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似たものどうしの犬とネコ
俺は小太郎を撫でながら、白衣の看護師を見上げた。この人の格好からして医療施設だろうと予想できる。でもそれなら動物が居るのはおかしいか。動物、動物・・・・・・?
「あ、そっか」
口を開いたそのタイミングでもう一人、白衣の男性が部屋に姿を見せる。
「すまなかったね、今さっき退院した子のご家族と話が長引いてしまった」
看護師は途端に表情を輝かせ、入ってきた男へ笑顔を向けた。
「もー、先生はいつも、こんなのばっかり拾って来るんだから」
「そう言わないでくれよ、それに今回のは俺じゃないよ」
にこやかに笑って看護師と話す男。見た目の年齢は三十代後半くらい、眠っていた時に聞いた声はこの人のもので間違いない。談笑する様子を見ると二人がかなり親密な関係にあるだろう事がじわじわと伝わってくる。
「うん、目が覚めて良かった。熱も下がってそうだね、でも念のために測っておこうか」
体温計を渡されて、脇にはさむ。
「君、名前は? 自分が路上で倒れたのを覚えてる?」
「いいえ」
俺は首を横に振り、林田蓮太郎と名前を名乗った。あの時のことはうっすらぼんやりとしか覚えていない、特にカラオケ店を出たあたりから記憶が曖昧だ。
「そうか、林田くんね。君を見つけた小太郎に感謝するといい。もしもあのまま誰にも見つけられなかったら、死んでたかもしれなかったよ」
「先生、それは冗談きついですよ」
その「もしも」に、ぞっとした。俺は小太郎をギュッと抱きしめて、項垂れる。フワフワの毛が頬を優しく撫で、あったかい生き物の温もりに胸が苦しくなった。倒れた責任は紛れもなく俺自身、あと先を考えずに無理をしてしまった事を後ろめたく思った。
「本当にありがとうございました」
素直に頭を下げる。その頭をわしゃわしゃと掻き混ぜられ、ハッとした。乱暴にも思える手付きだが、大きな手のひらに包まれているようで安心する。
「まあ、なんか訳ありみたいだし、落ち着くまでここに居ていいから。サビくん、あとよろしくね」
ドアが閉められ、看護師と二人きり——小太郎も入れて二人と一匹になった。目が合い、穏やかだった笑顔が豹変した。眉を釣り上げて、威嚇する猫のように睨まれる。
「お前っ! 全然いい奴じゃないじゃないかっ! 先生に色目使いやがって、でも残念ながら先生は僕の恋人だからお前なんか絶対に相手にしないよ! ざまぁみろ!」
看護師はフンっと鼻を鳴らし、勝ち誇った顔を見せた。
「え? なんなの?」
いきなり捲し立てられて唖然とする。たくさんの情報をいっぺんに与えられて頭が混乱している。あの人とこの人が恋人同士なのは見てたら分かったけれど、何で俺が詰め寄られてるのか。それだけじゃない、今この人『僕』って言った?
「おとこ?」
疑問が口からこぼれ出る。
「そうだけど何? 文句ある?」
憤慨した様子でまた睨みつけられ、慌てて鋭い視線から目を逸らした。小柄で長い髪に大きな瞳、おまけに看護師の制服、女のような容貌にすっかり騙された。だが言われてみれば声のトーンに違和感を感じる。
何も悪いことをした覚えは無いのに、敵意剥き出しの視線が痛いほど肌に突き刺さる。
「キャン! キャン!」
小太郎が間に入って鳴いた。看護師の男は小太郎を抱え上げてドアの方へ歩いて行く。
「先生に近づいたら、許さないから」
しつこく釘をさされ、口元が引き攣った。
「あなたが心配することは何もないです」
「人の言う言葉ほど信用できないことはない」
何やら意味深だが、それを言われても困る。俺は彼の望むように「わかった」と頷いてやり、ようやく信用を得ることができた。
完全に一人になってから、ため息をこぼす。少しずつ分かってきた。ここは動物病院の控え室、さっきの二人が獣医と看護師、もしかしたら他にもスタッフが居るかもしれない。あの日小太郎にパンをあげたおかげで、まさか助けられるとは・・・・・・何事も無くて本当に良かったと思う。
これからどうしたら良いのだろう。厚意に甘えてもう少し休んでいきたいけれど、もう眠気は微塵も感じない。やる事も無く、いつものようにスマートフォンを取り出した。電源ボタンを押すが、画面は付かない。たぶん充電が切れている。そんなに眠っていたのかと不意に不安になった。とにかくすぐに時間と日にちを確認したい。
控え室から外に出た。すぐそこは廊下で大きな窓がある。奥は備品庫だろうか、見慣れない器具や横文字の書かれた箱、ペットフードも積まれている。
反対側には下へ続く階段が伸びていた。ゆっくりとそこを降りる、踊り場を過ぎると獣臭とアルコールが混ざった臭いが鼻をつく。患者が来ているのか、診察室と見られるドアは閉められ、話し声が聞こえた。
