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6 決着

 クラウゼ道具屋に来る客は近所の人がほとんどだ。  時々、旅行者が地域のものを求めてふらりと立ち寄るくらいは、見知った客しか来ないと言える。  つまり、トラブルらしいトラブルが起きるのは例の騎士が来た時くらいしかない。  その日、いつもは叩きつけるように開かれる店の扉が普通に開かれたその時点で、ミランの警戒心は天井近くまで達していた。 「よう、道具屋。今日も来てやったぞ」  例の騎士は、珍しく一人ではなかった。取り巻きに見覚えがあるのは、酒場で見た金縁の服のうちの二人だったからだろう。  ブーツを履いた三人組が歩く様は見事に物々しかった。まるで映像作品のようと感じるのはただの現実逃避か。 「……いらっしゃいませ」 「礼が足りねえな。もっと気合い入れて頭下げな」 「……」  騎士の言葉に、取り巻きは愉快そうに声を漏らす。酒屋で見た時からわかっていたとはいえ、ろくな者たちではない。  カウンターに顔が近づくほど頭を下げていたミランの頭上に、ばさりと紙が落ちてきた。 「舐めた仕事してくれたな。不備があったんだよ、どう落とし前してくれるんだ」  書類は先日の急ぎの納品についてのものだった。ミランが知らない書式だったので、騎士団の内部文書かもしれない。  業者相手に見せてもいい書類なのかわからないままとりあえず目を通すと、ご丁寧に赤で不足があると書き入れた紙が貼ってある。  納品の時、この騎士ではなく、納品先の部署で商品の突合せをし、問題なかったと父から聞いていた。  そもそも納品前にも確認している。あれから少し経った今になって発覚する問題にしては怪しいと言えた。  しかし、それを指摘する権利はミランにはない。  ミランは「確認しますのでお時間をください」と、家にいるだろう父を呼ぼうとしたが、それよりも騎士が「こっちだって大ごとにするつもりはねえんだ」と意味深に引き留めるのが先だった。  カウンターは商品を置く台でもあるが、そう大きいわけでもない。  向かいに立った人が手を伸ばせば十分に届く距離だ。  おもむろに騎士はミランの顎を掴み、無理やり上を向かせた。 「……やっぱり。どっかで見たと思ったんだよな。お前、あの酒場の店員だろ?」 「……や、やめてください」 「ふん」  騎士はミランの眼鏡を取り上げると、取り巻きの一人に渡した。 「あれ? これ、度が入ってねえぞ」 「はあ、顔を隠すためだったって? 自意識過剰と言いたいところだけど、まあわからなくもないな」  かさついた騎士の指先が存外丁寧にミランの前髪を左右にかき分ける。  ミランはけして自分の顔が好きではないが、もの好きがいることを知っていた。  ミランが酒場では厨房ばかりであまり接客をしたがらないのはこれが理由の一つでもあった。  アーモンドの形の瞳に薄い鼻と唇。自分では印象が薄いとしか思わない顔だったが、見る人によってはよく見えるらしい。 「この泣き黒子がエロいねえ」  舌なめずりをした騎士がミランの右頬をこするようにする。ぞ、と背中に雪の束を突っ込まれたような寒気が走った。 「騎士様、手を、は、離してくれませんか」  ミランの声が無様に震えていたのが、彼の嗜虐心に火をつけたのだろう。騎士はミランの頬をごく軽い力で何回も叩いた。 「大ごとにするつもりはねえと言っただろ。なあ、どうすればいいかわかるだろ?」 「……わ、わかりません」 「そんなはずないだろ。後ろの奴らはおまけだから三人ともとは言わねえよ。ちょっと尺ってくれればいい」  騎士が立てた親指でミランの唇をこする。 「ひでー。俺らおまけだってよ」 「今日はって言ってんだろ? ちょっと黙ってようぜ」  取り巻きたちの言葉はなんの救いにもならない。むしろこれが一度で終わらない可能性が高くなっただけだ。 「……不備ならきちんと担当部署と話しをしますから、手を離してください」  「わからずやだなあ。ちょっと気持ちよくしてくれたら今回のことは不問にするって言ってやってるんだぜ。配慮だよ、配慮。当然受けるよな?」  こんな時に限って他の客は来ない。否、あまりの雰囲気の悪さに店を外から覗いても入るのをやめてしまっているのだろうか。  ミアが来る日ではないのがまだ救いだ。母が体調を崩して仕事を休み、しばらく家にいると言っていたから。  大きな物音を立てれば家族の誰かが気づいてくれるだろうか。手近なものを探そうとうろつかせた視線を、しかし騎士は目敏く察知した。  