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数年後①

 春の終わり。初夏に差し掛かる日差しの中。街を歩く人たちと交じりながら、優希は待ち合わせであるカフェへ足早に向かった。  オープンテラスのカフェに腰かけながら、優希に気がついた女性が立ち上がり手を振った。 「またせてごめん!」 「ううん、早く着きすぎちゃって」  十数年ぶりに会う明日美は、昔と変わらないえくぼを浮かべながら笑いかけてくる。 「元気そうだね」 「ゆうちゃんこそ」  優希はあれから間もなくアメリカに籍を移し、Ally達と一緒にアーティストをサポートする仕事に就いた。禄朗といえばやはり自分の作りたい作品を大事にしたいと、大口のスポンサーと多少のゴタゴタを経た後。今は自由に作品を作っている。  どちらかといえば優しく愛にあふれた作品は、いまではかなりの人気で世界中から個展や商品化の依頼が来ている。当社一番の稼ぎ頭だ。今回も何度目かの個展で来日している。  「ドキドキするなあ」と明日美は楽しそうに頬を緩ませた。 「ゆうちゃんのパートナーってどんな人なんだろう」 「いい男」 「うわー、ご馳走様!」  うふふっと幸せそうに笑う明日美を見ていると、それだけで満たされた気分になる。昔から明日美はそういう人だった。明るく笑い、周りの人たちを幸せにする力がある。それを壊した優希を恨まず、何年か前、アポイントを取ってきたときの嬉しさを今でも覚えている。  あれも日本での個展の時だった。禄朗の名前を憶えていた明日美が、事務所へ連絡をくれたのだ。タイミングが合わず再会は叶わなかったが、今回こうして顔を合わせることができた。 「幸せそうでよかった」 「うん、すっごく幸せ」  そう言って笑う明日美は、昔よりほんの少しふくよかになったみたい。だけど愛されている安心からか、一緒にいると安心する雰囲気をたたえている。  優希との離婚の後は、かなり落ち込んでいたらしい。もう男の人はいいやと諦めていたが、数年前に優しい人と出会って再婚したと明日美は話してくれた。花のことも実の娘のように大切にしていると聞いて、安心する。 「ゆうちゃん、ごめんね」 「ん?」  表情を曇らせながら明日美は小さく頭を下げる。 「あの時知らなかったんだけど、両親が酷いことを言ったんでしょう。後から知って……ゆうちゃんに謝ろうと思ったんだけど、もう連絡がつかなくて……ごめんなさい」 「そんなこと……っ。謝らなくていいよ。ぼくの方こそ責められて当然のことをしたんだし、あれくらい普通だよ」  当時は言葉の一つ一つが突き刺さった。  見ないふりをしていた傷を暴かれ、まだ膿んでいた場所をほじくりかえされたような、絶望にも似た気持ちもあった。  だけど子供を心配し、守ろうとした彼らのことは責められない。親なら当然のことだと思う。 「それより花が成人か」  今日は花の二十回目の誕生日だった。小学生に上がる前のまだ小さかった花しか知らない優希には、大人になった花が信じられない。どんな顔で会えばいいのかとためらう彼を明日美は説得し、今回、みんなでお祝いすることに決まった。 「明日美の旦那さんに会うのも緊張するよ」 「大丈夫、すっごい優しい人なの。ゆうちゃんみたく美人じゃないんだけどね」  フフっといたずらっ子のように笑う明日美とこうした時間を過ごせるなんて、あの頃は考えたこともなかった。 「あっ、きたきた!」  遠くから二人のシルエットが見える。一人はちょっとズングリとした風情の男性で、その少し後ろにスラっとした可憐な女性がためらいながらこちらへ向かってくる。 「あれが……花……」  モミジのような小さな手を繋いでいたあの日から、どれだけの年月が流れたのか。何よりも愛おしいと思った娘がすぐ近くにいる。名前のように可憐で可愛らしい女性に成長していた。 「花」  呼びかけると困ったように優希を見つめ、瞳にうっすらと涙の膜を張った。 「パパ」  小さく呼ばれた声はちゃんと優希に届いた。酷い仕打ちをした優希を、まだ「パパ」と呼んでくれるのか。 「花!」  震える脚でヨロヨロと近寄り、目の前に立つとすっかり大人になった花がそこにいた。  優希の選んだピンクのワンピースを着て入学式を楽しみにして笑っていた花が、今では素敵なお嬢さんだ。あの時と似ている桃色のワンピースを着て目の前に立ち、優希と向き合っている。 「あのワンピース、パパ好きだったでしょ。似たのを探したの」 「うん、よく似合ってて大好きだった。花……綺麗だよ」  花の姿が涙の向こうにかすんでいく。年を取ったからか涙腺が緩んでしまったようで困る。鼻をすすると花はティッシュを渡してくれて、「泣き虫だね」と笑った。 「花があまりにも美人だから嬉しくて」  明日美と優希の遺伝子が入り混じった不思議な存在。向かい合っていると、どこかしら自分にも似ていると思ってしまう。花との再会で泣いている優希を温かく見守ってくれている男性が、明日美の再婚相手だった。 「はじめまして」  グスグスと鼻を詰まらせた優希に笑いかけながら、「善本です」と挨拶する。人の良さをそのまま名前にしたような人だった。 「明日美と花がお世話になっています」 「いえいえ、こちらこそ美人な親子に華をもらっていますよ」  過去に与えた罪には触れず、善本はニコニコと笑みを浮かべている。 「それにしても綺麗な人でビックリしました」 「綺麗って?」 「優希さんですよ。すごい美形の素敵な人だとお伺いしていたので」  そんな風に話していたのか。もういい中年だというのに。褒められる容姿に優希は苦く笑った。 「苦労してないってことでしょうかね」 「そんなことないでしょう」  笑った先の視線が、すべてわかっていますよと告げていた。

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