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8 時の魔法使いと邂逅

 担当の変更を言いに来た新しい騎士は、柔和な笑みを浮かべた若い男性だった。  銀の縁取りをした制服を身にまとった彼は、おそらく特別な身分にある人だろう。  アデルが配慮してくれたに違いない。今までの謝罪とこれからの挨拶、そのどちらもそつなく行ったその人に、また祖父が拝む勢いだった。 「隊長が目をかけているお店なのでくれぐれも丁寧にと言われているんです。それがなくてもぞんざいに扱うことはありませんが、身は引き締まりますよね」 「隊長?」 「アデル・シュルツ三番隊隊長です。……あれ、もしかしてご存じありませんでしたか?」  首を傾げたミランに、彼は額に手を当てて「あちゃー」と零した。  なんだか仕草がやかましい。芝居がかっているというか、悪い人ではなさそうだが、ちょっと変わった人のようだ。 「やってしまった……隊長、自分の身分を明かすのがお嫌いみたいなんですよね。自分は大したことないからとかいって……。五人しかいらっしゃらない隊長のお一人が、取るに足らないわけないのに……」 「そんなにすごい方だったんですか……。でもアデル様らしい気もします」 「そうですよね……そうなんですよ、おいおいと思う以上にそれがかっこいいんですよね! もしかしてクラウゼさん、隊長と仲が良いのですか?」 「ミランでいいですよ。仲がいいというのはおこがましいけど、よくしてもらってはいます」 「なるほどです、なんだか謎がとけました。わざわざ私に任命するから何かと思っていたんですよ。あ、こちらの風車印の干しブドウ頂いていってもいいですか? ……はい、ありがとうございます。ここの果物に目がないんですが、最近あんまり市場に出回らなくなって探していたんですよね。では、今後ともよろしくお願いいたしますね!」  と、彼は風のように去っていった。  随分おしゃべりな人だ。一人でくるくると表情を変えていて、見ていて愉快ですらある。  それにしても、アデルが隊長というのは驚いた。確かに酒場で立場がある人のようだと思っていたが、まさかである。  てっきり二十代かと考えていたが、その年齢で隊長は若すぎる気がする。三十後半にはさすがに見えないので、三十くらいと勝手に思っておくことにしよう。  さて、今日は酒場に行く日でもあった。悩んだ末にミランは仕事を続けることに決めていた。これで辞めるのは悔しかったからだ。  例の騎士と会うことはもうないだろうし、料理が気分転換になるのは本当だ。それに、今やめたら女将と主人も気にしてしまう。母が最近のことを話したらとても心配してくれていたというから。  女将の熱烈なハグに窒息しかけるという事件がありつつも、その日ももくもくと切って、混ぜて、煮て、注ぐ。開店してしばらく経ったころだろうか。  見知った顔が見えて、ミランの手は一瞬だけ止まった。  騎士服姿のアデルの横、長い髪を馬のしっぽのように縛った、目の細い彼。もしかして例の友人だろうか。  気になりつつもさすがに仕事を放りだすことはできなくて、アデルがちいさく上げた手に、会釈を返すだけに留める。  それに目敏くも気付いた店主が、ミランにこそっと囁きかけた。 「知り合いか?」 「最近お世話になった騎士様です」 「ああ、例の! へえ、いい顔だな。女にもてそうだね」  それはミランも常々思っている。そのわりに本人からそういった話を聞いたことがないので詳しくは知らない。  外は雪が酷いのか、二人して入り口で服についた雪を叩いていた。このぶんだと今夜の客足は悪そうだ。  料理の手を止めた店主にしたがって、ミランは皿の片付けを始める。皿の数が多いせいでどうしても管理には手間がかかってしまう。ひびや欠けがないかと細かく見ていると、厨房に入ってきた女将が「今日はふるわないね」とため息を吐いた。 「雪が酷いのなんのって。こりゃあ商売あがったりだわ」 「少し前はそうでもなかったろう。