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第2話

 講義が終わり、学食で遅めの昼飯を食べていたら一哉がやって来た。  「颯太さん、今日飲みに行きません?」  笑顔で俺の顔を覗き込んでくるもんだから、慌ててしまった俺はつい「いや、無理」と否定の言葉で返してしまう。すると一哉の笑顔が曇って……。  「そう。最近付き合い悪いですよ」  「……一哉」  「何です?」  一哉を悲しませたくなくて名前を呼んでみたものの……俺は何を言いたいんだ?ここで告白でもするつもりなのか……よ。  俺の部屋に飾ってある写真。まだ諒達に出会っていない頃、一哉と二人だけで撮った写真がある。……そう、俺と一哉は中学が同じだった。俺の隣で笑う一哉。あの頃は良かった。こんな引け目を感じる様な感情もなく、ただ友人として過ごす日々。幼いころかピアノを習っていた一哉と放課後、誰もいなくなった音楽室でよく遊んだっけ。一哉が奏でる旋律に俺は声で色をつけていく。その頃から一哉は作曲っぽいこともしてたよな。  あれは何時だった?一哉が女装させられたのは……。ああ、そうだ。高校の文化祭でだ。男子校だったから、喫茶店をすることに決まった時、背が低く色白の一哉は無理やりメイドにさせられて。その姿を見た俺は驚いてしまい「本当に一哉かよ?」なんて……。他のクラスメイトが目の前で一哉にメイクやら何やら色々とやってたんだから、分かりきってる質問を投げかけてしまった。  「何です?綺麗ですか、俺?」  なのに一哉は笑って質問返しで答えてくれて。その笑顔があまりにも可愛くて、魅力的で……今まで見たどんな女子よりも綺麗だったから、思わず俺は息を呑んだのを今でもはっきりと覚えている。もしかしたらこの頃から俺は……一哉に惚れていたのかもしれない。  「……もうすぐですね」  俺の隣に腰をかけた一哉が言う。  「……そうだな」  「お互い頑張りましょ。最後の全国ツアーですから」  少し切なげなその顔に触れそうになる。自制が利きそうにない。このままでは抱きしめてしまいそうだ。  「なに?そこでラブラブやってんの?」  いつの間に来たのか、諒がふざけた様子で俺たちの前で仁王立ちする。  「おまえには関係ないだろ」  「はい?」  「なんだよ……それ」  「なんか、二人とも無理してねぇ?気持ちを抑えすぎなんじゃねぇの?」  りょ……諒、おまえは……。このままだと、諒のペースに巻きこまれてしまう。流石にそれはヤバいだろ。ただでさえ自制が効かなくなってきてるって言うのに。  俺は一哉の手を握ると立ち上がる。これ以上、諒が何か言ってくる前にここから離れないと。そんな俺を一哉が心配そうに見上げた。  「颯太くんさ……」  何か言いたげな諒を無視し、一哉の手を取り学食を後にする。  「颯太さん?」  「このまま……少しだけ、このままで……」  誰にも気づかれないように手をつなぎ、誰にも気づかれないように一哉の温もりを感じながら、屋上への階段を一歩一歩踏みしめ上がって行く。重い扉を開け屋上に出ると、俺は握っていた一哉の手を引き寄せ抱きしめた。  「そ……颯太さ、ん?」  「少しだけ……」  俺は夢で見る様に一哉を抱きしめる。夢じゃない。今、俺は一哉を……抱きしめてるんだ。  「颯太さん、離して……」  「嫌だ!一哉……」  一哉の息が俺の唇にかかる。こんなにも近くに夢で見た一哉の赤い唇が……。  「颯太さん!」  何時もとは違う力強い声と共に一哉に撥ねつけられた。困惑気味な一哉の顔を目の当りにして俺は……これは夢ではないのだと思い知らされる。  「こんなの俺の知ってる颯太さんじゃない」  そう言うと一哉は俺の腕を払いのけ、走って行ってしまった。その背中を見て、俺は呆然とするしかなかった。  それから……多分、午後の講義を受けたと思う。一哉に拒絶されたことがあまりにもショックで、何をどうしてたかの記憶がない。バカみたいだろ?なのに気づけば雨の中……ここまで来てしまっていた。一哉のマンションまで。なのにドアを叩くこともベルを鳴らすことも出来ず、風で勢いを増した雨に顔を上げ、暫くの間顔を打つ雨粒に打たれていた。  「颯太さん?」  思いがけず聞こえてきた一哉の声に驚く俺。何て言い訳をしようか……。屋上でのこと、ここまで来てしまったこと……。 「何してるんですか?」  言葉が浮かばない。  「とにかく、部屋に行きましょう」  何も言わない俺を諭すように一哉は背中に手を置き、そっと押された俺は一歩前に踏み出す。鍵を開け、俺を部屋に入れてくれた一哉は「こんなに濡れて……」と言ったけど、何かを感じ取ったのかそこで言葉を止め、持ってきてくれたタオルで頭を拭いてくれる。