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第8話 お寿司デート
そのように期待されても、正直夕希には寿司の良し悪しなんて全くわからない。ちょっと不安になった夕希はお店の暖簾 を見て息を呑んだ。
――ここ、|一見《いちげん》さんじゃ予約取れないって有名なところじゃん!
寿司など全く詳しくない夕希でも名前くらいは知っているという店だった。メディアにもよく取り上げられているし海外からわざわざお客さんが来るようなところだ。人気が出すぎて今は紹介じゃないと新規の客は入れないと聞いたことがある。
急な誘いだったため、夕希は仕事用の安物のスーツにビジネスリュックという出で立ちだった。一方、隼一はカジュアルだが洗練されたグレーのジャケット姿で相変わらずモデルみたいだ。自分の見た目に不満を持ったことは無かったけど、明らかに品格の違う彼の隣に並ぶのが夕希は恥ずかしかった。
「どうした? 具合でも悪い?」
「いえ、ちょっと緊張しているだけです」
「居心地の良い店だから心配ないよ」
そう言って彼は入店していった。仕方なく後に続く。でも考えてみたら高級フレンチのお店にこの格好で連れて行かれるよりはお寿司屋さんの方がまだマシかもしれない。
今度から彼と会うのがあらかじめわかる日はなるべく持っている中で高めのスーツとネクタイを選ぼうと夕希は心に決めた。それと、せめてリュックはやめることにしよう。
夕希がそんなことを考えている間に隼一は滑らかな白木のカウンター前に座ってさっそく大将となにやら親しげに会話している。注文について確認されたが、特にアレルギーなども無いので全ておまかせした。
すぐに握りが出てくるのかと思ったら、まずは先付として桜鯛の白子が出てきた。夕希はスマホを手に尋ねる。
「写真撮ってもいいですか?」
「どうぞ」
カウンターのみの店内には最初空席があった。しかし気づけばいつの間にか満席になっている。周りのお客さんの中にはスマホで料理を撮影している人がちらほらいた。
写真を撮り終えて白子を一口食べた瞬間、あまりの美味しさに背筋がぴんと伸びた。
「美味しい!」
「だろ?」
「甘くて濃厚なのに、しつこくなくて――後味はさらっとして……」
「さっきまで人形みたいに固まってたのに食べたらやっと元気になったね」
隣りに座った隼一が目を細めた。テレビで見ていた時はクールで気難しそうな人だと思ったけど、意外とそうでもないのかもしれない。
「あ……すいません。こういうお店は慣れなくて緊張してしまって」
夕希の言葉を聞いて隼一はカウンターの向こうへ話しかける。
「大将、彼ここは初めてなんだけどせっかくだから美味しいものを食べさせてあげたいんだ」
すると大将は柔和な顔に笑顔を浮かべた。
「固くならずたくさん召し上がってください」
「ありがとうございます」
高級寿司店のカウンター席なんて一人では気が引けてしまうけど、隼一と一緒だったから大将とも自然に話せた。食べながら時おり口にした物の香りがどんなか隼一に聞かれて、夕希はその都度少ない語彙を駆使して一生懸命説明した。魚の匂いなどこれまで意識したことがなかったので、説明がすごく難しかった。
赤みや中トロを大将が切り分け、綺麗に並べてしばらく常温で置いている。温度管理が大事なんだと隼一が隣で教えてくれた。
いくつか一品料理が出てきた後、握りが出てくる。さより、漬けのマグロ、中トロ、アジ、ボタンエビ、しゃこ、穴子――。
どれも自分が今まで食べてきた寿司とは全然味が違って、夕希にとって驚くことばかりだった。実は夕希は青魚が苦手だと思っていたが、この日食べた物はどれも美味しかった。というのも全然生臭くないのだ。ネタの鮮度もさることながら、大将の丁寧な仕込みのおかげだろう。
目の前の付け台に美しく透き通ったさよりの握りが置かれる。夕希は素早く撮影した後それを口に入れた。よく味わって飲み込み、隣の隼一に感想を述べる。
「口に入れた瞬間は淡白な風味かなと。でも、噛むとコクがあってまろやかな旨味を感じます」
隼一はそれを聞いてからさよりの握りを口にした。目を瞑って何かを確かめるように飲み込む。
「なるほど――」
彼は無表情で、自分の説明でどれだけ役に立っているのかはよくわからない。しかし辛口評論家である彼の機嫌は悪くないように見えた。
大将は最初から最後まで付かず離れずの絶妙な距離感で旬の魚のことや最近の仕入れのことなどを話してくれた。おかげでカウンター初心者の夕希でも、帰る頃にはすっかり打ち解けたような気になっていたのだった。
最後にプリンのようなつるんとした甘い厚焼き玉子が出て締めとなった。
「ごちそうさまでした。こんな美味しいお寿司食べたの初めてで感動です」
「それは良かった。是非また来てくださいね。鷲尾さんに言えばいつでも連れて来てもらえますよ」
大将がいたずらっぽく笑う。
「夕希が気に入ったならまた来よう」と隼一も満足げに言う。
「それから鷲尾さんこれ、お誕生日おめでとうございます」
大将が小さな紙袋を隼一に手渡した。
「なんだ大将知ってたの? 悪いね、気を遣わせて」
「誕生日のディナーにうちを選んでいただけて光栄です」
――え、ちょっと待って。隼一さん今日誕生日なの!?
これを聞いて夕希は隣で密かに青ざめた。当然プレゼントなど何も用意していない。
彼の誕生日なのにきっちりご馳走になった上に夕希は手ぶらで、しかもみすぼらしい格好で……。きっと大将も不思議に思っていたに違いない。本来なら華やかに着飾った美人でも連れているべきなのに、と。
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