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新しい家族 6

 赤ん坊の名前については、晴海は全て世津に任せていた。 「世津さんは小説家だから、良い名前を思い付くんじゃないかと。俺は、そういうの得意じゃないから」  代わりに晴海が作ったのは、新しく家族になった真和や真那も含めた、小さな子どものための食器だった。そのデザインは商品化されて、晴海の名前を冠して売られることにもなっている。 「はるさんが産んでくれるんやし、俺が頑張って名前考えるわ。大事なことを、俺に任せてくれてありがとう」  幾つか候補は考えているが、生まれた赤ん坊の顔を見て最終的に決めたいと、世津はそれを誰にも明かさなかった。エコー検査では、確定ではないが、男の子ではないかと言われている赤ん坊。  年の瀬が迫って、保育園も休みに入る頃に、異変は起きた。  急に晴海の顔色が悪くなって、座り込んで動けなくなってしまったのに、世津が大いに狼狽える。 「はるさん、う、産まれるんか?」 「わ、からない、ですけど、痛みが……」  吸血鬼の伴侶となって子どもを孕める体になった晴海だが、男性の体なので産む機能はない。自然分娩は無理なので、帝王切開で年明けに赤ん坊を出産する日は決まっていたが、そこまでまだ日があった。 「男性の妊娠は破水が分からないから、難しいところだけど、痛みがあるなら何か起きてるかもしれないから病院には行った方がいいね」  夕食の支度をしていた威月がキッチンから出てきて、声をかけてくれた。 「病院、すぐ行こう」 「待って。晴海さん、痛みは?」 「少し治ってきました」 「じゃあ、多分陣痛だろうね。帝王切開だと、吸血鬼の回復力でも一日は入院するだろうから、衛陸さん、晴海さんの荷物を後から持ってきてくれる?」  テキパキと指示を出す威月に、世津は狼狽えながら晴海の腰をさすっていることくらいしかできなかった。奈帆人が家で子どもたちを見ていて、慌てている世津が運転すると危ないので威月が晴海と世津を病院に送って、後から衛陸が必要なものを持って病院に追いかける手筈になった。 「はるちゃん、すぐ行くから頑張ってね?」 「ありがとう、エリちゃん」  心配そうに晴海の手を握り締めて送り出した衛陸に、脂汗をかきながらも晴海は頷いてみせた。  病院に行けば陣痛と診断されて、晴海は手術室に連れて行かれた。帝王切開なので出産日が決まっていただけに、急なことで動揺しきっている世津に、威月が待合室でペットボトルの暖かなお茶を渡してくれた。 「お産は何が起きるか分からないからね」  虎とマンチカンの猫族(ワーキャット)の混血の真和は、ミヌエットと呼ばれる長毛のマンチカンによく似た姿を本性に生まれてきたが、真那の方は虎の血を濃く引いてしまった。本人は自分を兄と同じマンチカンと思っているし、虎などという希少種だと分かれば狙う不埒者も多いので、威月も、それに気付いている千都も、真那には自分がマンチカンと思い込ませるようにしている。その真那を産んだことが原因で、マンチカンの母親は体を壊して療養することになってしまった。 「蝙蝠でもええ。はるさんと赤さんが無事やったら」  何かあると蝙蝠になってしまう、吸血鬼の血の薄い奈帆人のように、ひとの姿がなかなかとれない子でも構わない。ただただ無事に産まれることだけを親として願っていると、手術室から世津が呼ばれる。 「生まれましたよ。母子共に元気です」  ホッと胸を撫で下ろして、晴海が切ったお腹の処置をしてから病室に移ったところで会いに行った世津は、顎が外れるほどの驚愕に襲われた。乳児用のベッドの上で寝ているのは、ひとの姿をした赤ん坊でも、蝙蝠でもない。 「い、犬?」 「狼だねぇ」  覗き込んだ威月が言うのに、さぁっと世津は青ざめた。 「俺ははるさんとしかしたことないし、はるさんも俺以外受け入れたことないはずや。