3 / 3

 颯太さんが帰った後……俺は暫らくソファーに座ったままだった。 窓から外を覗けば雨が雪に変わっていた。颯太さんは傘を持って……あんなことがあったのに、何を心配しているんだろう。  颯太さんが俺を好きなことは薄々感じてはいた。 けど俺はそれを……それを楽しんでいたのかもしれない。 でも、あんな風に颯太さんが行動に移すとは考えてもみなかった。  熱い……。さっきまで俺の唇に颯太さんの唇が……。触れていたところが熱い。嫌じゃなかった。 けど今の俺には颯太さんを受け入れることなど出来ない。 たとえ好きだとしても。 たとえ……好き……好き? ……わからない。 勿論、嫌いではない。中学からずっと一緒で、大学に入って期間限定の活動だとしても、メンバー同士兄弟のように皆と接してきた。 だから……今さら恋心なんて持てる筈など。  唇に手をやると今まで経験したことの無いような疼きが、俺の身体を駆け巡った。 苦しい……。颯太さん……。  「……好きだ……胸が潰れるほど……好きだ。だから……苦しい」  そう……颯太さんは言っていたな。「 胸が潰れるほど……」今の俺も……同じだった。  翌日、楽屋のドアの前で深呼吸をする。 平静を保てるように……。 楽屋に入ると颯太さんは諒と一緒にいた。 その横顔にドキリとさせられる。 いつも見ているはずなのに……。昨夜あんなことがあったせいか俺は意識せずにはいられない。  「おはよ!」  俺に気づいて声をかけてくれた孝くんの明るい笑顔に、沈んでいた気持ちが少し楽になった。  「おはよう」  「どうしたの?一ちゃん」  「え?」  「なんだか浮かない顔してる。颯ちゃんと一緒だ」  「……」  「一哉……何かあった?」  「何もないよ」  「そっか」  「そうです。変なこと、言わないでよ」  何か感じ取ったのか孝くんの顔が悪戯っ子みたいになる。  「その笑顔……!俺たちのことは詮索しないでくれない?」  「わかったって!でも、何だか様子が違うからさ……」  違う? 違うって……何が?  「なんだか……」  「なんだよ?」  「見えない絆が深まってるような気がする」  何を言い出すのかと思ったら……どうして?こんな最悪の状態なのに深まってるって……。  「今までは颯ちゃんからの想いって言うの?そっちのほうが強かったけど、今は一ちゃんのほうからのエナジーが強いかなって……ね」  エナジーって……気?気持ちの……こと?孝くんは何が言いたいんだろう。もう少し話したかったけど、打合せ開始を告げるマネージャーの声にそれ以上詳しく聞くことは出来なかった。    それから颯太さんとは何もないまま、最後の全国ツアーに入った。 楽しいはずの現場がいいようもない感情に押し潰され、苦痛と闘う毎日。 このツアーが終われば……それぞれが希望した科へ研修に入る。颯太さんと一緒に音楽を楽しむのも、一緒にいられるのも終わるのに……。  「あんま、飲めねぇくせに……」  陸翔くんの心配をよそに、俺は毎晩お酒を飲んでその苦痛から逃れていた。  今回のツアーでは、中学の頃を再現するって言う企画も盛り込まれている。なのに颯太さんの声にのせて上手くピアノを奏でられない。こんなんじゃ、プロとは言えない。せっかく楽しみにきてくれてるファンの人にも申し訳ないよな。そう思ってるのに、見えない感情が邪魔をして。  「ごめん、颯太さん」  暗転して、諒くんたちと入れ替わる時に颯太さんに謝れば  「あの時のこと、気にしてるんだろ? もう俺のことはいいよ。忘れてくれればいいから」  そう言われて胸がいたんだ。 忘れてくれれば……。その言葉に颯太さんを遠く感じ胸が苦しい。  「一哉……」  俺を呼ぶ颯太さんの声……。思い出すだけで胸が震える。 優しくジッと見つめてくれる眼差し……。思い出せば胸が熱くなる。 どんなことがあっても、いつも俺を見守ってくれていた……俺の……颯太さん。 