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【番外編】夢のような
【20.不届き者∶ライルside】
※二人が再会した時の話です──
「あーっ! ちょっと何してるんですかっ!!」
「────……っ!?」
誰も居ないと思っていた夜の庭に、怒った声が天へ響く。
ライルは突然の声に驚く。とても驚く。
同時に、心が震えた。目覚めて初めての事だった。
色褪せていく世界が色を取り戻した。
空に星が輝き始めた。
風が、ライルの髪を舞わせた。顔を上げろと、言うように。
足音が近づいてくる。
早足で近づいて来ているが、それでももどかしくて仕方なかった。
早く引き寄せたい。抱きしめたい。腕の中に、捕らえたい。
「そこは花壇ですっ、踏んだら許しませんからね!」
胸を掻きむしるほど欲し続けた声が、今、こんなにも近くに──
足元の芽吹く直前のツボミが風で揺れる。さわさわと流れる音は笑い声のようだった。
遠くから手入れされていない馬車の車輪の音がして、途切れない水音は、生まれた時からある噴水の音。
それよりなにより煩いのは、己の心臓だった。
ドクリドクリと脈打つ度に、ライルの体は熱を持つ。
震える拳を握りしめ、ゆっくりと、幻想が消えてしまわないようにゆっくりと、存在を確かめる。
「……聞いてますか?」
そこには、想像より小柄な青年がいた。
こんなに細い体で、一回りも大きな成人男性の世話をしていたのか。
しかもあんなに、丁寧に。
癖のある髪がふわりと揺れる。
戸惑うように揺れる視線がライルの服を辿り、顔を上げないまま、上目遣いでライルを見た。
驚いたように見開かれる瞳。
月光を集めて黄金色に輝くそれは、どんな黄金より美しかった。
「…………えーっと……」
戸惑う瞳と同じように、戸惑う声が小さくなる。
ダメだ。咄嗟にライルは思う。
消えてしまうと思った。また自分の世界から居なくなってしまうと思った。
黄金色の瞳が己から外れる。青年の足が僅かに後方へ動く。
──駄目、だ……っ!
「──申しわけ……ひぎゃっ!?」
ライルは、後先考えずに動いていた。
今ここで捕まえていなければ、幻となって消えてしまうと思ったからだ。
腕のなかに捕らえた小さな体は、抜け出そうと抵抗した。
逃げないでくれ。逃げないでくれ。もう二度と、自分の世界から消えないでくれ。
「ももももも申し訳ございませんすみませんでしたごめんなさい許してくださいーっ!!」
相手が怯えているのは分かっていたが、離してやる事はできなかった。
どんな罰を受けてもいい。だからどうか、もうこの者を己から奪わないでくれ。
どれほどそうしていただろうか。
ただ無我夢中で縋り付いていた青年は、気がつけば抵抗を止めていた。
「あ、あのぉ……?」
ライルの震える手を気遣うように、青年にしては少し高めの声が心配そうに尋ねる。
「大丈夫ですか?」と。
「……っ」
そして頭に、柔らかな感触が伝わる。
これも覚えている。覚えているとも。
小さくて、豆があって、ささくれもある手が髪を梳かす。
時折ささくれが髪にひっかかって、痛そうに手を引っ込めていたのだって覚えている。
その手がまた、ライルの髪を撫でる。
閉じ込めた体からは、彼の鼓動が伝わってくる。
そして声が、彼の声が──
「──……同じだ……」
「は?」
あの場所で待ち望み続けた声が、同じ声が、今ここに──……
────……
……──
「──」
「……ん」
「──あ、ライル様。起きましたか?」
「リク……?」
温もりに包まれたまま、ライルは目を覚ます。
頭上から聞こえる声が心地よい。
夢であったと気づくまで、しばし身動きもとらずに呆けていた。
だが、夢だと気づいた途端に半分閉じていた目を見開き、勢いよく顔を上げた。
「わぉっ!?」
「……っ、リク!」
「どっ、どうしました?」
静かだった部屋に、突如として叫んだ男。
そんなライルを驚きで見つめる瞳は、あの日と同じ美しい黄金色だった。
「……リク、だな……」
「まぁ……リクですね」
夢のような出来事だけれど、夢であっては困る。
そうであっては非常に困るから、夢現の中、あわてて覚醒したのだ。
すると驚いていた青年が、リクが、今度は困ったように笑った。
「どうしました? ずっと泣きそうな顔をしてますよ……」
「……そうか」
「怖い夢を見ましたか?」
そしてライルを引き寄せ、小さな胸にライルの頭を抱いた。
控えめな力で頭を撫でるリクの感触に、つい先ほどまで同じように撫でられていたのだと気づく。
リクは言った。“ずっと”泣きそうな顔をしていたと。
だから彼は、抱きしめていてくれたのだろう。
そう気づいたライルは、また泣きそうになって、リクの小さな体に顔を押し付けた。
開け放った窓からは夜空が見え、まだ夜が明けていないのだと知る。
「……怖いほどに幸せな夢を見た──」
皆が寝静まった静かな世界で、ライルは自らもリクを引き寄せ深く息を吐いた。
リクの手が頭を撫でて髪を梳く。
仕事を辞めたがらないから、まだ豆だらけの働く者の手だ。
けれどライルの髪を梳く手は、もうささくれで引っかかったりはしない。
彼が傷つくなど許さないライルが、毎日オイルを塗っているからだ。
「──だが……今の方が幸せだ」
「……怖いですか?」
「……いや──」
穏やかな鼓動は、夢ではない。
ランプを消した暗闇でも、確かにここに居るのだから。
「──もう恐れない」
もう何者にも、奪わせはしない。
【end】
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