なあ、ミラン?」 「そうですね。俺が来たときは雪の量は多かったですけど、吹雪いてはいませんでしたよ」 「はあー、お天道様も気まぐれだわ。いや、今の時間はお月様かねえ」  頬に手を当てて困る様はやや哀れっぽい。店内の客はアデル達を含めて四組、いつもの二割くらいだ。  もう一人の接客が出勤する時間が近いにも関わらずこの入り方では、女将が嘆くのも無理はないかもしれない。 「すいませーん」  のんびりとした声が店に響いた。視線をやると、アデルと共にいた彼がゆるく手を振っていた。 「なあお前、あの騎士様が例の、ホラ」 「金髪のほうかい? へーえ、いい顔だねえ。さあミラン行っといで、ついで挨拶してきなよ!」 「あ、はい、じゃあ……」  夫婦の阿吽の呼吸に全くついていけないまま、アデルはひっつめた前髪をそのままに卓へ向かった。 「あー、君がクラウゼ君だね。こんばんは」  名を呼んだことから、どうやらミランを知っているらしい。アデルが話しているのだろう。  彼はかっちりした騎士服の上着を脱いで、首元をくつろげて頬杖をついている。家にいるような服装と、ゆるっとした話し方になんとなく気が抜けてしまい、ミランはいつもより締まりがないだろう笑みを浮かべた。   「こんばんは。雪がすごかったでしょう、大丈夫でしたか?」 「問題ないよ。これくらいなら前も見えるしな」 「そうそう、こいつは鋼の男だからぜんぜん大丈夫だよ。ね、俺はマルティン・ミュラー。こいつの親友。よろしくね」 「……時魔法使いの友人だ」  わざとらしいアデルの咳払いがおかしい。思ったとおり、彼はアデルの同期で友人の彼のようだ。 「せっかくだからおしゃべりしたいけど仕事中だしね。注文してもいいかな?」 「もちろんどうぞ」  マルティンはおすすめから二品、アデルは根菜のだし煮を注文した。気に入ってくれたらしく、注文するさいの声が笑っていた。 「なに、二人とも通じ合っちゃって。なんだかやらしいな」 「馬鹿かお前は。いいから飲め」 「うわっ。アデルがいじめる」  他人に無理やり杯を口元に押し付けるアデルなんて見たことがなくて、ミランは少しだけ驚いた。彼らには悪友という言葉が似合いそうだ。  厨房で注文を通すと、店主は時計をちらりと見てミランに声をかけた。 「今日はもう上がりでいいぞ。せっかくだからあそこの卓に合流したらどうだ?」 「あらいいんじゃない! 料理ができたら持ってってそのままいなよ。エプロンは預かるからね、少し待ってるんだよ! サービスのおつまみも付けちゃおうね」 「……」  またもや夫婦の阿吽の呼吸についていけないまま、あれよあれよという間にミランは送り出されてしまった。  ミランがエプロンを外していることに気がついたのだろう。アデルは厨房の仲良し夫婦と所在なさげなミランを見て状況を把握したらしく、自分の隣の椅子を引いてくれた。 「一緒に飲もうか」 「お邪魔します……あ、これどうぞ。アデル様にはだし煮と、マルティン様には揚げ芋とこちらですね。あとはサービスらしいので、よかったら摘まんでください」 「いいの、やった! 俺、トマト好きなんだよね。はあ、この丸いの見てるとトリシャに会いたいたくなってきた。トリシャが本気で笑うとほっぺたが赤くなって可愛いんだよなあ」 「お前は何を見ても同じことを言っているだろう……。ミランはワインでいいかな?」 「はい。ありがとうございます」  アデルが手ずからデキャンタのワインを注ぐ。葡萄の爽やかな香りが鼻に立ち上ってきた。柑橘も入っているのだろうか、それだけじゃない香しさもある。  財布にどれだけ入っていたか心配になりつつ一口飲むと、すっきりした渋みとほのかな甘さが舌を刺激した。  このワインは揚げ芋の塩辛さと絶妙に合っていた。実は賄い以外でこの店の料理を食べたことがなく、あまり考えていなかったものの、客入りがいいのもうなずける。酒とのバランスが良いのだ。  ミランはふと、自分が店で出しても良いレベルの料理が作れているのか気になった。  