ミランの口は騎士の手で覆われ、カウンターを回ってきた取り巻きに羽交い絞めにされた。  体格が違う。一般市民であるミランと、腐っても騎士である彼ら。捻られた関節はじわじわ痛み、ミランは騎士の手の隙間から呻き声を漏らした。 「暴れるなよ、それならこっちにも考えがあるぜ。おい、そのまま抑えてろよ」 「お? 俺たちもおこぼれにあずかれそうか?」 「口は使い物にならねえなら下かな。こいつ処女かな?」  騎士はミランの身体を引きずるようにして床に押し付ける。腹の上に例の騎士がどかりと座り、頭の上の方で手と口を塞ぐのは取り巻きの一人。もう一人はミランの足首のほうに回って一切の身動きも許されない。 「ン! ンー!」  重りのような巨大な体にのしかかられたミランは、動かせる部位は全て動かしたが、あまりにも暴れるせいで横っ面を叩かれた。  恐怖で目の前が真っ暗になるとはこういうことを言うのだろうか。ここまで酷い行為をされるなんて夢にも思っておらず、心臓が早鐘を打っている。  酒場の時は、意味がわかってもただのやじだと思ってあまり考えていなかった。気持ち悪いと思うだけだったそれが、行為という明確な形をもって、今ミランを傷つけようとする。 「やっと大人しくなった。ダメ押しにもう一回くらい張っておこうか?」 「顔が綺麗で抱いてやるのに、ボコボコになってたら萎えるだろ。お前こそ殴ってやろうか?」 「悪かったって、そんなに怒んなよお……」 「はは、怒られてやんの。馬鹿なやつだなあ」  彼らの会話はごく普通の友人めいたものなのに、行われているのはこんなに恐ろしいことだ。  ミランにも一応性行為の知識はあったが、男同士のそれなんて考えたことがない。  女性と違って出口しかないのに――否、彼らにとってはそれが出口ではないとしたら? 「――! っ、ンー!!」  再び暴れだしたミランは、大きな舌打ちをした騎士に何回も顔を張られた。歯で口を切ったのか、咥内で鉄臭い味がする。今まで経験したことのないしびれるような痛みと、がんがんと変な音を立てる頭。けっこうな力で殴られると確かに星が飛ぶらしい。視界が赤に青に白に、目まぐるしく変わり異常をつれてくる。  ひんやりとした手がミランが着ているシャツの首元にかかった。ちぎらずに一つ一つ外して見せることで、じわじわと真綿で絞め殺される心地になる。 「こいつ汗すげー。興奮してんのかな?」 「スキモノじゃん。てかこの腹、女より細いけど大丈夫か? ちゃんと内臓入ってる? デカイの入れたら破けちまいそう」 「興奮するよな。口から精液飛び出すくらい激しくしてやる」 「カワイソー。こいつに目つけられたのが運の尽きだったな、道具屋ちゃん?」  けして呼ばれたくはないが、ミランの名すら騎士たちはしらないのだ。ただそこに、食い物にできそうなものがあったから。道ゆく木になる果物をもぐような、彼らにとってこれはなんてことのない行為なのだろう。  家族の誰も、こんな状況に気がついてはくれないようだった。騎士たちが丁寧に押さえつけている身体は、もはやミランのものとは思えない。  冷や汗が止まらない細い胸板を、騎士の手が捏ねるように揉む。あまりの気持ち悪さに身体が大げさに跳ねた。 「感じてんのか? エロ」  ミランの否定も肯定も、彼らにとって意味のあることではない。  騎士がベルトを寛げる金属音は、まるで断頭台のギロチンの音のようだ。  ミランの腰が浮かされ、下半身の服が奪われていく。  はやし立てる声が遠く聞こえた。もうなんの音も聞こえない。  吹雪だ。ごうごうと、頭の中で鳴るのは自然の猛威だ。天災はどうしようもない。だからミランのこれも、どうにかできることではない……。 「――恥を知れ、下衆どもが」  その響きは恐怖に満ちていた。低い響きは地鳴りに似ている。  気が付くと、嵐みたいな突風が吹いて、男たちが宙に浮く。  けたたましい音を立てて店の商品が地面に落ちるのと、己の身体がすっかり解放されたと気が付いたのは、ほぼ同時だった。 「た、たいっ――」 「……貴様ら、このまま籍が残せると思うなよ」 「ぎゃああっ!」  声がこだましている。茫然としていたミランを助けたのは、何事かと店に顔を出した父だった。 「ミラン、ああっ……お前までも……! 頬がこんなに腫れて……病院に行こう、歩けるか!?」 「だい、じょうぶ……父さん、ごめん、商品が……」 「いいんだ、いいんだお前が無事なら……! 騎士様、助けてくださってありがとうございます……! 