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5 騎士様は魔法使い

 週に二回は通っていた酒場には暫しの休みをもらい、なんとか商品を確保し、騎士団に納品をすませたのはほんの昨日のことだ。  ここ最近の怒涛の日々を思うとぞっとする。母が動けないから家事のほとんどをミランがすることになったのも忙しさの一つの要因だ。  後半は少し母も元気になってきたので、炊事の手間がなくなったのが幸いだ。母は簡単なので悪いねえと申し訳なさそうにしていたけれど、作ってもらえるだけでありがたい。  父と共に別の町まで足を伸ばしていて、店番のほとんどを祖父に任せていたので、商品の数を把握できていない。ミランは客が来ない時間を見計らって書類とにらめっこして、どうにか棚卸しをすませた。  店の規模が小さくて助かるような、そうでないような。  初めての他の町への買い付けも、余裕がないあまり全然味わえていないし、散々な日々だった。  一息ついて紅茶を啜っていると、雪の照り返しで増した日差しを背に、私服姿の騎士がやってきた。 「こんにちは。今日はいい天気だな」 「いらっしゃいませ。小春日和というやつですね」 「詩的な表現をするんだな。もしかして趣味は読書か?」 「趣味というほどではないです」  ミランはカウンターの下に隠してあるフリューゲル騎士物語については触れなかった。物語の騎士が好きだなんて、本当の騎士に言うのは恥ずかしすぎるからだ。 「そうだ、いいレシピをありがとう。聞いていた通りにしたら美味しかったよ」 「良かったです。料理されるんですか?」 「ああ……、昔色々あって」  珍しく騎士が表情を変えた。言いにくそうななんとも言えない表情だ。いつも温和な彼の苦いとも言える感情が透けて見えて、ミランは聞くのをやめる。  女性関係で嫌な思いでもしたのだろうか、なんて下世話な想像をするのはいつものことだ。 「友人からかぼちゃをたくさん貰って食べるのに困っているんだ。何か良い案はないだろうか」 「かぼちゃですか」 「煮物とサラダにするのとスープ以外で頼む」 「あとは焼くか揚げるか、お菓子にするかですかね」 「あまり甘いものは食べないんだ」  肩を竦めた騎士に、母のスパイスクッキーを気に入っていたことを思い出す。とても甘いかぼちゃらしく、美味しいけれど量が食べられず、持て余しがちだという。 「農園をやっている友人で、毎年なにかしらの野菜を大量に押し付けられるんだ。去年はキャベツだった」 「なるほど……確かに一人暮らしには大変そうですね。うーん、おかずにするには、甘辛く味付けしたかぼちゃと、ひき肉でパイとか。グラタンなんかもいいですかね、カリカリに焼いたパンを混ぜれば甘さはましになると思います」 「ふむ」 「一番簡単なのは干したかぼちゃに塩とスパイスを振って炒って、スナックみたいにする方法でしょうか。干す時間はかかりますけど調理の手間そのものはそうかからないとおもいます。干すと長持ちしますしね」 「それならできそうだ。干すというのはどうすれば?」 「ざるとか専用のかごに入れておけばいいです。日中はお仕事で家にいないなら、放っておくだけでできますよ」 「……」  騎士は目を細め、小首を傾げた。ミランはなんとなく考えが読めてしまい、カウンターを出ると売り場の前に立って手で指し示した。 「大きなかごなら、こちらに」 「ああよかった。相談してみるものだな」 「冷凍のパイ生地なら、大通りの食材屋にあったと思いますよ。よければそちらもどうぞ」 「ありがとう。助かるよ」  売上が増えるのは喜ばしいことだが、ミランに言われるがままでいいのか心配になってしまう。つくづく自分は接客とか営業に向いていないと思う。だからといって何に向いているのかと言われると困ってしまうのだけれど。 「そうだ、今日は君に見せたいものがあったんだ。これを」 「……あ!」  騎士が懐から取り出した一枚の写真に、ミランはあっと声を上げた。  変哲のない紙切れの中、つやつやした栗色の毛を持つ馬がしっぽを振って駆けている。  動く写真だ。めったに見られないそれに、ミランの表情はぱっと輝いた。 「すごい、動く写真って初めて見ました! うわあ可愛いですね、靴下を履いているみたいだ。前言ってた騎士様の馬ですか?」 「そう、カスターニエという。足だけ毛が白いんだ。触り心地も良いんだよ」 「カスターニエ……そのままですね」 「名づけは苦手で」  カスターニエの意味はそのまま、栗だ。