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溺愛道の教え、その3 想い人を猫っ可愛がりにせよ

    溺愛道の教え、その3 想い人を猫っ可愛がりにせよ  淡い緑色の地に、銀色に輝く真円という意匠。すなわちワシュリ領国旗が、領主館(別館)の尖塔で誇らしげにはためく昼下がり。ハルトは厨房の扉を開け放つと、パン種をこねる途中などで一様に固まった料理長らを相手に、威勢よく宣言した。 「野菜の皮むきでも鍋磨きでも、なんでも手伝う。じゃんじゃん、こき使って」 「めっ、滅相もございません」  丁重にだが問答無用でつまみ出された足で船着き場に走り、北へ向かって小舟を漕ぎだした。めざすは農耕馬が飼われている、という畜舎だ。動物の世話ならお任せあれ、と畜舎に漕ぎ寄せると早速、 「故郷じゃ馬は親友で馬語はほとんど理解できる。ほら、即戦力だろ」  汚れた寝藁をてきぱきと取り換えてみせたのだが、 「おっ、お気持ちだけで十分でございます」  またもや丁重に追い出されてしまった。しょんぼりしたのもつかの間、今度は水車小屋に仕事をもらいにいく。しかし粉ひき三兄弟の末っ子と猫が()き臼の前に立ちはだかり、麦粉を麻袋に詰めるどころか、門前払いを食わされた。さすがに、しおしおと小島の裏側へと漕ぎ進める。 「勤労意欲が、ぼうぼう燃えてるんだぞお」  小舟を寄せたのは、ちょっとした岩場が水路と湖畔を隔てている場所だ。念のために釣り竿とバケツを持ってきたのが、やっぱり役に立つ。  平たい岩に腰かけて湖に釣り糸を垂らした。不本意ながら賓客扱いを受けているとはいえ、ごちそうになりっぱなしなのは性に合わない。最低限、自分が食べるぶんを何匹か、どっさり釣れたときはイスキアにもふるまって、食料を調達する才覚があることを示してやるのだ。 「人間は働いてナンボだもんねえ……おっ、来た!」  竿がしなってを感じた、あげた、逃げられた、餌をつけ直して再挑戦といく。  イスキアにとって不運なのは、愛しい愛しい許婚にあくせく働く真似をさせたくないと思うがゆえ、のんびり暮らせる環境を整えているのだ、という発想が当のハルトにまったくない点だ。 「親父に母さん、大きいにいちゃんと義姉(ねえ)さんに、ちいにいちゃんとチロとマル(愛犬および愛馬)……みんな、いまごろどうしているかなあ」    もしゃもしゃした雲が髭面の父親に、わさわさした雲が羊に見えると、瞼が熱を帯びた。空は草原へとつづいていて、なのに小島という檻につながれているに等しい現在(いま)、ふるさとは遥か彼方の、そのまた彼方ほどにも遠い。今しも水鳥が羽ばたくと、自由気ままな在り様を羨んでしまう。 「……って、うじうじするの、なし! 大物を釣って、えらぶった領主さまをびっくりさせてやるんだからな」  餌をつけ替え、もう少し遠くを狙って竿を振り下ろした。ちなみに幼なじみ兼、兄貴分のユキマサのことは、彼には気の毒な話だがすっぽりと頭から抜け落ちていた。

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