「ウギャアアアア!!!!」
耳をつんざくような鳴き声に、驚いて足が止まった。
「大丈夫だよ~、すぐ終わるからね~」
「サビくんもうちょっと抑えられる?」
「はい、ちょっと強く抑えるね~ごめんね~」
中から会話が漏れて聞こえてくる。やはりここは動物病院で正解だった。声からして中にいるのはさっきの二人。「ありがとうございました」という女性の声の後に、ケージを抱えた夫婦が出てきた。
思わず壁の後ろに下がってしまい、何で隠れたんだろうと思いつつも、そのまま二人が出てくるのを待った。
壁の後ろに隠れてからしばらく経つ。いくらなんでも遅くないか? もしかして向こう側にも出入り口があるのか、だが中に居る気配はまだする。
ひそひそ声が聞こえ、痺れを切らし、そっと中を覗いた。親密な関係なのは分かっていたので二人がゼロ距離で会話をしてたのには驚かない。カルテらしき紙に視線を落としている白衣の男に、看護師サビが抱きついている。
それも、まだ分かる。
営業時間内だと思うが、締め切った診察室内。こうやって覗き込まなければ、外からの目線は断絶されている。猫をつれた夫婦は会計不要であったのか、待合室で待つことなく、すでに院内にいなかった。
たぶん、俺のことをすっかり忘れて積極的な・・・・・・違うな、わざと見せつけているのかもしれない。知らないが俺はサビに敵対心を持たれている。
俺が覗いている前で二人の絡み合いはどんどんエスカレートしていった。内緒話をするような声量だったのが、別の意味で怪しく落とされ、白衣の男はカルテをデスクに置くと、サビを正面から抱き寄せた。
「うわっ」
声を漏らさないように口を押さえる。
中で繰り広げられはじめたのは、男と男の濃厚なキスシーン。ついさっきまで見てた二人が別人のように、顔を恍惚とさせ絡み合っている。
「あっ・・・・・・|圭一《けいいち》そこは駄目」
「駄目じゃないでしょ、サビくんのここ、もうガチガチだよ」
「んっんっ・・・・・・気持ちいいっ」
白衣の男の手がサビという男の股の間で、せわしなく動いているのが分かる。しだいに白衣の内側に手が入り込み、何をされているのか男なら想像がついてしまう。
やがてビクンの腰を反らせると、白衣の男の胸にもたれ、妖艶に微笑んだ。目線は間違いなく、こちらに向けられている。
覗き見がバレた・・・・・・。咄嗟に後ろに身を引いた。反動で尻餅をつき、ドアが開くのと、にんまりと笑ったサビに見下ろされた。
「こんなところで何やってるの?」
「あれれ、見られちゃったねぇ」
しれっとした態度で濡れた手をぬぐいながら、白衣の男、圭一と呼ばれた男が顔を出した。サビは乱れた腰回りを隠しもせずに、男の腕に絡みつく。
「こらこら」
「いーじゃん、もう隠さなくても。今だって、わざとしたくせに」
二人は何やら喋っているが、先程の情事のワンシーンが目に焼きつき、仲睦まじい姿を直視できない。俺はそんなにウブでは無いと思うのに、やたらとドキドキするのは、俺自身に置き換えてしまえるから。相手はもちろん、鬼崎さん。
あまりにも衝撃を受けたので、急ぎの用件で降りて来たことさえも忘れていた。
「ほらこの子困っちゃってるから、変なもの見せてごめんね」
気づかってくれる声がして、また頭を包まれる感覚がした。髪を掻き回されるのは二度目だ。犬や猫の毛をわしゃわしゃとするみたいな愛情のこもった撫で方は、職業柄の癖なのかもしれない。
俺が撫でられている一連の姿をじっと睨みつけるサビを見て、そうゆう事かと察した。面倒くさい男だなと思いながらも、頭をわざと大きく揺さぶり不快感を示すと、鬼の形相だった眉間がわずかに柔らいだ。
白衣の男、改めて圭一さんは診察室を出て行く間際、軽い口調でサビに告げる。
「俺は奥の子達を見てくるから、サビくんは彼についててあげなさい」
その言葉で、サビの唇は氷水の中に投げ込まれたかのようにぷるぷると震え出した。
今やったばかりの小細工の意味が見事に無駄になった。
「先生、僕もお手伝いしますっ」
必死に追いかけて行く背中を見送り、しばらく待つと、むくれた顔のサビが戻ってくる。俺と二人きりだと、愛想程度も笑わない看護師に呆れを通り越して笑いが込み上げる。
「あのさぁ、ほんとに誤解してるみたいだけど、俺は別に君の恋人の事は好きでも何でも無いよ?」
それまで口をへの字に曲げて黙り込んでいたサビが眉を吊り上げて、じろりと目を細めた。
「嘘だね」
「どうしてそう思うんだよ」
刺々しい言い方で返してやると、恨みのこもった眼差しを思い切りぶつけられた。
「先生に撫でられている時のお前のアホ面を鏡で見せてやろうか? 憎たらしい顔しやがって!」
何でそこまで言われなきゃいけないんだろうと頭にきて、ムッとする。
「そんな顔してない!」
「してる!」