栗毛の馬につけるには素直すぎる名づけで、ミランはつい笑ってしまった。  動く写真は、時魔法が使える者が特別なカメラを使わないと撮ることができない。そもそもそのカメラがそう出回らないので、とても珍しいものだ。  カスターニエが撮影者の方に向かっているのか、だんだんと近くなって、途中で左右に画面が振り回される。声は聞こえないが、撮影者の慌てたさまがわかるようだ。 「これは騎士様が撮ったものですか?」 「いや、農園の友人が撮っている。彼は時魔法使いなんだ」  火、風、水、土の四大元素に適性がある者はそれなりにいるが、光、闇、時を持つものはごくわずかと聞いている。騎士の友人はとても珍しい力を持っているようだ。 「その友人はお仕事は何をされているんですか?」 「俺と同じだよ」 「そうなんですか。騎士様ってみんな魔法が使えるわけではないですよね?」 「そうだな。違うけれど、魔法を使える人が増えてきたいま、少しずつ魔法使いの割合は増えているよ。例えば、ほら」  ふいに騎士は片手を刀みたいな形にして持ち上げると、その拍子にカウンターに置いてあった雪だるまの飾りがふわりと浮いた。 「俺も風の魔法が使える。ほら、手を開いてごらん」  慌てて両手をお椀の形にしたミランの手の中に、木で作った雪だるまはことんと寝転がった。  ミランはぱっと顔を上げて、雪だるまがいた場所と自分の手とを見比べた。  魔法を見たことがないわけではないのに、騎士が風魔法を使えるというのが琴線に触れた。  騎士を見上げると、「まだできるよ」と暖炉の横の不揃いだった薪をきちんと並べ替えてくれる。 「……すごい! フリューゲルみたいだ!」 「懐かしいな、フリューゲル騎士物語? 俺も読んだよ。将来騎士になりたくて、けれどまだ魔法が使えるとわからなかったころ、フリューゲルの真似をして空を飛びたくて椅子から飛び降りてけがをしたことがある」 「ははっ……、騎士様もそんな時があったんですね」  フリューゲル騎士物語はいわゆる児童書に位置するもので、名前は知っているが読んだことがないという人も多い。しかし、口ぶりから、彼は子どもの時にそれを読んだのだろう。  今はこんなにも大きく逞しい彼の幼少期はどんな風だったのだろう。  少しだけ、ミランは彼のことが知りたいと思った。  その考えが自分から湧いてきたことに驚くとともに、祖父の言葉を思い出す。 『いい騎士様もいるんじゃよ』  ミランは、フリューゲル騎士物語の好きなところを語る騎士の整った顔を見上げながら、母のことを言ってみようかと思い立つ。  彼なら、もしかしたら……。 「あーっ! お兄さん、お兄さん!」  高らかな声はミアのものだ。冬の気配を連れて、帽子と耳当てでもこもこなミアが転がるように店に飛び込んできた。 「なんだか今日は会える気がしていたの! おばちゃんの犬のおさんぽをことわって来てよかったわ!」  ミアは隣の家に住む犬を可愛がっていて、時間があれば散歩に一緒に行っている。おそらくそのことを言っているのだろう。  騎士はそんな事情もしらないだろうに、「わざわざ俺のほうを優先してくれたのか?」とにっこり笑って、ミアが掴んでいるけん玉を指さした。 「練習の成果を見せてくれるかい?」 「もちろんよ! ミラン、歌って!」 「えー、また俺?」 「みーらーんっ! おねがいおねがいおねがーい!」 「恥ずかしいんだけど……」  美声の騎士の前で歌うのは忍びなかったが、ミランはしぶしぶ口を開く。  ミアに付き合っていたのが練習になったせいで、つっかえることも間違えることもなくなったのは幸いか。  一生懸命けん玉を操るミアも、一度もつっかえることがなかったどころか、歌の最後のフレーズのところでは剣先に玉をこつんと乗せてみせた。  そんな練習をしていたのはミランも知らなくて、つんと顎を上げ、両手を腰に当てて得意そうにするミアに心からの拍手を送る。 「すごいな、よくできたじゃないか! たくさん練習した?」 「うん、ミア、がんばったわ! お兄さんに見せようと思ってがんばったのよ」  ミアは騎士の大きな手に髪を撫でられて嬉しそうだ。脇の下に入れた手で身体を持ち上げられて、「ミアの頭よりおおきーい!」なんて遊んでいる。 「お兄さんとミランはおんなじ男の人なのに、こんなにちがうのね。ちょっと手を合わせてみせて?」 「はっ? ミア、何を」 「ミランって手が小さいのね! ミアのあたまの方が大きいわ!」  ぐいぐいくるミアを避けられず、騎士と手のひらを合わせることになってしまった。