今まで意識したことのない職人魂が疼いたミランは、アデルに頼んで少しだけだし煮を分けてもらう。  今日は野菜を切ったのはミランで、味付けは店主がした。一口食べて、自分が新メニュー案にと店主に作ってみせたのとさほど変わらなかったので、ほっと息を吐いた。 「今日も美味いな」  そうアデルも笑っているから、きっと大丈夫なのだろう。  華やかさは比べようもないが、同じものを微かに返していると、マルティンがあごをぱかっと開けて変な顔をした。 「アデル“様”! ……それ、アデルが呼ばせてるの? いい年したおっさんがやることじゃなくない?」 「俺じゃない、そんな目でみるのはやめろ!」 「ええ……フライア育てたフリューゲルみたいで気持ち悪いんだけど……」 「……何ですか? それ」  ミランは眉を寄せた。フリューゲル騎士物語を愛読している身で知らない話があるのは座りが悪い。  しかしアデルは頑なに首を左右に振り、頑として答えないようだった。口がへの字に曲がって見えるほどだ。 「知らないのならわざわざ聞くことはないよ」 「ここで隠すって認めてるようなもんじゃん……」 「違う、俺はアデルでいいと言っている。ミランが礼儀正しいだけなんだ」 「……そうなの?」 「元から呼べる気はしてなかったですが、隊長と聞いて、さんと呼ぶ勇気はなくなりました」  その瞬間、ミランはアデルが椅子から転げ落ちたと錯覚した。  実際は背が高いぶん座っていても目線が高い彼が、机につっぷす勢いで沈み込んだからだが。 「……誰から聞いた? いやあいつか。新しく道具屋の担当になった?」 「そうです。もしかして俺が聞いちゃまずかったですか?」 「まずいということはないが、言うつもりはなかったね。……君は、騎士を嫌っているだろう」  確かめるようにアデルが言った言葉を聞いて、ミランは目を瞬いた。 「そんなに態度に出てました……?」 「君がどうという以前に、俺がそういった気配に敏感なだけだ」 「そうそう、こいつこう見えても繊細だから」 「やかましい」 「痛ってーッ!」  マルティンは叩かれた後頭部をすりすり擦ってはアデルを睨みつける。  睨まれたほうはどこ吹く風で、マルティンの目の前の揚げ芋をごっそりと自分の皿につかんではちまちまと摘まんでいた。  俺の芋! と叫ぶ彼らは正直言って、子どもっぽく見えた。  ミランは笑い出しそうになるのを咳払いで収めようとして、うまくできているのかわからなくなった。アデルが自分を凝視して、肩を竦めたからだった。 「おいー、酔うと暴力的になるのよくないよ!」 「酔ってなくてもお前は殴られるようなことばかりしているだろう」 「ひどいなあ。ねえ、こんなやつに様なんてつけてやることないからね。なんならアーとかアでいいんだから。」 「……それはさすがに誰の事かわからないと思います」 「かーっ真面目だなあ。ミランって呼んでいい? 君いい子だねえ、顔可愛いし。あ、隊長じゃない俺のことはさん付けでいいよね?」 「……」 「ばかアデルっ、なんでまた叩くんだよっ!」  今度こそもう駄目だった。ミランはどうにか吹き出しはしなかったが、肩をくつくつ揺らしながら言った。 「お二人、本当に仲がいいですね。寸劇みたいで面白いです」 「面白いって、よかったね。アデルはいっつも笑顔で煙に巻くからなあ。本当は結構胡散臭いのに」 「喧嘩か? 言い値で買おうか? それにしてもお前、今日ははしゃぎすぎだぞ」 「そっくりそのまま返しますぅー。いつもは流してばっかでこんなに俺に付き合ってくれないだろ」  二人のいつもがわからないミランに言えることはなく、ひたすらに仲の良さを感じる。  アデルはマルティンを同期と言っていた。十五からの付き合いならけっこうなもののはずだ。  ミランはこんなに気安い友と呼べる人はいないので少しうらやましい。 「……アデル様。俺、もう騎士が嫌いとは思いませんよ」 「……ん? どういうことだ?」  突然の話題でもアデルはついてきてくれた。