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20 給料三ヶ月分の

 出発してから半年以上経ち、季節が冬に差し掛かっても、帰還の知らせがない。  積もった雪を踏みしめて、三日に一度は彼の部屋に寄り、掃除と換気をし、帰る日を何度つづけたろう。  同じく主人が遠征に行ってしまったトリシャと共に、知らせを待ち続ける。それでも彼がいないことにどうしても慣れないでいたミランに、祖父が話したことがあった。  今まで話してこなかったが、と前置きしたのは、自身の妻――つまり、ミランの祖母のことだった。 「実はな、祖母さんは戦争に巻き込まれて死んだんじゃ」 「そう、だったの?」  チェスをミランに教えるために駒を並べながら、祖父はいつも以上にゆっくりとしゃべった。 「港町からここはそうは離れていないじゃろ? 顔を隠したかの国のものが、流れてきたことがあってな。その時、わしらはより内地のほうへ移動するため、街を出ようとしていたところじゃった。そいつは物見の塔を爆破してのう。祖母さんはとっさに、わしを庇ってその下敷きじゃ」  突き飛ばされたと思ったら、気が付いたら後ろに人は無く、轟音と砂煙が収まると、見えたのは瓦礫だけだったという。  愛する人の姿はどこにもなく、祖父は茫然としたと言った。  瓦礫から離れられないでいる祖父を襲おうとしたかの国の人間を、見回っていた騎士が身体を張って守ったという。祖母の名を呼んで今にも瓦礫に身を投げようとする祖父に、血だらけになりながらもその騎士は剣で敵を切り裂き叫んだ。 「『あなたにはその手に、これから守らなければならない命があるんじゃないか』とな。……そう、お前の父さんじゃ。まだ生まれたばかりで、歩くこともできなんだ。祖母さんは足が悪かったから、わしが抱えていたんじゃ」  父はおくるみに包んだ身体から小さな手を伸ばし、騎士の返り血で濡れた祖父の頬を、不思議そうに擦っていたという。きっと、それが血ということもわからない、そんな年だった。 「そのきょとんとした顔を見ていたらやりきれんで……。ここでわしまで死んでしまったら、この子に母親の最後を話す人もいなくなるとそう思ったんじゃ」  文字通り命をかけて、自らの愛する人たちを守った。  騎士の言葉が忘れられず、それからずっと、死に物狂いで生きたと祖父は語った。 「あの騎士様がいらっしゃらなかったら、わしはあそこであの子を置き去りにして、祖母さんのもとに行っていたかもしれん。あの世でそりゃあたんまり怒られたじゃろうよ。足が悪い代わりみたいに口が達者で気が強い、頭の良い人じゃったから。わしはなあんにも言えんで、情けなく頭を下げるしかなかったじゃろう」 「……ばあちゃんってそんなに強い人だったの?」 「おうとも。お前の父さんにはちぃとも似とらんじゃろ? そうじゃな、思えばリリーさんに似ているな」  母は確かにいつも元気で口が達者だ。そして、近所の子どもを庇って身を投げ出す強さもある。確かに祖母との共通点が多いと思った。 「祖母さんが、自分の代わりに尻を叩けるような強い女性を、お前の父さんに選んでくれたのかもしれんのう」 「確かに母さんは、はじめてあった時からこの人と結婚するって思ったって言ってた」 「なんと、不思議なもんじゃのう。もしかしたら祖母さんは魔法使いだったのかもしれん」 「何の?」 「うーん……光かの? 未来を照らす、みたいな」 「ははは、それじゃあミアも不思議な力があるかもね」  そこまで行くと魔法とかいう話ではないけれど、どこか夢があるその考えが、ミランはけっこう気に入った。 「そういえば、ミアちゃんは今でも騎士団で魔法を習っているのかの?」 「うん。魔法使い全員が遠征に行ったわけじゃないから。準騎士に面白い人がいるんだって楽しそうにしてたよ。ほら、うちの店にも来てくれてる……」 「ああ! あの銀髪の騎士様か」 「そうそう。名前も色と同じで、ズィルバーさんって言うんだって」  彼は準騎士なので、まだ部隊には配属されていない。もっとも、騎士団でも特別な身分にあるようだったから、ミランが知らない隊に所属しているのかもしれなかった。 