前々からそちらの騎士様には困らされていまして……」 「詳しく話を聞きたいが……まずはミランの身体が優先だ。すまないが、騎士団に電話をかけてくれませんか。私は彼を病院に連れて行きましょう」  父が大声で母を呼び、ミランは小さい時のように服を着せられた。  緊張が解けたせいで頭が驚くほど痛い。目を開けられないでいるミランの身体を、大きなものがそっと抱き上げた。 「さ、触らないで……」 「大丈夫だ。俺は何もしない」  その言葉を信じたわけではないが、先の騎士と違い、その手はしっかりと、温かな体温でもってミランの身体を支えてくれる。 「……アデル、様……」 「様なんてつけなくていい。どうかアデルと」 「アデル……様」 「君は頑固だ。カスターニエにそっくりだな」  笑いの振動が身体を伝う。それが子守歌みたいに感じて、ミランの意識は遠のいていった。  ***  その後、騎士たち三人は身分をはく奪されたらしい。街へ入るための市民カードも奪われたというから、彼らはこの国では生きていけず、隣国にでも行くことになるだろう。  さらに調査の結果、例の騎士はミアの母親が働いている工房にも無茶な納品を請うていたことがわかった。複数の工房に割り振って行うような案件を、一工房のみが任されていたのだという。  その工房も、先代が戦争被害者だった。クラウゼ道具屋と同じような状況だったと考えるのは、難しい推理じゃない。    なんにせよ、これでやっと、ミアの母親は普通に帰ってこられるようになるはずだ。ミアの喜ぶ顔が目に浮かぶ。ミランは散々な目にはあったけれど、物事が良い方向に動いたのは素直によかったと思う。  後日、制服姿で店に現れたアデルは、菓子折りと封筒を持ってきていた。  店で話すには目立ちすぎるということで、店番を祖父と母に任せ、父はアデルを家に案内した。  いつも四人で食事をとるダイニングに、制服姿のアデルがいるのはなんだかおかしかった。物々しすぎて似合わなかったのだ。  そんな彼はとても真面目な表情をして、立ち上がると深々と頭を下げる。  持ち出し禁止の書類が定位置にないことから、アデルは違和感を覚えて店に来てくれたという。やはりあれは外部の人間が見てはいけない書類だったようだ。あの騎士の考えが杜撰であって助かったが、アデルがそれに気づいてくれたからこそのタイミングだった。 「この度は大変申し訳ないことをしました。以前からかの者たちの素行の悪さは騎士団でも注意の対象となっていて、担当となっている店には私が個人的に顔を出していたのですが、抑止力としては足りえなかったようです。今後は団できちんと管理を体系化させて、このようなことがないようにさせていただきます」  隣国からわざわざ旅行者が買いに来ると有名な店の焼き菓子と、お詫びと称した封筒にはミランが見たことがない厚みの金が入っていた。迷惑料と、店の修繕代ということらしい。 「とっさに操魔がうまくできず、商品をいくつも駄目にしてしまったでしょう。壊れたものは戻らず心苦しいですが、使っていただければ」 「そんな、騎士様には息子を助けていただきまして、本当にありがとうございます。……ほら、ミラン」 「うん、父さん。アデル様、本当にありがとうございました。頬の腫れも引きましたし、他に怪我もありません」  親子そろって立ち上がり、頭を下げるのを見たアデルは、とんでもないと二人の身体を引き上げた。  そのあまりの力強さに、顔を上げたミランと父はまあるい目を合わせる。  広いとはいえないダイニングで、三人とも立っているのが滑稽だ。  どちらからともなく吹き出したそれを見て、アデルがわたついていたのが印象的だった。  怪我は治ったが、気持ちが落ち着かず、ミランは店番を父に任せて数日休みをもらっている。酒場もしばらくお休みだ。あの騎士たちはもういないとはいえ、続けるかどうかは少し考える時間がほしい。  業者と約束があると出て行った父を見送り、ミランは自分にはいただいた菓子を、アデルには母お手製のスパイスクッキーを出した。  熱い紅茶に砂糖を混ぜながら、ふと思い立つ。  そういえば、酒場にいた残りのあの三人の金の騎士はどんな人なのだろうか。銀の騎士達への反応を見るとあまり質が良いとは言えない。  ミランは今度は正直に、アデルにあの時のことを言った。もう彼に相談することをやめようとは思わなかったのだ。  アデルはぱっと顔を上げると、少しだけ考えるそぶりをしてから口を開いた。 「騎士団の人事に関わることだから詳しく言えないけれど、彼らも調査対象だよ。