと好きだろうな」  ロンはその菓子にはなんの執着も思い入れもないため、淡々と答える。ノアロはまた不機嫌な顔をした。 「……先生にあげたかったのに」  ノアロはロンの手を掴み、ぐっと引っ張る。 「今度また買ってくるから。今度は、バレないように、誰にもあげないで帰ってくる」  ノアロの一生懸命な表情を見て、ロンは笑って首を振る。 「いいよ、欲しがる人にあげなさい」 「先生だって、お菓子は好きだろう?」 「俺はお前が帰ってきさえすればそれでいい」  綺麗な嘘をつくと、ノアロが不貞腐れた顔をした。ロンは思わず苦笑を溢す。 「……だが、お前がその旅の味をどうしても俺にも食べさせたいのなら、今度はそうしよう」  ノアロはぱっと顔を上げた。 「じゃあ、今度は食べてくれよ、先生」  ロンは頷いて微笑んだ。 「しかし……子どもたちがあんなにお前に寄り付くとは」 「……大人は俺を疎むけど、子どもたちは珍しい土産が欲しくて俺のとこに寄ってくるんだ。大人だって、きっと気になるはずなのにな。ここの奴らは、俺が持ってきたものは食べない」 「…………まあ、ここじゃ、お前のことを馬鹿なやつだと言うやつは多いからな。そんな空気の中で、一人だけお前に寄っていくことはできないんだろう」  ブレウィズの街は、ノアロを嫌っている。幼い頃はロンに引っ付いて回るだけで、か弱く、ニンゲンのくせになんの役にも立たなかった彼が、ロンを自分のものにして、今度は彼を置き去りにして旅に出た。それをこの街の生き物は哀れみ、ロンの側に立つふりをして、ノアロのことを酷く言った。 「そうやって、大人は学ぶ機会を逃してるんだ。自分はもう完璧に出来上がった生き物だと思っているのかな」  ノアロはぼんやり空を見上げる。 「大人になるって、つまらないなぁ」  ノアロは呟いた。灰の目を閉じて、小さく口を動かす。 「……でも、いつか大人にならなきゃいけないんだ」  ロンは不思議に思ってノアロを見た。最近の彼は、昔の彼がきけば顔をしかめて反論してきそうな言葉を、度々吐く。 「…………お前は、もういいかげん大人だろう。うちに来てから十五年も経つ」 「はは、俺はまだまだ子どもだよ」  そう言ってから、ノアロは目を伏せる。静かな声で、彼は続けた。 「…………先生が、俺に大人になれって言うんならなるさ。先生のためだ、俺は何も惜しくない」 「……はは。お前、本当はもうとっくに子どもじゃなくて、馬鹿なふりをしている大人なんだろう」  ロンは笑う。成長することを、失うことだと理解している彼は、もうとっくに少年などではない。ノアロは人差し指を唇に当てて首を傾けた。 「変わったよ、お前も。つまらなくなった。……旅のことばかりだったくせに、俺のようなつまらない男のことを考えるようになったんだから」  ノアロは前を向く。少し間をあけてから、彼は呟いた。 「……つまらないのも、悪い話じゃないかもしれないな」  ロンは驚いてノアロの顔を見た。ノアロはロンの方をちらりと見て、柔らかく微笑み、目を伏せる。 「例えば……、綺麗で住み心地のいい街で、先生と、変わらない毎日を過ごすんだ。そこには、俺の求めた自由も変化もスリルもないけれど……、先生とフロージーでも食べながら紅茶を飲む、つまらない昼下がりがある。…………うん、きっと、それもいい」  ロンは目を瞬かせた。暫くは、開いた口が塞がらず、彼は大きく間をあけて言った。 「…………驚いたな。お前がそんなことを言うなんて」 「それもいいなって思ってさ」  ノアロは笑う。まるで彼ではないかのように、穏やかで、平凡な表情を浮かべていた。 「…………『つまらない』のも、『生きてる』って証だから」  ノアロは左手を握りしめる。ロンの方を振り向いて、心地よい風に吹かれながら、彼は笑った。  ロンは、列車内を巡回する機械人間に金を払い、ひとつの包みを受け取る。手のひらの上に収まるほどの大きさの包みを開くと、中からキラキラとした薄っぺらい菓子がいくつも出てきた。 「あら、フロージー?」 「……ああ、少し思い出したものだから」 「へえ、いいね。アタシも買おうかな」  花びらのようなそれは、光を受けててかてかと光る。宝石のような花、キツネビの花弁のようなそれを、ロンはひとつ口に入れた。  さっぱりとした甘さの砂糖菓子。紅茶によく合いそうだ。満足そうな顔をするロンの隣で、ハルカは少し微笑んだ。 「アタシたちね、世界には終わりがあるものだと思っていたんだよ」 「どういう意味だ?」 「アタシたちは箱の中で生きている。だから、箱の隅っこまで行ったら……そこは世界の終わり。世界の端っこ」  ロンはやや前のめりになって話を聞く。ハルカはけらけら笑った。 「貴方からすると、不思議で仕方ないでしょ? 世界の端っこなんて、そんなわけ無いでしょ、地球は丸いんだから。……けど、アタシたちにはそれが当たり前だったの」  俯いた彼女は、美しい黒髪を垂らしていた。