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第10話

 黒木の家に泊まり込むことが増えた。  自分の家にいても、部屋に閉じこもっていても、気が休まらない。いや、自分が思っていた以上に気を張っていたという事実を、黒木に出会って知ってしまったからだ。  うちは両親と姉ちゃんと4人家族。やっぱりどうしたって聞きたくないことも聞こえてくる。自分に対する嫌な感情だけではなく、家族だからこそ聞きたくなかった、そんなものも中にはある。  それでも自分の部屋は一番気の休まる場所だった。黒木に出会うまでは。    黒木といると驚くほどリラックスしている自分がいる。少しも気を張らず、いつも安心していられる。  黒木は俺を傷つけない。それがわかるから心が穏やかでいられる。  黒木の隣にいるのが心地よすぎて、もう黒木のいない世界には戻りたくない。 「お、野間じゃん。はよー」  黒木の家に泊まった翌日、二人で登校していると校門前でばったり出くわした前の友達。  もう俺の中で完全に過去の友達になっていた。  いままではこれくらいが普通だと思っていた友達の重みみたいなものが、黒木という友達ができてまるで変わってしまった。  黒木とその他……みたいな、黒木だけ秀でていて、他はもうペラッペラの薄い紙切れ一枚くらいの重みに感じる。  存在すら忘れていた、と言ってもいいくらいに。  もう過去の友達だ、と思ってしまうくらいに。  黒木以外とは、心を開いて付き合うことができないから当然の結果だった。 「……おお、松下、曽根。おはよ」  駅の方から歩いてきた二人と、向き合う形で立ち止まった。  春まで同じクラスだった二人とは、三人でよくつるんで遊んだ仲だ。 「野間さ。最近付き合い悪くね? 遊び誘っても全然来ねぇしさ」 『せっかく気ぃ使って誘ってやってんのによ』    松下はちょっと拗ねたように言った。心で悪態をつきながら。  俺は心の中でため息をつく。こんなのはまだ序の口だ。 「あー……いつも断ってばっかで悪いな」    松下の隣で黒木をじっと見ていた曽根が、なにかを思い出したように声をあげた。   「ああ! どっかで見たことあると思ったら、確か入学式で答辞読んだ人だ! そうでしょ?」 「……そうだけど」  と黒木が答える。  初めて聞くその情報に、「マジで?」と言おうとした俺の口を曽根の心がさえぎった。   『なんだよ根暗で有名なやつじゃん。なに野間、ずいぶん底辺まで落ちたな。もうちょいつるむヤツ考えろよ』  底辺……?  曽根の言葉に思わずグッと手を握りしめた。  なんだよ底辺って。お前はカースト上位にでもいるつもりかよ?  口で言ってくれれば言い返せるのに。それができないのが悔しい。 「……黒木が答辞読んだとか俺知らなかったわ。あ、コイツ黒木っつーんだけど、すっげぇ良いヤツでさ。一緒にいていまめっちゃ楽しいんだよね。悪ぃな全然遊べなくて」 「へえ。良かったじゃん。野間だけクラス別れたから曽根と心配してたんだよ。でもたまには俺らとも遊ぼうぜ? また誘うからさ」 『答辞読んだヤツって……え、あの根暗くんのこと? マジかよ。そんなのとつるんでるヤツ誘ったら俺らも仲間だと思われんじゃん……もう誘うのやめるか……?』  ああもう本当に嫌んなる。一年もつるんでたのに俺は二人のなにを見てたんだろう。  仲良くつるんでる分には、そこまで嫌な思いをしたことはなかった。まるで手のひら返しの上から目線に胸がムカムカする。   「てかさ。なんで野間、そっちから来たの? 方向違わねぇ?」  曽根に聞かれて、もう正直答えるのも面倒だった。  俺は人を嫌いになるラインの到達までは長い方だと思ってた。ある程度嫌な感情を見せられても、こらえることができていた。いままでは。  でもこの二人はたったいま、一瞬でそのラインを越えた。   「今日は黒木ん家から来たから」 「え、泊まったの? そんなに仲良いんだ?」 「親友だからな」 「…………へえ、そうなんだ」 『やべぇ、底辺と親友とかマジかよ。もう野間とは終わりだな』 「ははっ」  やべ。あんまりおかしくて思わず笑っちゃった。  ほんと何様のつもりなんだか。  俺の中ではもうとっくに過去の人間。とっくに終わってるよお前らなんか。 「松下、曽根」  俺は二人に笑顔で言った。 「バイバイ」  もう二度と俺に話しかけないでくれ。  そういう意味を込めた別れの言葉だった。  本当は言い返したい。ハッキリと言ってやりたい。  でもいまこの二人は、表ではなにも嫌なことは言っていない。心を読まなければ普通の会話だ。こんなことはよくあることだった。  でもここまで俺の心が拒絶するのは初めてだ。本当にもう二度と口もききたくない。  俺の親友を侮辱すんな。 「は? なにバイバイって……」  ポカンとする二人を置いて、俺は黒木の腕を引っ張り歩き出す。 「野間……」 『黒木……ごめん……本当にごめん……』 『なんで野間が謝るんだ。あんなのはいままで散々聞いてきた。慣れてるから気にしてない』 『……なんだそれ。そんなことに慣れんなよ……』 『それにこれは自業自得だ。わかっててやってたことだ。…………だから野間。泣くな』 『……泣いてねぇよ……』  俺は制服の袖でグイッと涙をぬぐった。 『野間……ありがとな』  ポンと頭に乗せられた黒木の手のひらが優しくて、なぜだか胸が苦しくなった……。  

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