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第4話

 最近、相沢くんの様子が変わった。  この前から急にみんなで昼休みを過ごしたいと言いだし、安藤と杉山、そして相沢くんと俺の四人で過ごすことが増えた。安藤とはゲームの話で合うようだし、杉山とも楽しそうにしている。俺からみても相沢くんは楽しそうにしているのが分かるし無理している様子もない。その分音楽室での逢瀬が減ってプレイ回数も必然的に減ってしまったけど、俺も相沢くんも調子は順調そのもの。  それにしても目に止まってしまう…相沢くん、杉山と距離が近すぎないか。最近心のもやもやが晴れない原因がこれだ。俺はきっと、相沢くんとプレイしてもらってるから近い距離に特別感を抱いていたのだと思う。さらに、相沢くんと杉山は互いに苗字を呼び捨てにしている。そこも俺にはない親しさを見せつけられている気がしてしまう。こんな小さいこと気にするなんて、と自分でも訳が分からない。心が狭い気がして自分がいやになる。 「相沢、お前なんも考えず牌捨てて良いわけじゃねえぞ」 「なんだよ、杉山はもっと手抜いてよ」 「ちょっと見してみ」  麻雀のアプリでなにやら盛り上がってるみたいだけど、二人で一つのスマホを覗き込んでる…顔、近くないか。  安藤が貸してくれた少年漫画の最新刊を読もうと開いてはいるものの、目がすべってまったく頭にはいってこない。本から視線だけちらっと二人を見やる。 「…で、これを捨てれば役作れる」 「あ、ほんとだ。じゃあ次これ待ってればいいんだ」 「そうそう」  麻雀は難しそうで興味無かったけど、俺もやってみようか…いや、でも待てよ。そもそも体調不良が重めの相沢くんが、俺とのプレイ回数が減ったのになぜ平気なのだろうか。もしかして、杉山も実はSubで相沢くんとめちゃくちゃ相性が良いとか? 実はもう二人はパートナーになっていて、しかもあの距離感なのだからもう恋人になっていたり…?  俺の中で浮かんだ疑問にずんと心が重くなる。相沢くんとは約束をしなくとも自然と音楽室に集まっていたから、自分の中でも勝手にパートナーのような関係になっていた気がしていた。別に俺は相沢くんのパートナーなどではないし、交友関係にとやかく言える立場ではないのだ。  ただ、自分で勝手に拗ねてるだけ。構ってもらえなくて、俺じゃない誰かでもいいんだ、でも本当は俺が相沢くんと…と、自分勝手な考えにこれ以上振り回されていても気分が悪くなるだけだ。自分にこんな独占欲のような気持ちが湧いていることにも戸惑い混乱していた。 「…わりい、俺午後早退するわ」 「最近調子良さそうだったけど、大丈夫か」 「ん、なんか気が乗らないだけ」 「真面目なお前がサボりって珍しい!」  安藤に早退の旨を伝えて漫画を返し、早々と帰宅の準備をして教室を出た。相沢くんと杉山のほうはあえて見なかった…いや、見ることができなかった。  帰宅して昼寝をしてみても、現実と睡眠の境目を行き来するだけで余計に疲れてしまった。気分転換にランニングに出ても、筋トレしてみても、集中できずにすぐ動きが止まる。どことなく満たされずにいるモヤモヤした気持ちのせいで…。ただ心ここにあらずな状態だった。  相沢くんにとっての一番じゃないことがひどくショックのように感じていて、どうにも行動できずに逃げるようなことをしている自分に苛立っていた。  脳裏に浮かぶのは、俺に柔らかく微笑んで褒めてくれる相沢くんの表情、腕の中に収まるサイズ感。また俺に微笑んでくれて、抱きしめて、褒めてくれるかな。杉山とどういう関係なのか、聞いてみてもいいのかな…。  夕方からランニングに出ていたけれど、気づけばあたりは暗くなっていた。このままうじうじ考えていてもどうにもならない。さっさと帰って寝てしまおう。一歩ずつ自宅方向へと走る。その足はひどく重く感じられた。  帰宅してスマホを見てみたら相沢くんから「体調、大丈夫?」とメッセージが来ていた。返事のついでに、明日音楽室でお昼を食べようと誘ってみようかとも思ったがメッセージを打つ手が進まなかった。結局「大丈夫、サボっただけ。また明日ね」とだけ返した。  