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第17話 隼一の執着と夕希の気持ちの変化

 帰りの車中でも夕希は昼間彼に浴びせられたフェロモンの余韻が残っていて、なんだか落ち着かない気分だった。これ以上一緒にいたら何を言い出すか自分でもわからなかったので今日は自宅に送ってもらうことにした。  隼一は夕希が自宅に送って欲しいと頼むと不満そうに言う。 「なぜ? うちに泊まればいいじゃないか。せっかく一緒にワインを飲もうと思ったのに――」 「すみません。なんだか疲れちゃって……。連休中はびっしりお邪魔することになるので、着るものも準備したいですし」 「そうか。朝早くから弁当を作ってくれたしな」と納得しつつ隼一は「今夜は匂い無しか……」とがっかりした様子でつぶやいた。 「わかった、じゃあ明日また迎えに来るよ」 「いえ、迎えなんて結構です」  彼は表情こそ冷たそうに見えるが、気を許した相手にはとことん世話焼きに変身するらしい。油断するとすぐにどこへでも車で送り迎えすると言ってくる。 「何言ってるんだ。荷物が多いんだろ。何時に来たら良い?」  気がつけば来る来ないの話から、何時に来るかという話にさりげなくすり替えられていた。夕希は仕方なく答える。 「じゃあ……十一時に……」 「そんなに遅く?」  どうやらこれもまたご不満らしい。 「だって、洗濯とか掃除もしたいですし」 「それもそうか……。わかった、仕方ないな。じゃあ十一時に来るよ」  こうは言ってもおそらく十時半には来ると思って用意していたほうがいいだろう。朝が早い人だから、きっとじっとしていられない。 「ありがとうございます。いつも送ってもらってすみません」 「いや、俺が好きでやってるだけだから気にしないで」 「それじゃあ、おやすみなさい」 「ああ、おやすみ。お弁当美味しかったよ、ありがとう」  マンションに帰ると宅配ボックスに荷物が届いていたから部屋に持ち帰る。差出人の名前は見たことがあるような気がしたけど誰だったかすぐには思い出せない。  匂いがしないお弁当がそんなに美味しいわけはないのに、美味しいと言って残さず食べてくれた隼一の気遣いが嬉しかった。彼はお世辞を言わない人だから、少なくともまずくはなかったんだろう。 ――僕が泊まらないと言っただけであんなにがっかりしちゃって。  お弁当箱を洗いながら夕希は頬を緩ませた。匂いがしないのを寂しがっているだけなのはわかっている。でもそこまで自分が求められていると思うと胸の奥が甘く疼いた。隼一に特別な感情を抱きはじめていることをそろそろ夕希は認めなければならない。今日隼一の家に泊まらなかったのは、あのまま一緒にいたら彼にキスをねだりそうだったから。  ここまでなるべくアルファを避けてベータとして生きてきたのに、彼のことをビジネスの相手だと割り切ることができない。顔を近づけられただけでキスを期待してしまう――。  風変わりでいつも突拍子もない発言をする彼がただ「夕希みたいな目をした子がいい」と言っただけでこんなふうになるなんて自分でも情けない。気があるような素振りを見せるのがアルファの手口だってことは高校時代身にしみてわかっているのに……。  隼一のようなハイクラスのアルファが僕のような凡庸なオメガの相手をするなんてありえない。ただ今は彼にとって唯一匂いがする相手というだけ。 ――しかも僕は七月には親の決めた相手とお見合いが待ってるんだ。  アルファの中でも珍しくオメガを見下さない善人の部類に入る隼一。彼と過ごすうちに、自分の中でアルファに対する嫌悪感が薄らいできたのを感じる。  しかし自分の結婚相手が善人だとは限らない。  これまでの経験上、実の父親も、兄の夫も、同級生のアルファも、皆自己中心的でオメガをないがしろにする酷いアルファだった。だからきっと自分の夫となる人にも期待はできない。 「僕の旦那さんになる人が隼一さんみたいな優しい人だったらいいのに……」  無意識のうちにつぶやいてしまった言葉に夕希は自分で愕然とした。 ――こんなこと考えてちゃだめだ。気をしっかり持たないと。アルファに期待するなんて無意味だし、こうやって弱みを見せればすぐに自分は駄目になる。  夕希は洗い物を終えてコーヒーメーカーをセットした。抽出を待つ間に小包を開封する。ダイニングテーブルの上で宛名ラベルを剥がし、記憶を辿る。 「えーと、北山友宏(きたやま ともひろ)……北山って誰だっけな。仕事関係の人?」  外箱の中にはメッセージカードと、光沢のある深紅の包装紙で覆われた箱――4号サイズのケーキが入るくらいの大きさ――が入っていた。カードを開いてみてやっと差出人の正体がわかった。  夕希のお見合い相手だ。

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