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蜜月③
「限界」
汚れをふき取りうつぶせて気だるげに横になっていると、禄朗は体を起こしベッドから抜け出していった。冷蔵庫を開けたのか、薄暗い部屋の中に小さく明かりが広がる。
「喉乾いたろ」
「うん」
ペットボトルに入った水をよこしながら彼が隣に腰かけると、ベッドがギシリときしんだ音を立てた。
そのまま優希の腰のあたりを指で撫でる。
「これ」
とろけるような甘い声で囁きながら、指に力を入れた。ちょうどS字ライン、腰の骨の辺りの下着をつけていればわからない場所に小さなほくろが三つ並んである。
自分でも気がつかなかったそれを見つけたのは、禄朗だ。初めて体を交わした時のことだった。
「オリオン座見るたび思い出してた」
ぐ、っとスイッチを押すように三つのほくろを指でさらう。直結して中が疼いでしまうのをごまかしながら「ほくろ?」と問いかけた。
「そう、やけに色っぽくて、好きだ」
顔を近づけてきてその場所を舐め上げていく。冷たい水を飲んだ後の舌が冷たくて、優希は体を震わせた。
「冷たい」
「ん」
そのまま強く吸われ脱力した体が刺激に過剰に反応する。
「……っや」
四回、小さな痛みが走る。
「何やってんの……」
視線を向けると禄朗は満足そうに立ち上がり、荷物をゴソゴソとあさっている。愛用のカメラを優希に向けると軽いシャッター音が部屋に響いた。何枚か撮り終わると、無邪気にカメラを携えてベッドへ戻ってくる。
「見てみ。優希のオリオン」
画面をのぞき込めば腰のS字ラインに三つのほくろと、それを取り囲むような紅い印。キスマークが散らばっている。それがまるで星座のように形作られ、優希の気だるさとともにそこに収まっていた。
「知ってる?オリオン座ってさ、ほかの星を見つける目印になるんだってさ」
レンズを覗き込みながら禄朗は話し出した。
「そうなの?」
星のことに詳しくない優希は、顔だけ彼に向けて先を促す。
「知らなかったな」
「だから優希のことを考えるたびオリオンを思い描く。自分の進みたい道を思い出すんだ。目印ってほんとだな」
カシャ、と再び音が鳴る。
「気だるそうにしてる優希を撮るのすげえ好き。おれだけしか見れない姿だって、いつも優越感に浸ってた」
散々禄朗に乱され啼かされて力が尽きた優希は、本当にきれいだと彼は囁く。
「今もこれからもおれだけのものにしたい」
「……禄朗」
「もっと見せて」
愛おしげな手のひらが優希の背中を撫でていく。それは官能を呼び起こす触れ方ではなく、何か大事なものを丁寧に扱っているかのような柔らかさだった。
残業だと嘘をつきながら、禄朗の逢瀬を重ねていた。何度も体を重ね、気だるいまま明日美の待つ自宅へと帰る日々。抱き合うたび思いはあふれて、自分の行動を止めることができなかった。寝不足の目をこすりながら目を覚まし、キッチンへ向かう。いつもの清潔なダイニングに朝食を並べていた明日美が笑みを浮かべて、優希を振り返った。
「おはよう。今日はどうする?」
「どうするって、何かあったっけ?」
「やだ、自分の誕生日も忘れたの?」
クスクスと優希の裏切りを微塵も感じていないように、無邪気に笑った。
「お誕生日おめでとう!」
「あ、そっか。誕生日か、忘れてた」
おなかに手を当て「おかしなパパですねえ」と子供に話しかける。まだ産まれていないのに、女は妊娠した時から母になるらしい。ズキリと胸が痛む。
「特になにも考えてなかったよ」
「そう?じゃあ、家でパーティーでもしようか」
「体も本調子じゃないから無理しなくていいよ」
つわりが軽いほうらしいけど体調には波があるらしく、時々横になってだるそうにしている。
「二人きりの最後の誕生日だし、何かお祝いしたいの」
「あ、……そうか」
来年の今頃は子供が生まれているということに実感がわかない。優希は困惑を含みながらも頷いた。
「任せるよ」
「わかった。がんばっちゃおうかな」
楽しそうに鼻歌を刻みだす明日美から視線を離し、小さく息をつく。どうしようかと思えば思うほど、心が重い。
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