翌日、俺は意を決して相沢くんに話しかけた。悩んでいても仕方がないし、もしかしたらまた相沢くんにプレイをしてもらえれば気持ちも晴れるかもしれない。 「今日の放課後さ、よかったら保健室に付き合ってほしいんだけど…」 「保健室…ああ、うん、いいよ」  俺の誘いに、意図を察してくれたみたいで快諾してくれた。ちらっと杉山の様子を伺ってもこちらを気にしてる様子はない。  以前、ダイナミクスの申請書類を学校に提出したときに保健室の利用について説明されたことがあり、保健教諭に申請することで簡易的なプレイを目的とした保健室利用が可能なんだそうだ。他の生徒とのプライベートも守るため時間帯なども考慮してくれるらしい。それを利用して相沢くんとまた二人で過ごせたら…。  帰りのホームルームも終わって、部活に行く面々に挨拶をして見送ったところで相沢くんかた声を掛けられた。 「僕、先生にノート提出あるからそれ終わったら向かうね」 「わかった、先に行って待ってる」  俺は先に保健室に行き、保健教諭に許可を得ることにした。 「二年三組の結城くんね。一応なにかあったときの為に、一緒に利用する人の名前も教えてもらえる?」 「同じクラスの相沢柚(ゆず)希(き)くんです」  黒い髪を後頭部できっちりまとめ、紺色フレームの眼鏡が似合うキリッとした印象の女性教諭は、厳重に管理されたファイルを眺めながら生徒のダイナミクス情報を照合しているようだった。 「…うん。Domの生徒さんだね。一応決まりで説明だけさせてもらうけど、性交渉を含む濃厚な接触は禁止。レイプやグレアなどで同意のない一方的なことをされたら必ず言うこと。緊急の場合はベッドに備え付けの赤いボタンを押せば警備員かわたしが駆けつけるから。長くても保健室の利用は三十分程度を目安にしてね」 「はい」 「じゃあ私は職員会議に行ってくる。先生不在の看板出しておくから、あと相沢くんとゆっくり過ごして、ベッド使い終わったらそのまま帰ってもかまわないから」 「ありがとうございます」  先生が去り、静まり返った保健室には俺一人、保健室の中央にある椅子に座った。相沢くんになにをどう切り出し、杉山との関係についてもどう聞こうか、いやしかしそれは踏み込みすぎか、どうしようかと悩んでそわそわと落ち着かない。焦りや恐怖のような感覚と、久々に触れ合える嬉しさで感情が整理できずにいた、そのときだった。ガラガラと保健室の引き戸が思いっきり開けられ、はっとしてそちらを見やる。 「あいざわ、く…」 「あれ?今先生いねえの?」  そこには相沢くんではない派手な男子生徒と、その後ろからひょっこり顔を出す女子生徒。見たことない人だった…大人っぽい雰囲気から、先輩なのかもしれないと推測する。 「先生は職員会議行ってて…呼んできましょうか」  もしかしたらケガをした生徒かもしれないし、と先生の所在を伝える。 「ねえ、先生不在って出てるよぉ、使い放題じゃん」  鼻にかかる独特の声で女の人が言った。男は俺のほうを見たまま視線をそらさない。睨まれているわけでもないのに、その視線に捕まったようにそらすことができなかった。漠然とした恐怖に襲われ、この人の前だとひどく身体がこわばってしまう。 「お前あれだろ、元柔道部、だっけ?」  視線をそらさずに告げられ息が詰まった。なにか言わないと、と思いながらも恐怖心から声が出ない。なんだこれ、こんなの知らない…。 「なにぃ、知り合いなのぉ? あたしは三人でもいいよぉ」 「うるせえぞビッチ。気が変わった、お前帰れ」 「え。急になんで? 今日はあたしとって言ってくれてたじゃん」 「チッ…うるせえ、“消えろ”」  女の人に告げた強い語調のコマンドは俺の脳内にも突き刺さる。彼女の目からみるみるうちに涙があふれ、がっくりと肩を落とし足取りもおぼつかない様子でその場を去っていった。これら一連の流れで、彼女がSubでこの男がDomであることを察する。消えろ、消えろ…と俺の脳内でも反響するそのコマンドから、逃げようにも逃げられない。今去っていった彼女にも緊急のケアが必要なのではないか、とよぎる。  男の視線は俺を捉えたまま後ろ手で保健室のドアを閉め、じりじりと寄ってくる。