「最近は寝込むこともなくなったし、よかったのう」 「そうだね。代わりに魔法を使うのが楽しいらしくって、夜でも電気をつけて遊んでるっていうから、レノアさんが困ってたよ」 「ほほほ。子どもらしいのう」  けたけた笑って、祖父は駒の動きと役を教えてくれた。特殊ルールについてはまた今度、と添えながら。  少しして、沈黙が続いた後、祖父は言った。 「待つ時間は長いが、待たせる方もまた、長いと思っているじゃろうて」 「……うん。アデルさんはそう思っていそう」  部下の前では見せなくても、マルティンの前ではむっつり不機嫌になって「早く帰りたい」と言っていそうだ。それが想像できたから、つい笑ってしまった。 「おーい。ミラン、今いいか?」  ふいに父の大声が聞こえた。外に出ていたはずだから、きっと店のほうだろう。祖父に断ってそちらに向かうと、仕入れを終えたばかりの父が機嫌よく笑っている。  普段が不機嫌なわけではないが、こうも明るい表情なのは珍しかった。 「何?」 「お前にいいものを持ってきた。トリシャさんからのお届け物だ」  父が勿体ぶってひらつかせていたのは封筒だった。野菜を乗せた台車を背にしていては、ぜんぜん格好がついていない。 「ご主人からの手紙に一緒に入ってたんだそうだ」 「――それって」  飛びつくように受け取れば、アデルからの手紙だ。彼の字は初めて見たけれど、真面目な性格らしく、ちょっと固い。  それだけで彼の気配を強く感じるのはどうしてだろうか。黙り込んでしまったミランの手にしっかり手紙を握らせると、父はぐっと拳を握ってサムズアップして、台車を引いていった。 「……何それ」  応援なのかなんなのか。肩透かしを食らった気分になりつつも、そっと封筒を開く。  中には一枚の便箋と、小さな緑色の石が入っていた。  石は手のひらの上でコロンと転がった。ちょっと見たことがないくらい澄んだ緑で、とても美しく光を反射して光っている。魔石だと思うが、それにしては宝石みたいだ。  便箋には『メリークリスマス。魔石を魔法具に取り付けてごらん』と、それだけしか書いていない。  もしかして、とミランはまろぶように自分の部屋に向かった。  途中でびっくりしている家族は、今は無視である。  定位置であるベッドサイドにある魔法具をよく見ると、小さいへこみがあった。そこに石を取り付けると、急に魔法具がぶるりと震える。 「うわ! ……わ、と、と」  あやうく取り落としかけてお手玉をするようにしていたら、『どうかしたのか?』と魔法具から声が聞こえた。  ――アデルの声だ。  びっくりして何も言葉を紡げず、返事ができないでいると、アデルがミランを呼ぶ声がだんだんと心配そうに大きくなる。 『ミラン? 聞こえている?』 「……あっ、あ! 大丈夫です! ちょっとびっくりしただけです!」 『……本当に? 何かあったわけではないのかい?』 「いや、魔法具を落としそうになって……」 『突然震えて驚いただろう。――ああ、時間がないな。その石はたいして持たないんだ』  この魔法具は遠距離の通信に耐えられるつくりではないが、魔石の力で少しだけそれができるようにした、とアデルは語った。 『残念だけれど、まだ帰れそうにない。もう少しだけ待っていて』 「はい……ずっと待ってます、俺」 『ありがとう』  鼓膜を震わせる音の響きに、ミランは鼻がつんとした。声が聴けるなんてまさか思わなかったから、このまま泣いてしまいそうだ。  けれど泣いたりしたら心配をかける。腹のあたりの服をぎゅうと握って、ミランは小さく深呼吸をする。 「アデル様、来年は、俺の家族と一緒にクリスマスを過ごしましょう」 『俺も? ……いいのかな』 「いいに決まってます。誰もいやだって言う人はいません」 『楽しみなお誘いをありがとう。素敵な予定ができた』 「体は大丈夫ですか? 怪我してませんか? 眠れてますか?」 『大丈夫。むしろ君のことを考えすぎて、夜眠れないくらいだ』 「……もう!」  ちょっと色っぽく話すなんてずるい。思わず涙もひっこんで、ミランは吹き出してしまった。  