それから少し微笑み、先程までよりやや大きい声で喋りだす。 「ノアロもそうだよ。アタシたちが触れてたのは、美しく作られた偽物の自然で…………この汚れた空気を吸ったことも、鉛の海を見たこともなかった」  ニンゲンにとって、あの箱の中は楽園だと言われる。澄んだ空気を吸い、川の水を飲み、陽の光を浴びる。ファンで作られた風に吹かれ、小さな穴を通って降ってくる、酸のほとんど含まれていない雨に降られ、喜怒哀楽、愛情も不安も、全てが監視されている。  そんな世界を、ニンゲンの楽園だと言う。 「……密猟者に連れて行かれたときは、怖かったな。狭い箱に詰められて、何日も移動するんだ。途中で具合の悪くなったのは、そこに捨てられるし」  ハルカは低いトーンで続ける。 「……ノアロはね、輸送途中に、森で捨てられたんだ」  ロンは目を大きく見開き、瞬かせた。 「すごいでしょ、森よ。アタシ、もう絶対この子には会えないと思ってた。だって、普通死ぬでしょ」  食べるものもない、飲み水もない、ここがどこかも分からない。そんな中、ニンゲンの、ちっぽけな子どもが、ひとりで森に捨てられる。その恐怖は、どれほどのものだっただろう。まして、生まれてからずっと、箱の中で、ニンゲンだけを見て過ごしてきた彼である。  その恐怖も不安も、ロンには想像もつかない。きっと、理解することはもちろん、陳腐な言葉で言い表すことさえ、自分にはできない。 「でも、十年越しに、ロストシティで再会した。ひと目で分かったよ、『エデンの箱庭』にある東区ってところのニンゲンの特徴がそのまま出てたから」  ハルカは自分の髪を少し引っ張る。 「あそこのニンゲン、子どもの頃は髪が青くて目が灰色なの。大人になると、髪の色は黒っぽい銀色になるのよ。不思議でしょ」  だから箱庭の嫌われ者でもあったんだ、とハルカは言う。それから、自分の髪を握ったままへらっと笑った。 「あ、ノアロはずっと青かったけどね。たまにいるんだ、大人になってもしばらく青いままのニンゲン」  ロンはほんの少し俯いた。  彼の髪が青から銀へ変わり、やがて白くなっていくところを、見てみたかった。膝の上の箱を、指先で静かに撫でる。 「……でも本当、びっくりしたな。運のイイ奴だって思った。あの箱庭を出て、捨てられてもしぶとく生きて、ああやって自由の象徴になっちゃってさ」  ハルカは言った。 「アイツは……運を掴む力が強いんだ」  ロンの言葉に、ハルカは首を傾げる。 「運は転がって来るものじゃない。どん底に叩き落とされて初めて、目の前の川に流れてくるもんだと思う。……それを掴む力を振り絞れる奴が、きっと、『運のイイ奴』なんじゃないか」 「……そうだね。ノアロはそういう男だった」  ハルカはそう言い、ほんの少し笑った。 「……貴方、何をしに来たの? ノアロは?」 「ああ……跡追旅行だよ」 「後、追い……ああ、跡追旅行! はは、そう、ノアロが呼んだんだね」  ハルカは指先を絡めて、少し俯く。 「そっか……。どおりで、ノアロの話を聞かなくなったわけだ」  やや沈黙があって、ぱっとハルカはロンを見上げた。 「……目的地はどこ?」 「ロストシティだ」 「あら、じゃあもう終点なんだ」  ハルカは口元に手を当てた。ロンは頷く。 「ロストシティに着いて、行く宛はあるの?」  尋ねられて、ロンは上着のポケットから写真の束を取り出した。その中の最後の一枚を、彼女に渡す。 「この宝石商が、ノアロの居場所を知っているらしい」 「ああ! この人、有名な宝石商だよ。この人の加工品は、ロストシティの王族も使ってるくらい。ノアロの知り合いだったのか……」  列車は森をひた走る。ふと、森が一瞬開け、窓の外に、森と湖に囲まれた、大きな街が見えた。 「……街だ……」 「ああ、もうすぐ着くね」  ハルカは呟く。ロンはぎゅっと拳を握りしめた。  列車は再び森の中へ入り、バチバチと枝葉の車体に当たる音がする。列車は、橋を渡り、街の中へ入った。  列車は徐々に速度を落とし始める。ハルカは荷物を持ち上げた。ロンも、リュックサックの準備を始める。  ハトリーヴ急行は、ロストシティの駅に停車した。列車のドアが開き、生き物の声と、活気ある街の匂いが入ってくる。 「……ようこそ、ロストシティへ」  ハルカはそう言って、立ち上がる。彼女は左手を持ち上げて、ロンの腹の高さで止めた。 「会えてよかったよ。どうか……お幸せに」 「ああ。ありがとう」  ロンは彼女の手を掴み、二度振った。彼女はさっさと列車を降り、走り去っていく。なんだか、春の嵐のようなニンゲンだったと、ロンは苦笑した。  扉の内側で、すっと顔を上げる。瞳を刺激する、澄んだ空と、美しい街並み。妙に清々しい気持ちで、ロンはそこにいた。 「…………着いたぞ、ノア」  ロンは呟き、駅に降り立った。

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