強い威圧感は俺の動きを封じているように重苦しく、呼吸すらもまともにできない緊張感と恐怖感が押し寄せる。 「お前柔道部の二年だったよなあ、Sub発覚で退部だろ。俺の相手しろよ。こんなでけえ大男を押さえつけるなんて良いネタになるわ」  やめてください、と言いたくても、首をクッと締め付けられているようで声が出ない。かろうじて呼吸だけはできるが、頭の中では何度も「消えろ」と囁かれ、逃げられない、動けない、消えなくちゃ、いなくならなきゃ、怖い…。 「…“跪け”」  男に言われるがまま、恐怖で震える身体を必死に動かし床に座り込む。身体全部が鉛のように重くてうまく身体が動かない。抵抗したいのにできない恐怖心に支配される。いやだ、怖い、消えなくちゃ、消えたい、助けて…。  男に顎をつかまれ上を向かされる。獰猛な目線に捉えられ、本能的にもう逃げられないと感じた。ニヒルな笑みに嫌悪感を抱く。 「いい顔するねえ、おもしれえ」  男が次のなにかを言いかけたその瞬間、保健室の引き戸が勢いよく開いた。 「桜井、なにしてるの!」  保健教諭が勢いよく駆け寄り間に入ってくれて、桜井と呼ばれた男は後から入ってきた教員たちによって取り押さえられ保健室から連行されていった。なにすんだ、放せと喚き声をまき散らしながら抵抗していたが、その騒々しさが保健室から遠ざかっていくと少しだけ安心した。  そいつと入れ替わるように相沢くんも駆け寄ってくれて、よろよろと立ち上がる俺の肩をそっと支えてくれた。 「結城くん、大丈夫? 結城くん、怖かった、よね…遅くなってごめんね」  震えた声が俺に語り掛けてくれて、ああ、相沢くんだ、相沢くんの声だ、と認識した途端身体中の緊張が解けた。脚に力が入らずふらふらと相沢くんに寄りかかる。保健教諭がなにかを話しかけてきているけど、頭がぼんやりしてうまく聞き取れない。教諭に返事をする相沢くんの声だけ妙にはっきり聞こえて、「僕は彼のパートナーです」と伝えていたのも聞こえた。 「結城くん、ベッドまで行ける?」  相沢くんに支えられながらなんとかベッドまで移動し横になった。ひどく疲れて力が入らないのに加え、さきほど男が発したコマンドが頭から離れない。不安がずっと付きまとい、自分がここにいていいのかも分からない。悲しくて寂しくてつらくて…。  「結城くん…あいつのグレアに当てられたんだ、きつかったよね。頑張ったね」  ぽつぽつとゆっくり相沢くんが声を掛けてくれる。思考のまとまらない頭の片隅で、あの威圧感がグレアだったことは理解できた。相沢くんはベッドの縁に腰掛け上半身で覆いかぶさるように抱きしめてくれた。俺の頭をゆっくりと撫でながら、いい子、頑張ったねと、とびきり優しく声を掛けてくれる。  ああ、相沢くんだ、と俺もその身体を抱きしめ返す。うまく力は入らないけど、胸のあたりの緊張が解けてようやく呼吸がしやすくなった。相沢くんの匂いを吸い込み安心した途端、涙が頬を伝う。 「…あいつが、消えろって、コマンド…使ってて、俺、動け、なくて、…なにも、できなくて…」 「大丈夫、もう、大丈夫だよ、僕がついてるから…」  自分は身体も大きいし体力もあるし、自分のことは自分で守れると思っていた。本能には抗えない現状に大きなショックを受けていたし、DomとSubの関係性を軽く考えていたことも反省した。  しばらく相沢くんと抱きしめ合い、呼吸を整えているとようやく落ち着いてきた。なにより、相沢くんの存在が今はすごく安心する。 「…相沢くん、ありがとう。落ち着いてきた」 「ん、よかった…」  俺の言葉に相沢くんはゆっくりと上体を起こした。なんとなく離れがたくて相沢くんの手を取ったら、俺の手を優しく握り返してくれた。 「僕が早く来なかったせいで、結城くんがつらい思いしたこと…本当に悔しい。怖い思いさせてごめんね」 「いや、そんなことない、結局来てくれたじゃん、それにさっきさ、パートナーって伝えてくれて嬉しかった」 「ああ、勢いで先生に伝えちゃったけど…結城くんの気持ちも考えずに、それもごめん」 「謝らないで…俺、もう相沢くんがいないと、全然ダメだ。さっきだって…。