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第52話

 帰宅したあと、また俺は部屋に閉じこもった。  黒木の母親から浴びた毒で身体がむしばまれていくようだった。  黒木はあんなのを毎日十二歳まで耐えたんだ。誰にも頼れず、たった一人で。  俺は枕に顔をうずめ、漏れでる嗚咽を閉じ込めて泣いた。  いまの俺ですらこんなにつらいのに、小さい黒木はどれだけつらくて苦しかっただろう。 「……うっ……黒木……黒木……っ」    いますぐ黒木のところまで飛んでいって抱きしめてあげたかった。  俺の気持ちを知られたらもう抱いてもらえない?  そんなこと、もうどうでもいい。  呪文なんて、もうどうでもいい。    俺がどれだけ黒木を大好きなのか、心の声をいやっていうほど黒木に聞かせたい。    こんなに好きで好きでたまらなく大好きだって気持ちを、黒木にたくさん浴びせてあげたい。  十二年間もむしばまれ続けた黒木の身体を、大好きの気持ちでいっぱいにしてあげたい。    黒木がいつか好きになる人の大好きをもらえるまで、俺の大好きで我慢してもらおう。  あんな毒を浴びるよりずっとずっとマシなはずだ。絶対に。  黒木……会いたい……いますぐ会って抱きしめたい……。  だから早く帰ってこいよ……っ。  俺は布団にもぐって泣き続けて、そのうち泣き疲れて眠りに落ちた。 『――……なんでよっ。気分転換に出かけたのになんでもっと沈んで帰ってくるわけ? ほんっとお父さんの役たたずっ!』  なんだ……? 母さんすげぇ怒ってる……。  感情の高ぶった心の声は、二階の俺の部屋でもはっきり聞こえた。相当怒ってる証拠だ。  今聞こえてきた心の声を、寝ぼけた頭で脳内処理してやっと理解した。  あ、父さんのせいになっちゃってる……。 『ほんとなんなのよっ。黒木くんがアメリカに行った? そんな大変なこと、いま頃になって話してくるしっ。黒木くんの家に連れていったら悪化して帰ってきたってっ。バッカじゃないのっ。あーもーお父さんのバカバカバカバカッ!』  ええ……。俺のせいでケンカしてんのかよ……マジか……。   父さんの心は聞こえて来ない。  きっと母さんに怒られてめっちゃ落ち込んでんだろな……。  これ行って助けるべきだよな……。でも俺たぶん顔ひでぇことになってると思うんだけど……。あーでもそんなの、いまさらか。  泣きすぎて重い頭をなんとか起こし、ベッドからはい出る。  そのまま部屋を出ようとして、そうだシャワーに入って着替えよう、と思い立った。  さっき黒木の家から持ち出した紙袋の前に座り、中をのぞき込む。 「ごめん黒木……勝手に持ってきちゃった……」  あのとき詰め込んだ黒木のパジャマを取り出して、俺はそっと顔をうずめた。  黒木の使ってる柔軟剤の匂い。それと黒木の家の匂い。黒木がいつも着てるパジャマだ。  黒木の母親が見てる前で紙袋に詰め込むのはちょっと勇気がいった。でも何年もほったらかしでどうせ会ってもいないんだろうと思ったら、黒木の服かどうかなんてわかるわけないか、と開き直った。案の定なにも言われなかった。    会いてぇよ……黒木……。  帰ってくるよな……絶対帰ってくるって信じてるからな……。    風呂上がりに着ようと取り出したけど、ちょっと待てよと思い直す。  着ちゃったら洗濯しなきゃダメじゃん。そしたら黒木の匂い消えちゃうじゃん。でも着たい……。  紙袋からもう一着取り出した。  黒木が休みの日によく着てる青のシャツ。サイズが違いすぎて外では着られないけど、つい持ってきちゃった。せめてこっちは洗濯せずに置いておきたい。  俺はハンガーで壁にかけてみる。うん。黒木がここにいるみたいで安心する。でも……なんか遠いな……。  ハンガーから下ろしてじっと見つめて、ふと思いついてクッションに着せてみた。  うわっ。まって、俺なんか変態くさいっ。恥ずっ。  でも……これならぎゅってできるし一緒に寝られるじゃん。やばい……いいかも……っ。  黒木の青シャツを着たクッションを枕元に寝かせてみた。  うわっ。うわっ。やばっ。    ……今日早く寝よ。    ちょっと元気が出て、俺はパジャマを持って部屋を出た。  居間階段を降りると、母さんがキッチンで夕飯の準備をしてた。 『あ、徹平……。また目の腫れ酷くなってる……』 「徹平ー。今日ハンバーグだよー。あんた好きでしょ? 上に乗せるの、目玉焼きとチーズどっちがいい?」 「……ハンバーグ…………」  そういえば黒木とハンバーグ食べに行くって言って、結局行けなかったな……。  またじわっと涙がにじんだ。    『ええっ。なんでハンバーグで泣くのっ? もうなにが地雷かわかんないっ』  普通を装って心の中でオロオロする母さんを見てると、黒木の母親を思い出してさらに涙があふれる。  俺……本当に幸せだな……。  黒木も俺んちの子になれればいいのに……。 「俺、目玉焼きがいい」 「えっ、あ、うんうんわかったっ。目玉焼きね、半熟頑張るっ!」 『よかった、地雷じゃなかったみたいっ』 「俺、シャワー入ってくる」 「あ、ちょうどお風呂沸いたところよ」  いつも父さんの仕事上がりに合わせて風呂を沸かすから、その前にと思ったけど今日は早かったらしい。   「……じゃあパッと入ってくるわ。あ、父さん来たらさ、黒木んち連れてってくれてサンキュって伝えておいて。ちょっと元気出たって」 「……あ、わかった。伝えるね」 『うそっどうしようっ。あんなにお父さん責めちゃったのに、元気出たって……っ。やだもう……またドヤ顔されるじゃない……っ』  めちゃくちゃ嫌そうな顔の母さんを見て笑いそうになった。  とりあえず助けたよ、父さん。    

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