この子がはるさんのお腹から出てきたんやったら、俺とはるさんの子には間違いない。ってことは……」  どういう結論が出るのか見守っている威月と、生まれた赤ん坊がふごふごと蠢いて健康であるのは医者から聞いていたが狼であることに戸惑っている晴海。呆然と突っ立っていた世津の表情が変わったのは、そのときだった。 「そうか、俺の両親、浮気しとったんか!」 「あ、そういう結論になっちゃうんだ」 「驚かせてごめんな、はるさん。俺の両親は運命の相手を蔑ろにするような吸血鬼で、狼(ワーウルフ)と浮気しとってもおかしない。多分、俺にはその血が混じってたんや。でも、はるさんが産んでくれたんやから、この子は俺とはるさんの子に間違いない。可愛い俺たちの子や、大事に育てよ」  まだ麻酔の影響で朦朧としている晴海の手を取って世津が必死に言えば、晴海もどうにか手を握り返して頷く。  その感動の光景を拍手をしながら見ている威月に、荷物を届けに来た衛陸が、新生児ベッドを覗いて沈痛な面持ちで額に手をやった。 「ごめんなさいね……はるちゃんは完全に人間寄りだと思ってたから、言わなくていいことは言わないでおこうと思ったのよ」 「エリちゃん?」 「はるちゃんと私は、人種は違うけど血の繋がった双子で、私は狼の血が濃くて、はるちゃんは狼の血はほとんど引いてないはずだったの」  幼い頃から自分が人間ではないこと、匂いや気配で晴海が実の兄弟で同族であること、けれど衛陸は血が濃く、晴海は血が薄く自覚もないことを知っていた衛陸。説明されて、麻酔のきれていない状態で、ふらふらとしながら晴海が首を傾げた。 「俺が、狼?」 「はるさんが狼で、エリさんも狼なんか!?」 「そうよ。はるちゃんのことを少しも疑わないでくれてありがとう、世津さん。でも、狼ははるちゃんの方なのよ」  世津は晴海に全幅の信頼を寄せている。晴海を疑うくらいなら、両親の不義を疑うくらいだった。 「夜に、お布団に入ってきたエリちゃんが、もふもふの大きな犬だったの、夢じゃなかったんだぁ……」  夢でも見ているような様子で、和やかに言う晴海に、今度こそ安心して世津は座り込んでしまった。 「良かった……狼でも、蝙蝠でも、人間でも、なんでもええ。はるさんと、はるさんの産んでくれた赤さんが無事やったら、なんでもええ」  良かったと繰り返す世津に、新生児用のベッドに寝ている狼の赤ん坊が、「きゅーんきゅーん」と泣いて、威月がオムツを取り替える。抱かせてもらって、哺乳瓶を咥えさせると、弱い力だが少しずつ飲んでいて、その光景に世津は腕の中の狼の赤ん坊にほろほろと涙を零していた。 「可愛いなぁ。真っ黒の毛で……きっと、はるさんにそっくりやで」 「早くひとの姿になれると良いですね」  きゅうきゅうと泣く狼の赤ん坊は、ミルクを少し飲んでまた眠ってしまった。  吸血鬼の伴侶なので怪我の治りが早いが、大事をとって晴海は三日間、入院した。その間に狼の赤ん坊は、ミルクを飲んで、オムツを替えてもらって、退院の日に初めて人間の姿を見せた。  褐色の肌に黒いお目目の晴海似の男の子。  その顔を見て、世津はその子の名前を決めた。  家に帰ると、赤ん坊の到着を待っていた千都と真和と真那と奈帆人に、お披露目をする。 「名前は、要(かなめ)。シンプルやけど、顔を見たらこれしかないって思った」 「要くん」  名前を呼ばれて、お包みの中でうごうごと要が手足を動かす。 「よろちく、かにゃめくん」 「はるさんににてよかったのです。とってもかわいいのです」 「あかたん! まな、おにーた!」  抱っこしている世津が屈んでよく見えるようにすると、真和と千都と真那に囲まれてしまう。小さなお手手を握って、真那もお兄ちゃんになった気分で喜んでいた。  誰も予想していなかった狼の赤ん坊の誕生は、無事に祝われて、和泉家と左岸家と高階家と湯浅家に、新しい家族が加わった。

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