アデルも同じく愉快そうに笑ってから、声を潜めた。 『俺が無事に帰れたら、一緒に暮らさないか。素敵な約束を二つもしたら、俺は君のところに必ず生きて帰れるよ』  声がどこか遠くなり始めたのは、時間がない証拠なのだろうか。視界に入った魔法具の魔石は、みるみる間にその色をくすませている。  ミランは咄嗟に叫んだ。 「あなたを愛しています!」 『……』 「俺も、あなたと生きたいです」 『……君は本当に、びっくりするくらい潔い時があるな。本当に叶わない。俺も――』  言葉を聞く前に、その声は途切れた。  魔石は力をなくし、床にカツンと音を立てて滑り落ちた。今は最初の光の面影もなく、ただのくすんだ石ころのようだ。  もう少しだけでいいから、時間が欲しかった。そう願っても、石はそのきらめきを取り戻さない。  ミランは拾い上げたそれを、魔法具の横にハンカチを折りたたんで乗せた。  それからやはり家族に挨拶もそこそこに、雪道へ飛び出す。  冬以外なら走っていけるのに、歩みが遅くて嫌になる。何度も転びそうになりながら、持てる限りの全力で向かったのはトリシャの料理教室だ。  料理教室の前には人影があった。ミランは彼女の名前を大きな声で呼んだ。 「トリシャさん!」 「……ミラン君! あら、走ってきたの?」 「居てもたっても居られなくなって……」 「話したの? 魔石、入ってたんでしょ?」  マルティンの手紙に書いてあったのだろうか、トリシャは魔石のことを知っているようだった。意味深に笑うと、指を三本立ててくる。 「……何ですか?」 「あの魔石、お給料三か月分なんですって」 「……!? あんなに小さいのに!?」 「すごいわよね。しかも隊長のお給料よ? 一体いくらなのか怖いわよ。マルティンは口止めされたっていうけど、ミラン君は愛の重さを聞いておくべきだって、伝えてくれって」 「……確かに重いですね……」  しかし、悪戯っぽく笑うマルティンが脳裏に浮かんで、ミランはつい笑ってしまった。  トリシャは「アデルさんもけっこうな人よね」と肩を竦めた。  彼女はふと空を見上げる。夕日がちょうど落ちるところだ。オレンジ色の光が街に射す。 「風の加護、って言うじゃない?」 「ええと、騎士様へおくる挨拶のことですか?」 「そう、それ。じゃあ時魔法使いはどうなの? って思っちゃうの。マルティンにあるのは風の加護じゃなくて時の加護じゃないって」 「……確かにそうですね」  そう言いながらも、彼女は気丈に振舞っていた。その笑顔がいつもより華やかに見えるほどだ。  「時魔法使いが戦場で役に立つのって、主に味方が怪我をした時なんですって」 「それってもしかして」 「怪我している場所の時間を止めるってこと。そうすると、マルティンは必然的にけが人が多い前線に配置されることになる。衛生兵の場所にいるには、彼の力が強すぎるのよ。応急処置ができるくらい力が強い時魔法使いは、今の騎士団に彼しかいないんですって」 「……」 「アデルさんも前線でしょ? ……待つほうは怖いわよね。わたし、あの手紙、開くまで勇気がいったわ。マルティンの字だから心配ないと思っても怖かった」  ミランが考えない角度で、トリシャはものを考えている。ミランははっとした。  でも、二人とも、待つ立場であるのは一緒だ。 「さっきちょうど、祖父に言われたんです。『待つ時間は長いが、待たせる方もまた、長いと思っている』って」 「……」 「俺もそう思います。マルティンさんはあんなにトリシャさんが好きなんですもん。早く終わらないかなーくらいに思ってるに決まってますよ」 「……ふふ、そうね。あなたのおじいさん、とても良い方なのね」 「チェスが強くて、子ども思いの立派なじいちゃんです」 「あら、チェスを嗜まれるの? 私もやるわよ」 「そうなんですか?」  トリシャは珍しくにんまりと笑った。 「ちなみに腕前はアデルさんより上よ」 「……!」  ミランは好敵手ができたと喜ぶ祖父の顔が浮かぶようで、トリシャに家に遊びに来るよう誘ったのだった。

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