手のひらの大きさも指の太さも、二回りは違う。なにより騎士の手は厚みがあった。そのぬくもりに驚いているのか慄いているのか、ミランはわからないまま手を引っこめようとしたが、何を思ったのか、騎士がもう片方の手をぐいと絡めてきた。 「……でもミア、彼は指が長いみたいだ。見てごらん」 「あれ、おとうさんとひとさしゆびはそんなに変わらないのね。おもしろーい」  子どもは遊びを見つける天才だ。自分の指を定規みたいにして騎士とミランの指の長さをミアいくつぶんと名付けては遊んでいる。   「それにしても、ミアの手に負けず、君の手は柔らかいな。それはそうか、俺みたいに剣なんか振らないよな」 「いや、子どもと同じってことはないでしょう……」 「何か手入れはしているのかい?」 「母の知り合いが作っているクリームは塗ってますけど……それは売ってませんよ」 「はは、俺は君の母上に弱いようだ。彼女のものばかり良いと思ってしまう」  手を重ねているせいでこれまでになく距離が近く、ミランは落ち着かなかった。やっとミアが落ち着いたのを見計らって手を離すと、とたんに寒さを感じたのがおかしい。  人と手を合わせるなんて、幼少期の手遊び以来のことだ。右手だけが熱を持っている手を、ミランは持て余すようだった。 「ところでお兄さんはミランをミランってよばないの? ずーっと君って言って、それは失礼だわ!」 「お、おい、ミア」 「かわいいなまえは呼んであげなくちゃ。ミアはミアの名前もミランの名前もだいすきなのよ。みーって、ねこのなき声みたいでかわいいじゃない」 「それはすまなかったね。ミラン君と呼んでもいいかい?」  騎士はミアに愉快そうに謝ったあと、ミランのほうを見てそう尋ねた。  ミランはこれで断るとミアが騒ぎ出すだろうからと頷くと、ミアは気に食わないのか頬を膨らませている。 「ミランはミランよ! 君なんかいらないわ」 「あのな、ミア、大人には敬称っていうものがあって」 「ミランってばうるさい」 「うる……」  二の句が継げなくなったミランに、騎士は声を上げて笑った。 「こうなると俺も名乗らないとフェアじゃないな。俺の名前はアデル・シュルツだよ」  アデルと名乗った騎士の青い瞳がきらりと輝く。眼鏡と髪の毛の向こうで、ミランは彼に認められたようにふと思った。 「アデル……様」  自分の声が上ずっているように感じて居心地が悪い。しかし、そう感じているのはもちろんミランだけらしかった。  ミアはうんうんと賢しらに頷いて、一本の指をぴっと立ててみせた。 「アデル、うん、アデルね! かっこよくていい名前だわ。でもアデルはミランよりお兄さんだからアデル兄って呼ぶ。いい? アデル兄」 「構わないよ、お姫様」 「ミアはお姫様じゃないわ! 将来は魔女になりたいの!」 「そうなのか? ちいさな魔女さん、よろしければ魔法をお見せしましょうか?」 「えっ! アデル兄、魔法が使えるの?」  おもむろにアデルはミアを抱っこして、そのまま宙に放り投げた。  咄嗟に手を出したミランだったが、ミアは大きい瞳をさらにまあるくして宙にぷかぷか浮いている。  風魔法で人を浮かせているのだった。今までフリューゲル騎士物語の現実味について考えたことはなかったが、もしかするとアデルは馬で空を駆けることができるのかもしれない。  そのアデルはきゃーっと奇声めいた声を上げたミアのおでこをこつんとつついた。 「どう? ミアも魔法使いになれそうかい?」 「……すごーい! すごい、すごいわアデル兄!」  さっきのミランもおそらく似た反応をしていたのだろう。アデルの楽し気な笑みを見て、ミランはそう思った。  ミアは天井に触れて、汚れたと叫んでは笑い転げている。  ミランはぞうきんを渡してちゃっかり拭かせ、ミアにお駄賃としてクッキーをあげた。  スパイスが好きだというアデルにはスパイスティーを出し、三人でお茶の時間を過ごした。  途中、ミランは客対応で一旦抜けたが、その間にもアデルとミアは親子のように寄り添ってずっとおしゃべりをしていた。  制服姿の彼から漂う威圧感は一切なく、こうしてみるとただの優しいお兄さんといった風だ。  しばらくして、約束があると店を出て行ったアデルに、ミアがけん玉の技を見せてもらうのを忘れたと追いかけようとしたのは別の話だ。  ミランも、ミアの落ち込んだ肩を見て、母のことを言い忘れたことに気が付いたのだった。

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