銀の子たちは実は調査部署の証なんだ」 「準騎士か何かだと思っていました」 「準騎士のうち、見込みがあるとされる人員がそのままスライドするんだ。表向きの身分は準騎士だから間違っていないよ。そうだ、彼が君に感謝していたよ。言う機会がなかったから伝えられなかったけれど、良い方ですねって」  銀の彼は水属性の魔法使いらしく、体を冷やすことができるから火傷などはしないらしい。ミランの布の気遣いは必要なかったということだ。けれど、きっとそういう話ではないのだろう。思いやりは相手が受け取ってくれたなら、それでいいのだ。 「酒場と言えば……あの時はありがとうございました。ずっと、お礼を言うのを忘れていて」 「気にしないでくれ。本当に、大したことはしていないんだから」 「いえ、俺はとても助かったので。先日のことも、ありがとうございました」 「……いいや。君に万が一がなくて良かった」  アデルの目は優しくミランを見つめていた。なんだかドキドキしてしまって、ミランは確かに美味しい茶菓子を、より大げさに褒めることで誤魔化した。  そんな意図もバレているのか、彼の瞳の柔らかな熱は一向に変わらなかったけれど。 「そうだ、ミラン。お詫びと言ってはなんだけれど、何か俺にできることはないだろうか」 「えっ……もう充分ですよ。お菓子も、お金もいただきましたし」 「それはなんというか、団からの補償みたいなものだろう。俺個人として、君にお詫びがしたいんだ」 「してもらう理由がないと思うんですけど……」 「俺と君はこんなに仲良くなったのに?」  そう言って不服そうにアデルが口を少し尖らせる。ミランはびっくりしてお菓子を取り落とした。  今まで知らなかったが、顔の良い男の可愛げな仕草には破壊力があるらしい。この人はもしかしてたらしか何かだろうか。自分は騙されているんじゃないかと、ミランは一瞬だけ真剣に考えた。 「じゃあ、そうですね……カスターニエに会ってみたいです」 「え? それでいいのか?」 「はい。それでいいんです」 「……そうか、わかった。ちょうど明後日が非番だから待ち合わせしよう。ミランは数日休むんだろ? 空いているかな」 「そうですね。その日までは休む予定だったので」 「よし。約束だ。……そろそろ団に戻らなければ。長居して悪かった」 「わざわざ来てくださってありがとうございました」  アデルを店の前まで送ると、祖父が拝むようにしてアデルに礼を言った。 「可愛い孫の命を助けていただいて本当にありがとうございます。騎士様に風のご加護がありますように」 「とんでもございません。ご老人、光の加護がありますように」 「ああ、騎士様からそんな言葉を賜れるとはこの上ない喜びです。ありがとうございます、ありがとうございます……」  片手を上げて颯爽と去っていったアデルを見送ると、ミランは祖父の手を引いて座らせた。アデルに会えた感動のあまり、杖を置いて立ち上がってしまったようだ。しわくちゃでつるつるの祖父の手は、アデルのそれと同じように温かかった。 「……じいちゃん、風の加護って?」 「ほ? ミランは知らんのかの。昔から、騎士様に伝わる伝説じゃ。はじまりの騎士様は強い風の魔力を持っていたとかで、騎士さまと風は切っても切り離せないんじゃよ」 「それってフリューゲル騎士物語と関係ある?」 「順番が逆じゃの。騎士様と風の伝承にのっとって作者が創作したのがフリューゲル騎士物語じゃよ。あの話は、もとは一冊の騎士道物語での。息子が早くに亡くなった父を弔うために、続きを書くというかたちで、今のような連作になったんじゃよ」 「……弔いのための作品なのに女性関係が激しいの……?」 「ほほほ。それは言いっこなしじゃ。大事なのは気持ちじゃよ、中身じゃあるまいて」  ほけほけと笑う祖父は生き生きとしていた。ミランが騎士の話に興味を持ったのが嬉しいのかもしれない。 「ちなみにのう、光の加護と返すのは、はじまりの騎士の誕生が、夏至の日だったからと言われておる。太陽が一番長く地上を照らす、そんな晴れの日への賛辞は、騎士にとって祈りの言葉なんだそうじゃよ」 「へえ……いい話だね」 「そうじゃのう。わしも好きな話じゃ。それにしても騎士様、かっこよかったのう……」 「あらやだ、お義父さん。なんだか肌艶がよくなったんじゃないの?」 「ほほほほほ」  母の混ぜっ返す声が明るく響く。  ミランは吹き出しそうなのをこらえながら、二人のためにお茶を入れに行った。

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