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第16話 海辺のピクニック

「お昼には少し早いので先にこの辺を散歩しましょうか」  お台場には午前中のうちに到着したので海浜公園の駐車場に車を停め、海が見えるデッキを歩く。天気が良くて眺めは最高だった。東京湾の向こう側にレインボーブリッジや夕希たちが普段生活している都心部が見渡せる。デッキに面したカフェのテラス席では犬を連れた軽装の夫婦や若いカップルたちがゆったりとモーニングを楽しんでいた。 「この辺りは朝食に来るのもおすすめですよ」 「そうなの?」 「実は向こうのマンションに兄が住んでるのでよく来るんです」  夕希は自分たちが歩いてきたのとは反対側の、ゆりかもめの駅がある方向を指さした。 「そういうことか。お兄さんは一人暮らし?」 「いえ、結婚してて旦那さんと五歳になる甥っ子と住んでます」 「じゃあお兄さんか旦那さんがオメガなの?」 「はい、兄がオメガで義兄がアルファの夫夫(ふうふ)です」  兄の家庭の複雑な事情についてはあまり話題にしたくなかったのでさりげなく話しを変える。 「少し歩いたら自由の女神のレプリカや等身大のアニメのロボットもありますけど、隼一さん興味無いですよね」 「せっかく来たから名物を一通り見てみたいな」 「じゃあ、写真撮りに行きましょうか」  辺り一帯をぐるっと見て回るとちょうど良い時間になった。二人は車に戻ってお弁当とレジャーシートを持ち、海岸へ向かう。 ◇  夕希は砂浜より一段高くなった木陰の芝生にレジャーシートを広げた。木々の隙間からビーチやきらきらと光を弾く海面が見える。  砂浜側からは薄暗くてよく見えないが、木陰に一歩足を踏み入れてみると数組の家族連れがシートを広げて食事していた。 「へぇ、こんな場所があるのか」  隼一が物珍しそうに辺りを見渡す。 「若者が遊ぶには向こうのレジャー施設がいいんですけど、この辺は甥っ子と遊ぶのにいいんですよね」 「なるほど」 「お台場って子連れに実は優しいんですよ」  きゃっきゃとはしゃいで走り回る子どもたちを眺めながら夕希が言う。 「なんだか実感がこもってるね」 「甥っ子と一緒にいるとつい想像しちゃうんです。もし自分に子どもができたらって――……。さ、こんな話よりお弁当食べましょう!」  豪華なタワーマンションに住み何不自由なく暮らしている兄と甥っ子。だけど兄とパートナーの関係は良好とは言えず、彼らのことを考えると自分の結婚生活にも不安しかない。  夕希は憂鬱な気分を振り払うようにお弁当の蓋を開けた。木漏れ日の差すレジャーシートの上では家庭的なお弁当も見栄えがして、夕希は胸を撫で下ろした。 「ああ、良かった。外で見ると背景効果か、こんなお弁当でも悪くないですね」 「上出来だよ。美味しそうだ」  隼一は匂いがしないなりに、注意深く味わって玉子焼きや唐揚げを食べてくれた。彼曰く匂いがしないせいで味付けがぼんやりと薄く感じるとのことだったので、普段自分が作るときよりも塩や砂糖を強めに調整していた。 「この時期って暑すぎないからピクニックにちょうどいいですよね」 「そうだな。海に入るにはまだ早そうだが、子どもには関係ないようだね」  遠くに見える浜辺で子どもたちが裸足になって水遊びをしている。それを眺めながら隼一がぽつりとつぶやく。 「俺もたくさん子どもが欲しいな」 「へぇ、意外です。あまり子どもには興味が無いのかと思いました」  世界中に美食を求めて渡り歩いているイメージが強くて、彼が子だくさんの大家族となるという未来は想像しにくかった。 「今日ここに来て考えが変わったよ。食べることへのこだわりを捨てて、家族との時間を大切に生きるのも良いなってね」  夕希の提案した気分転換は功を奏したようだ。 「夕希は? 子どもは何人欲しい?」 「僕ですか?」  そこまで具体的なことは考えたことがなかった。ただ、母親的に最低でも一人は出産しないと許してくれないだろう。 「わかりませんけど、僕は兄弟がいて良かったと思ってます」 「そうか。俺は兄弟がいないんだ」  タコさんウィンナーを箸でつまみながら夕希は相槌を打った。すると隼一が至近距離で覗き込んでくる。 「子どもが三人くらいいて賑やかなのっていいと思わないか?」 「え?」 「夕希みたいにきれいなアーモンド型の目をした子ならもっと良い」  隼一の言葉にどきっとした。ヘーゼルブラウンの瞳が優しく静かに見つめてくる。潮風に混じって彼特有のシダーウッドのような香りが夕希の鼻をかすめ、頭がふわふわしてきた。発情期は来月だというのに、アルファの香り(フェロモン)を間近で浴びて、夕希は意識を引きずられそうになる。僕も彼みたいな瞳の色の子どもが欲しい、なんて言葉が頭に浮かんできて息を止めた。 「え、ええ……そうですね」  隼一がすっと息を吸い込んだ。 「甘い香り――美味しそうだ」  隼一の顔が更に近づいてくる。心臓が破裂しそうなくらい鳴り響き、彼の男らしい香りに流されるように目を閉じた。  すると彼は夕希が口を付けていたウィンナーにかじりついてそれを奪っていった。 「あ……」 ――美味しそうって、ウィンナーか。キスされるのかと思った……。

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