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エピローグ

    エピローグ  語り草となる婚礼の儀にワシュリ領国中が湧きたって数ヶ月後、(みやこ)から辺境の地に至るまで、あまねく爛漫の春を迎えていた。  分けても頭の中まで春一色なのは誰あろう、イスキア・シジュマバートⅩⅢ世、その人であった。  幸せの絶頂にあるイスキアの号令一下、粒よりの技師が集結し、領国の造船技術はいちじるしい進歩を遂げた。その分野に注力する理由は〝めざせ貿易大国〟が合い言葉なのが、ひとつ。  もうひとつは本土と、ウタイ湖の真珠と謳われる小島の間を行き来するのに船足で一号艇に(まさ)る快速艇を新造するのが急がれたからだ。  何しろ今や愛の巣と異名をとる領主館(別館)に帰ると、愛しい愛しい新夫(にいづま)が〝ほっぺにチュッ〟で迎えてくれるのだ。    夕映えの湖面が黄金色(こがねいろ)の衣をまとう今日も今日とて、イスキアは二代目の快速艇が小島側の港に入るが早いか、手こぎの小舟に乗り換えた。そして櫂が、すっぽ抜けかねない勢いで漕ぎ急ぐ。 「ハルトー、いま戻ったぞ」  などと雄叫びをあげるかのごとく水路を突き進むさまは、最近では湖畔を(ねぐら)にする水鳥にさえおなじみの光景だ。  無敵の新婚さんにとっては入り江だろうが厩舎だろうが、イチャイチャと愛を語らうにもってこいの場所だ。当然のことながら、手をつないで農園にやって来ると、とりわけ甘々な雰囲気が漂う。 「うむ。わたしが恋わずらいに悶々としっぱなしであった期間と同じ十年の歳月を費やして改良に成功した、この飛び抜けてみずみずしいキュウリは、愛する人にちなんで『ハルト』と命名しよう」 「こっぱずかしいこと言うな、バカバカ」  ハルトは照れ隠しにプンスカと移植ごてを振り回し、イスキアは頬ずりで応える。お熱いことで、ヒューヒューといったそれは、もはや日常のひとコマだ。  侍従長のメイヤーと小間使いのパミラが、蜜月感にあふれたやり取りを微笑ましげに見守る。  ジリアンと、湖底から遊びに来た水妖族の青年アネスが、ゲエ、と吐く真似をしてみせるのも毎度のことだ。    ともあれ、ひと皮もふた皮も剝けた領主さまと愛夫(あいさい)が振りまく至福の時よ永久(とこしえ)に、という幸せの粒子が隅々まで行き渡り、キュウリはたわわに実って、領国はさらに繁栄する。  溺愛道の教本は、冒頭にこう掲げる。〝心の声に素直に従うこと〟。  最愛の人とふくふくと生きていくため、今日も明日もあさっても領主さまは溺愛修行中──なのだ。     ──了──

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