くだらない押し問答を繰り返すこと数分、我に返りふと思う。サビが毛を逆立てて激怒するような自分の顔が気になってきた。
「おい、俺はそんなにだらしない顔をしていたのか?」
こんな奴に聞くのは癪に触るが、恥と好奇心は後者の方がわずかに勝った。
サビは無言で指をこめかみに当て、これでもかというくらいに目尻を引き下げて見せた。
「こんな顔」
そう言った後に、口をだらんと半開きにする。絶対に馬鹿にしている、真面目に答える気がないんだとサビを睨みつけた。
「ふざけるな・・・・・・」
「ふざけてないよ、ホントだもん」
俺が凄んでもサビはまったく気にしていない。顔真似の真意はともかく、恥ずかしい顔を見せて惚けていたことは本当なのだろう。
理由は鬼崎さんを思い出してしまうからに他ならない。顔が熱い。火照った頬を指で摘んでつねってみる。ズキンと鋭い痛みが頬に広がり、この痛みが消えるのと一緒に、引きずった気持ちも無くなればいいのにと思う。けれど俺自身の思いに反して、指を離した後も、頬は痛みの余韻を残して熱いままだった。
「しおらしくなっちゃって、どうした?」
サビから声がかかる。こんな風にした一因のくせに、こちらの顔色が悪くなると、途端に眉を八の字に下げ、目を潤ませて覗き込んでくる。思わずときめいてしまうほどに、その顔は狡猾で愛らしかった。
羨ましい、突然そんな感情が降って湧いた。彼は傍に愛しいと思える人が居て、素直に甘える事が出来る。それに比べ、俺は惨めったらしく縋りついただけ。自分の姿を思い浮かべて苦笑した。自分たちと彼らとでは何が違ったんだろうか。俺たちは何を間違えてしまったんだろうか。
「あのさ・・・・・・」
「なに?」
「君とあの獣医の先生は、どうやってそうゆう関係になったの?」
「どうやって? 変な質問。普通に好きだから好きって告白しただけなんだけど」
「それって普通じゃなくないか?」
真っ直ぐで羨ましい。それだけで受け入れて貰えたことも羨ましい。サビは大きな瞳をくるくるとさせて「なんで?」と首を傾げた。
「告白する前に弊害・・・・・とか、考えなかった? 歳の差とか、性別とか、格差とか・・・・・・相手の気持ちとか、絶対に大丈夫って確証がないと告白なんてできないよ」
するとサビは大きく手を広げて大袈裟にため息をついた。まるで理解できないといった気持ちが溢れ出ている。
「好きなのに、どうして好きって言っちゃいけないのさ」
そう言いながら頬杖をつく。
「蓮太郎は好きなひとに好きって言えないの?」
「・・・・・・伝える前に拒否されちゃったから」
「ふぅん、かわいそ」
だよなと目を伏せると、ぺちんと頭を叩かれた。
「そうじゃなくて、たった一回で諦められちゃう蓮太郎の気持ちが可哀想」
「え?」
サビはぽつりぽつりと話しはじめる。
「圭一てさ、頭いいくせにお人好しだから、困っている子を放っておけないんだ。ひと月にいっぺんは何かしらを拾ってくる。僕もそれで拾われて。これでも昔は荒れてたんだよ。世に言う不良ってやつ? 警察のお世話にもよくなってた。圭一に助けてもらって更生しようって頑張ったんだけど、けど僕は圭一と違って頭が悪いから仕事なんてなかなか見つかんなくて。そしたら、うちで働く? って動物病院の看護師にしてくれた。僕が本名は嫌いだって言ったら、サビって新しい名前もくれた。圭一が飼ってた猫の名前なんだって。サビくんって圭一が呼んでくれるたびに、僕は僕を好きになれた。それ以上に、圭一のことが好きになった」
サビの声は真剣だった。安易に彼の境遇を羨ましいと思ってしまった自分が恥ずかしくなる。
「僕には圭一しかいなかったから好きになってもらえるまで食らいついたよ? それくらい好きだったから。蓮太郎のその人への好きは、たった一回で潰れちゃうような弱い気持ちだったの? もしそうなら仕方ないね、さっさと諦めちゃえ」
心の底から失礼な言い方だが、背中を押してくれているんだと伝わった。
サビの言うとおり、確かに諦めるのは早い。俺たちが仲違いをしてしまった原因は互いに想いあっていたからこそ。あの時に俺が拒んでしまったから、鬼崎さんは自分から身を引いたんだ。それなら何度でも伝え直して、やり直して、今度こそ受け入れてあげればいいんだ。俺自身に勇気がなかっただけで、本当は俺もそうなることを望んでいる。
「諦めたくない。でも俺、その人から逃げてきちゃった」
「じゃあ、早く戻らなきゃ。一緒にいたいって思ってるのに、一緒にいないのはもっと変だよ?」
「うん、ありがとう」
「頑張りなよ。あれ、そういえばさ、蓮太郎は何で下に降りて来てたの?」
その質問にアッと冷や汗をかいた時には、すでに空は夕焼けに染まりはじめていた・・・。
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