この人はいつもミランの話をきちんと聞こうとしてくれる。  マルティンが言うように胡散臭いとは思ったことがない。いつだって、ミランにとってはいい人だ。 「今まで会ってきた騎士様には確かに困らされました。でも騎士様じゃなくても、いい人もいれば悪い人もいます。その悪い人が、今まではたまたま騎士様に多かった……。それをちゃんと理解してなかった、俺が幼かったんだと今は思ってます。だからアデル様が隊長でもなんでも、俺は気にしません」 「……そうか。君がなにか変われたなら、それはいいことなんだろう」 「はい。まあでも、隊長っていうと身分が高いのかなーとは思っちゃうので、気にしないっていうのはある意味嘘かもしれないですね」  そう肩を竦めたミランは、何故かマルティンに頭を撫でられた。 「えっ」 「君はなかなか魔性の気配がする。面白い。お兄さんが驕ってあげよう。お酒好き? もっと飲む?」 「え、払いますよ……」 「ミランに出させるくらいなら俺が払う。だから安心して飲めばいい」 「えー……」  アデルはやけにきっぱりと言い放つと、ミランを撫でていたマルティンの手を虫がいるかのように叩き落とした。 「同い年のくせに俺にはおっさんと言い、自分はおにいさんと言う。差別だ」 「はーあ? 俺みたいに毎日愛しのお嫁さんと過ごしてて美容ホルモンばしばしの32歳と、趣味は見回りです! プライベートは不器用です! みたいなお前と一緒にしないでくれる?」 「……お二人とも、32歳なんですか? 見えないです」 「……俺の周りはどうしてこう、知られたくないことを言うやつが多いんだろう……」  つまりミランと彼らはちょうど十違うということだ。気になっていた年齢がわかって少しだけ胸が弾むミランだった。  疲れたように肩を落とすアデルに、マルティンは「真面目な話さ」と急に凄む。 「どうしてそんなに女っ気がないの。見回り先でちょくちょく手紙貰ってるの知ってるんだよ」 「手紙をもらったところで、向こうはよく知らない相手だ。答えてどうする」 「それ本気で言ってる? お前はどうやって人と出会うつもりなの? 何事も最初は見知らぬ同士だろ」 「そんなの、仕事でもなんでも偶然会って、顔見知りから少しずつ話すようになって、お互い気になっていって……という流れだろう」 「お前のいうその偶然ってのに手紙は入らないわけ……?」 「ふむ」  アデルはその質問を、たっぷり数拍かけて考えてた。  いつもより静かでも酒場の喧騒のなかの空白を、ミランは何故か固唾を飲んで見守る。  そうしてアデルは、口を開く前にワインで喉を潤してから、思い切ったように呟く。 「手紙は、人為的な、出会いだ」 「……ああなんてことだ。ミラン、君、よくこんな大盾みたいな男と仲良くなったね。本当にすごいよ」 「大盾、ですか……?」  守りが固いとか、近寄りがたいということだろうか。ミアを相手にしている時なんてすごく自然で優しかったから、ミランは彼に対してそんな風に思ったことがなく、マルティンの例えはよくわからない。 「最初から優しかったですよ。壁があるとも思いませんでしたし。むしろ俺の方が警戒して壁があったかも」 「……もしかして、大盾じゃなくて扉だった……? 自分より鉄壁を見ると開くタイプの……」 「マルティン、お前はさっきから何を言っているんだ?」 「他人事みたいな話してるけど、お前とミランの出会いの話だよ!」  ぷりぷり怒って見せるマルティンに、ミランとアデルは顔を見合わせて鏡合わせのように首を傾げた。  意味が分からないのは彼も一緒らしい。親友のアデルがわからないことを、初対面のミランにわかるはずもないと言えよう。  二人ほどではないにせよ、それなりに酒が飲めるミランは勧められるがまま杯を重ね、面白おかしくこの会話を楽しんだ。  夜は更ける。窓の外の新雪の高さが、時間の流れをなにより雄弁に語っていた。

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