颯太さんを思うと涙が零れ止まらない。 傍にいた陸翔くんが、その涙を誰にも見られないように拭ってくれた。  颯太さん……。そう……颯太さん……。陸翔くんの肩に顔を埋めて号泣してしまう。陸翔くんが背中を摩ってくれても……嗚咽が止まらない。  「一哉……素直になれよ」  その陸翔くんの言葉に背中を押された俺はその日の終演後、颯太さんを飲みに誘った。断られるかな?と思ったけど、颯太さんも「いいよ」って言ってくれて。失敗ばかりしている俺を心配してくれたんだろう。  店では他愛のない話をした。 こんな風になってしまう前の二人に戻って。 多分だけど……颯太さんも俺に伝えた言葉で、あの告白をなかったことにしたんだと思う。 自分の中からも……。そして俺の中からも……。そう思えば胸が張り裂けそうになった。それを隠したくて、飲めないくせにいつもよりハイピッチで飲んで結局、颯太さんに迷惑をかけてしまう俺。酔った俺を心配して「少し、夜風にあたって帰るか」と、疲れているだろうにホテルまで歩いてくれる颯太さん。少し距離をとって歩くその背中に声をかける。  「颯太さん……」  「ん?」  俺の声に振り返る颯太さん。月明かりの中、俺と颯太さんの視線が重なった。けど ……それ以上言葉が続かなくて黙っていたら、沈黙に耐えられなくなったのか先に口を開いたのは颯太さんだった。  「一人になりたいのか?」  俺を気遣うように優しく笑う颯太さんの笑みに胸がまたいたんだ。  もう一度……颯太さんの唇を感じたい。 もう一度……。好き……だ。俺はこんなにも颯太さんが好きだったんだ。颯太さんの笑顔に涙が溢れて止まらない。  「……颯太さん」  風に揺れる街路樹の音で俺の声が颯太さんに届かない。  「颯太さ、ん……颯太さん」  気づけば……何度も颯太さんの名を呼んでいる俺。やっと届いた声に颯太さんが俺のもとへと駆け寄ってきてくれた。  「どうした?一哉……」  強く吹いた風が俺の涙を飛ばす。  「どうして泣いてるんだ?」  「俺は……」  「一哉、ここじゃちょっと……どこか……に……」  颯太さんが困ったようにしてるけど、やっと掴んだ颯太さんの腕を離したくない。  「一哉……?」  「俺は・・・あの日、颯太さんが帰った後に気がついたんだ。俺も颯太さんを意識してるって……」  俺の言葉に戸惑う颯太さん。でも溢れだした想いは止まらない。  「俺も颯太さんが好きだ……。忘れていいからなんて言わないでよ」  涙を流して告白する俺に颯太さんは少し困ったような……でも、幸せそうな笑みに変わって「とりあえず、ここで話が出来ないから……」 と、タクシーを止めてホテルの部屋まで帰ることに……。  ホテルの部屋に入ると、あの日のことが鮮明に思い出され、俺は颯太さんに抱きついた。もう……何もかも終わりだって思っていた。颯太さんと俺は一緒にいられないと。  「一哉……大丈夫か?」  「……ごめん、泣いたりして」  「いいよ、そんなこと……」  優しい声で語りかけてくれる颯太さんが愛しくてたまらない。  「意識してただけ?」  意地悪な質問が頭上から降ってくる。  「今は違う……。さっき言っただろ?俺も颯太さんが好きだ」  今まで力が入っていた身体から重荷が消えたように軽くなった。 抱きついたはずなのに、抱きしめられている俺。こんなに気持ちが落ち着いたのは久しぶりだった。  ずっと颯太さんのことで神経が擦り切れるほど悩んだ。 それは……颯太さんだって同じだ。でも……もう悩むことは無い。  「一哉……」  名を呼ばれて見上げれば颯太さんの瞳から一滴の雫が……。その雫が重なった唇の端を零れて落ちた。すれ違っていた俺たちの想いを洗い流すように。                                                         終わり

ともだちにシェアしよう!