安心して、俺が扉を押し開いたその背後 「鳴海さん、捕まえた！」 　俺の肩をソフトリーに掴む渉の細い指と、そして先ほど教室で聞いたばかりの声。あまりの恐怖に持っていたリュックを床に落としてしまった。 　だがその落ちたリュックは背後に立っていた彼がひろって、屋上の柵の前まで持って行ってしまう。全財産と弁当の入ったリュックを人質ないし物質にされてはもう逃げられず、大人しく奴の後に従って屋上の柵に寄りかかる。座る渉の隣に腰掛けた。 「お弁当いただくね」 「お前、弁当持ってんじゃん」 　彼の手にしている購買の袋を指差せば、それを俺に差し出してくる。おそらく、いつものように弁当と購買のパンを交換しろということなのだろう。 　ここで反論すれば絶対に勝てない弁論でまくしたてられ、三日も落ち込む精神的打撃を受けると思った。俺は素直にその袋を受け取る。 　それが了承の合図であるかのように、渉は手に持っていたビニール袋がなくなると、俺のリュックを探って布袋で包んであった弁当を取り出す。そして「いただきます」と手を合わせて、楽しみにしていた昼飯を口にかっ込み始めた。 「鳴海さん、お茶」 「はいはい」 　リュックから水筒を取り出すと、それに緑茶をそそいで差し出す。すると口にモノをいれた状態でお茶を受取り一息に飲み干すと、おかわりを要求してくる。二杯目をつぎ奴の傍らにおいて、彼と交換したパンを口にする。 　今日はリンゴデニッシュ、カレーパンと大翔も喰っていたコロッケパン。彼は俺と同じ味が好きなのか、毎度好物ばかり買っている。 「ここ三日は上手く逃げたね」 　口にモノをふくめながら喋るなと言おうとしたが、口答えになるかもしれないので余計なことはパンと共に呑み込んだ。 「えーと、別に逃げてたわけじゃなくて」 「まぁ、あんたのここ一ヶ月の行動パターンは理解できたから、もう見つけられないなんてことないさ。覚悟してよね、まったく。この一ヶ月、鬼ごっこに付き合わされた俺の身にもなってほしいもんだよ」 　別に今日はここ三日見つからず、弁当を横取りされなかったから好物の唐揚げをいれていたのにとか。そんなことでショックを受けているわけじゃない。子供じゃないんだから。 　先ほどの嫌味に少し高ぶっていた感情が揺れて、俺の口から反抗心が吐き出される。 「だって、お前。俺の弁当喰うじゃんか！」 「この弁当、鳴海さんの手作りでしょ？」 「だからなんだよ？」 「いいじゃないですか、俺のパンと交換してるし」 「俺だって、自分の弁当喰いたい……」 「俺も弁当が喰いたいんです」 「お前モテモテなんだから、女子に作って来てもらえばいいだろう。弁当くらい！」 「あんたのだから、食べたいんですよ」 　大翔、やっぱりこいついじめっ子だよ！人の弁当食べて、俺をせせら笑ってるんだ！お前には弁当作ってくれる彼女なんていないだろうって！ 　俺は唐揚げだけでなく、彼女いない歴＝年齢である痛い部分を抉られてむしゃくしゃしたので、さっさとパンを食べきる。そして俺が完食と同時に渉が「ごちそうさま」といって食べ終わったので、空になった弁当箱をリュックにしまい教室に帰ろうと立ち上がる。だが、その腕を引き止められる。 「そういえば、今日は弁当もう一個入ってたね」 　なんでそれを知っているのかと聞こうとして、そういえば弁当を盗られたとき。俺のリュックを探っていたと気づいた。ポーカーフェイスをよそおうにしても、俺のこわばった表情でまるわかりだろう。 　適当にごまかそうと云い訳を考えていると「正直に答えてよ！」と、俺の腕へかかる力が強くなる。百戦錬磨の彼に嘘は通じないと悟って、それでも隠さなければならない事柄だ。俺はひきつる笑顔で答える。 「あの、食べさせたい奴がいてさ……」 「ふーん……誰？」 「いや、その、なんだ……大翔？」 「大翔さんじゃないはずだ。部活がある日は、いつも大量にパンを買い置きしてるから」 　よく知ってるなと感心する半面、いいわけに詰まって脂汗がにじみだす。どもりながら何かいい案はないかと画策する。だがその時……。 「もしかしてさ、好きな人にでもあげんの？」 　それがあったかと、天の救いに飛びついた。 「そう！好きな奴にあげんの！そいつがいつも腹減らしててさ！よくわかったな、わた……ひぃ！」 　上手いいいわけが出来たと話に乗ろうとしたが、腕を掴んだまま立ち上がった彼の冷徹な視線に、口を閉ざす。今までこいつは怖い顔しかしないと思ってきたが、これほど冷たい眼差しで見つめられたのは初めてだ。恐怖のあまりその場に尻もちをついてしまう。 　渉は高い位置から見下しながら威圧してくる。 「へぇ、鳴海さんに好きな人がいたんですね。それってどなたですか？この学校？同じクラス？性別は？おみしりおきになりたいなぁ。ねぇ、そいつのこと教えてくださいよ。事細かに、細密に……ねぇ」 　いや。教えた時点で殺されるぞ、そいつ。 　俺は高圧的なまなざしとそれに不釣り合いのさわやかな笑顔の二重苦に耐えきれず、悲鳴をあげて腕を振り払う。その場を全速力で逃げ出した。 　追われるかと思っていたが、教室近くまで来て背後を振り返ると誰もいない。教室について大翔をみたとたん、次の授業が始まろうとしているのに涙を流して生還したことを喜んだ。