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鬼崎side:それぞれの落としどころ

 ◇◇◇  ・・・・・・昼間。 「———すみません、寺堂花枝(とうどう はなえ)の病室はどこでしょうか」  午後のナースステーション。カウンター近くで作業をしていた年配の看護師が、俺の声に気がついて顔を上げた。 「あら、息子さんかしら?」 「そうです、鬼崎といいます」  にっこり笑って頷き返すと、別の看護師たちも集まり騒ぎ立てる。 「寺堂さんは素敵な息子さんが二人もいらっしゃって羨ましいわ。病室は【四三三】一番奥の合い部屋ですよ」 「どうも」  病室を教えられ、そこへ行くと、四人部屋は貸し切りだった。目隠しの囲いカーテンが引かれ、丸椅子に腰掛けた一人の人影がなんとなく目に映る。  近くに寄ると、人影はゆらっと動き、カーテンに手をかけた俺の手を「待って」と止めた。 「来てくれてありがとう義兄さん、最後に声が聞けて嬉しいよ」  カーテン越しに男の声。 「・・・・・・宏紀か?」 「うん、あのときは声変わりもまだだったから、誰だかわかんないでしょ」 「ああ、大きくなったな」 「ふははっ、何それ、親戚のおじさんみたい」 「は、そうだな。母さんは大丈夫なのか」 「薬で寝かせてもらってるよ」 「そうか、迷惑かけて悪いな」  沈黙。会話がひと段落し、一時的に無言のときが訪れる。  カーテン越しに立ちすくんだまま、俺は口を開いた。 「宏紀、訊いてもいいか? あの日、俺に会いに来た日。お前は本当は何を言いたかったんだろうか」  質問した後に、見えない義弟の表情に目を凝らす。それから聞こえてきた「そうだなぁ」という声に息を凝らした。 「んー、謝罪とか? ほら、あのときに持ってたぬいぐるみ、あれを家から抱っこして行きたいってわがまま言ったの俺なんだ。そのことを無性に覚えててさ。だったら犬が暴走したのって俺が原因だったんじゃないかって考えたんだと思う」 「責任を感じてくれていたのか・・・・・・?」 「幼いなりにね。けど、たぶん純粋にそれだけではなかったよ。母さんが家を出て行くってわかって、俺も人恋しさから誰かに縋りたかったのかもね」  小さくて頼りなかった義弟を思い出す。  俺は間違えたのだと気がついた。あの時に宏紀と向き合って、優しくしてやれていたら。良い付き合い方を築けていたら、血が繋がらない義理だけれど、俺たちは良い兄弟になれたかもしれなかったということを。  ここだった。これだった。  俺の過去の中でたった一つ、変えられるべきだったこと。  だが俺は間違えた。欲しかった家族の形は、もう手に入らない。 「本当に悪かった・・・、あのときは酷いことをした」 「今さらもういいよ。あの頃の俺は嫌じゃなかったんだよ。俺は逃げなかったでしょ」 「なら来なくなったのはどうして?」 「父さんに痣とか怪我がバレたからだよ。義兄さんに矛先が向いたらやばいでしょ」 「それは・・・べつによかったのに」  むしろ叔父叔母に露見してしまえば良かったのかもしれない。俺がおかしいってことは、もっと早くに大勢に曝されるべきだったのだ。  そして俺は正しく罰せられるべきだった。  何もかもを清算してから、蓮太郎に出逢いたかった。 「宏紀・・・やっぱり顔見て謝らなきゃいけない気がする」  俺はカーテンに手を伸ばす。 「義兄さん、もういいよ、このままカーテンを開けないで帰ってよ」  頬の筋肉と手が引き攣った。 「おいっ」 「義兄さんと蓮太郎くんの二人のとこには、この人をもう二度と近寄らせないようにするから。今後はこの人の面倒は俺が見る。短い期間だったけどさ、俺にとってはこの人もちゃんと母親だったから、俺には大事だよ。義兄さんはこれで自由でしょ? だから、このままカーテンは開けないで帰って」 「勝手に決めるな、んなこと出来るか・・・・・・っ」  鼻息荒くカーテンを開け放つと、義弟は瞠目しながら振り向いた。 「しーっ、静かに」 「・・・・・・悪い」 「はぁ、馬鹿だね君たちは二人とも。会いたくなかったんじゃないの?」 「会いたくないよ」  俺はそう吐き出して、ベッドに寝かされた少女じみた母親の顔を一瞥する。 「けど、でも・・・・・・」  力を込めて拳を握る。  その先の言葉は紡げなかった。  どうしたら良いのか答えられない。  母が死んでも、義弟が死んでも、自分が死んでも、死んだ後も、きっと永遠に決断できないのかもしれない。  呆れた義弟に「また来る」と別れを告げ、病室を出ると、病棟内は患者の夕飯の時間帯だった。ガラガラと音を立てている配膳車。給食を思い出すような、トレー上にある全ての料理の風味が混ざった独特の匂い。  俺はそれらをすり抜け、ナースステーションに軽く会釈をしてロビーに戻った。  一面張りのガラス窓から通りを眺めている蓮太郎は、バスや雑踏を目を追っていて楽しそうだ。口角がふわっと持ち上がっている。  俺は立ち止まる。少しだけ佇んで、蓮太郎の様子を遠くから眺めた。 「お待たせ」  と言わずとも、 「待ってたよ」  と脳裏に浮かぶ蓮太郎の瞳が語る。尻尾を振る。  深呼吸をした。  胸の空気を入れ替える。  重たいのか軽いのかわからない足。  蓮太郎に向かう足を回れ右させて、俺が姿を消したらどうなるだろう。  蓮太郎は俺を探すだろうか。  生きた心地がしない。上も下もない深海でもがく。俺を絡め取っている糸は、俺を救い上げて助けてはくれない。  唯一、ぴんと強く太く張った一本以外は。  首輪に繋いだ、子ども頃の俺を引っ張ってくれたお散歩リードみたいに。  それから俺は考えるのを止め、惚けた顔で待っている蓮太郎のもとへ歩いて行った。  ◇◇◇  end

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