目の前には一哉の困った顔。目線が同じ……。唇も……。  「お、俺……」  「ごめん颯太さん……今は何も聞きたくない。コーヒー入れるから中に入って座ってて下さい」  言われるがまま、俺はソファーに腰掛ける。コンロにかけたコーヒーポットを見つめたまま、身じろぎ一つしない一哉。  俺は……困らせてるのか?俺は……一哉を困らせて……。何、やってるんだよ……俺。  「帰る。悪かった」  居たたまれなくなって帰ろうとする俺に一哉は少し怒ったようだった。  「颯太さん、コーヒー飲んでからでいいでしょ?そんな冷えた身体のままじゃ駄目だよ。ツアーだってあるんだから」  その言葉に立ち上がっていた俺は再び座りなおす。もし今……あの屋上みたいに自制を失くしたら……一哉を失ってしまう。今まで気づいてきた関係が終わってしまう。あぁ……俺はどうして来たんだ?どうして……。来なければ良かった。  一哉が無言のままコーヒーカップを俺の前に置く。コーヒーを喉に流し込むが、味なんてする筈が無い。一哉の顔を見れば……やはり困っているみたいだった。  「昼間はごめん」  「……もういいよ」  謝罪してみるものの、その後に続く言葉が出てこない。好きになればなるほど苦しさが増してくる。どうして?どうして俺はここにいるんだ?もう……限界だ。  「颯太さん……俺に謝りにきたんですか?」  そう訊かれても、何も言えない。そりゃそうだろ……気づけば一哉の部屋まできてたんだから。俺だって、ここにきた理由がわからないんだよ。  「どうして黙ってるんです?」  何も話さない俺に業を煮やしたのか、俺の腕を強く掴む一哉。  「はな……せ……、離してくれ……」  「颯太さん……なんで?きちんと話してくれないとわからないよ」  「俺は……俺、は……」  言葉に詰まってしまった俺は一哉を抱きしめてしまう。  「颯太さん?……な、何……」  これ以上、もう何も言ってほしくなくて、俺は一哉の唇を塞げば一哉の喉が発せなかった言葉を飲み込みググッっと鳴る。それでも無理やり抱きしめていると抵抗する一哉。  「……い、いやだ!」  俺の腕の中から逃れようとする一哉を、ラグの上に押し倒す。  「颯太さん!」  必死で俺の名を呼び抵抗を示す一哉の両手の動きを封じ、俺は再び一哉の唇を塞いだ。柔らかく甘い一哉の唇……。夢の中と同じ……柔らかな感触。俺は夢中で貪るように何度もキスをしてしまう。俺の行動に放心状態になってしまった一哉は、もう抵抗すらしてこない。  「一哉……」  やっと一哉の唇を解放し名を呼べば、一哉の瞳から涙が零れた。  「どうして……こんなことするんだよ……。なんで……だよ。颯太さんは俺の気持ちなんかどうでもいいの?」  そう言われて俺は……涙ぐんでいる一哉の上に倒れこんでしまう。あまりにも自分が情けなくて。  「ごめん……ごめん、一哉……」  一哉の鼓動を胸に感じながら俺は謝るしか出来なかった。こうなることは分かっていた筈なのに、どうして俺は……情けない。  「酷い、よ……こんな、こと……。こんなこと……するなんて……」  「悪かった……もう二度としないから」  「最近、颯太さんの視線にどうして良いかわからなかった。辛そうで……。颯太さんもしかして俺のことが……」  一哉……それを俺に言わせるのか?おまえは俺にそれを……言わせたいのか?  「……好きだ……胸が潰れるほど……好きだ。だから……苦しい」  とうとう……言ってしまった。これでもう……。そう思っていたら、俺の頭を撫でるように一哉の指が動く。  「……俺は颯太さんに何もしてあげられない」  「……ごめん、わかってる……」  「謝らないでよ……」  「…………」  「俺は颯太さんのことが好きだよ……。ただ、颯太さんの想いとは違う」  そんなこと……わかっていた。一哉に言われなくても。一哉が俺と同じ想いじゃないことも。俺を受け入れてくれないことなどわかっていた筈なのに……。俺は少しの期待を勝手に抱いていたのかもしれない。  「ごめん、帰るよ……。今日のことは忘れてくれ」  それだけ伝えると、俺は立ち上がり玄関に向かった。俺を追ってきた一哉の悲しそうな顔が近づいてくる。  「颯太さん……」  息がかかるほど間近かにある一哉の顔。  「颯太さんの苦しみを少しだけ……俺ももらうから」  そう言うと一哉は俺の唇にそっとキスをした。  どうして……おまえはそんなに優しいんだ……。それが……どんなに俺を苦しめてるか。一哉……おまえは知ってるのか?  その後、雨から雪に変わった寒空の下、俺はどうやって家に帰ったのか記憶に無かった。

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