俺のほうこそ、パートナーになってほしいって伝えたかった」 「うん…僕からも、そう言いたくて」  お互いに気持ちが同じであることがようやく確認できて一つ安心できた。しかし、俺の中でまだ気になっていることが確認できていない。 「その、さ、変なこと聞くけど…杉山と付き合ってたりする?」 「え、杉山? なんで?」  相沢くんが素頓狂な声を上げたので、的外れな変なことを聞いてしまったとうろたえた。 「いや、最近すごい仲いいし、俺、邪魔しちゃ悪いかなあ、なんて思って」  自分の言っていることがひどく幼稚に思えて顔が真っ赤になっていくのが分かる。これでは二人の仲の良さに嫉妬しているのがダイレクトに伝わっているだけで、相沢くんにとっても迷惑な話だろう。 「僕と、杉山が…付き合うなんて…ありえないよ。ふふ、ごめん、笑っちゃう」  相沢くんは俺のお門違いな質問を気味悪がるわけでも馬鹿にするでもなく、ただ単純にツボにはまったようで笑っていた。なにか弁明をしようと俺も上半身を起こして、相沢くんに向き合う。羞恥で顔が熱い。 「いや、その、ほんと変なこと言って、ごめん」 「つまり結城くんは、僕が杉山に取られると思ったの?」 「…まあ、その、なんというか、そう、かな。もしかしたら杉山がSubで、もうパートナーなのかな、とか」 「いや、ないない」と言ってまたクスクスと笑った。俺のこれが杞憂で終わるなら問題はないわけで。  笑いの波が収まった相沢くんは俺をまっすぐ見据えて切り出した。 「でも、僕が付き合うなら結城くんがいい。僕は結城くんのこと、パートナーというよりももっと特別に思っていたから」  予想もしていないまさかの告白にドキッとして、先ほどとはまた違う意味で顔が火照っていく。ドクドクと脈打つ心臓がうるさい。特別という響きが心地よくて、同時に心の中で納得できた。俺が、相沢くんの特別になりたかったんだ…。嬉しさと愛しさが一気に膨れ上がっていく。相沢くんのほうも視線が泳いで、顔が紅潮していくのが見て取れる…かわいい、と素直にそう思った。 「…じゃあ、俺と恋人になってくれる?」  うつむきがちな相沢くんの顔を覗き込むようにして、目を合わせた。 「…うん、もちろん」  そう返事をしながら照れくさそうに微笑んだ相沢くんがさっきよりもかわいく見えて仕方がない。パートナーよりももっと近くにいける気がして、相沢くんをぐいっと引き寄せ包み込んだ。 「…俺、さっきまで最悪な日だったけど、今は最高に幸せ」 「僕も、最高に嬉しい」  二人でふふふと笑いながら抱きしめ合った。  今この腕の中に収まるかわいいパートナー兼恋人がたまらなく愛しい。相沢くんの隣にいていいんだ、俺だけの居場所なんだと特別を噛み締めた。  その日のそのあとは、養護教諭から調子を確認され早めにかかりつけ医に見てもらうよう言われた。桜井と呼ばれていた上級生についても、どうやら過去に二回ほど同様の事件を起こし停学処分を受けたことがあるらしく、今回で退学処分となることを聞かされた。 翌日さっそくかかりつけ医に出来事を報告し簡易検査をしてもらった。 「ホルモンバランスなどに異常はないですよ、きっとアフターケアがばっちりだったんだと思う」 「ああ、その、同級生でパートナーになってくれた人が、そばにいてくれて…」 「あら、よかったじゃない、相性が良くないとアフターケアもうまくいかないものよ」  グレアに当てられたSubの中にもトラウマを抱えてしまう人やカウンセリングが必要になる人も少なくないということ、緊急でDomからのケアをしてもらっても信頼不足や警戒心があると完全なケアにはならないことを聞かされた。改めて、自分でどうこうできるものではないのでパートナーとの関係が重要になってくるらしい。 「特に処方する薬とかもないからいつも通りの生活で大丈夫よ。通院したての頃よりずっといい表情してるもの、パートナーさんとの相性ばっちりなのね。よろしく伝えてて」 「はい!」  相沢くんのことを褒めてもらえた気がして俺までうれしくなる。自慢のパートナー、自慢の恋人…それだけで無敵になれた気がして、完全に浮かれてる自分に笑ってしまった。

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