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第38話 キスで嗅覚が復活する?

 なんとか彼の暴走を阻止し、夕希が代わりにテイスティングをし直すこととなった。指定された番号の日本酒をグラスに注いで口に運ぶ。すると横から隼一が手を伸ばしてきた。「ちょっと貸してくれ」とグラスを奪われる。 「え? どうしたんですか」 「これ……」  彼はグラスの匂いを嗅ぐような仕草をしてから、中の酒を口に含んだ。しばらく黙って考えた後、口を開く。 「匂いがまた戻っている」 「え?」 「そうか……そういうことだったのか……」 「どういうことです?」  彼はグラスを置いて夕希の目を見た。 「さっき君とキスしたね」 「ええ」 ――無理やりですけどね。  彼は人差し指を立てて「その後、嗅覚が戻った」と言う。 「そうなりますかね?」 「つまり、君とキスすると……いや、おそらく君の体液やフェロモンを摂取することで嗅覚が戻ったんだ!」 「ええ……? そんな、まさか」  また彼が突拍子もないことを言い出した。オメガとの性行為が解決法という説にしろ、あまりにも信じがたい。だって世の中のアルファが皆オメガとそういうことをしているわけじゃないだろう。しかし夕希の反論に対して隼一は「俺は普通のアルファと違ってこれまで味覚への影響を案じてオメガとなるべく接触しないようにしていたからだ」と言う。 ――そう言われると、オメガのフェロモン不足説も真実味を帯び……る、のかなぁ?  未だに懐疑的な夕希に対して、彼は興奮で頬を紅潮させていた。 「今までなんで君にキスしなかったんだろう! 俺が馬鹿だったよ」 「はい?」  彼は夕希の手を取った。 「ずっと抱きしめたい、キスしたいと思ってた。君があまりにいい匂いだから、そのすべすべの頬を舐めたらどんな味がするだろうと思ってたんだ。なのにそういう雰囲気になるのが君は嫌そうだったから、我慢していた」 ――え、嘘……隼一さんそんなこと考えてたの?  夕希は驚いて目を丸くした。 「だけど昨日あんなに情熱的に誘いをかけられて、君の気持ちはよくわかったよ」  彼が微笑みながら熱っぽい視線を送ってくる。なんだか雲行きが怪しい。 「は? あの、気持ちって……。ちょっと待ってください」 ――気持ち? なんのこと!? 「気づけなくてごめん。君が俺に冷たかったのは恥ずかしかっただけなんだね。なんていじらしいんだ……。これからは俺がちゃんとリードするから安心して、夕希」 「リード……?」  夕希は何がなにやらわからず呆気にとられた。 「これからは君とこうやって思う存分スキンシップできる。そうすれば俺の嗅覚も正常に働く」  彼は夕希の手の甲に口づけした。 「あ……」 ――そういうこと? 待って、隼一さんもしかして僕が彼のこと好きで恋人として付き合いたいんだと勘違いしてる? 今後もキスしたりエッチしたり出来ると思ってるってこと……!? いや、むしろこっちはここに来るのももうやめようと決意したばかりなんだけど――。  もうこれっきりだからと抱かれたつもりの夕希に対し、彼はこれから二人の関係を進めて行こうと考えているようだ。お互いの認識のズレにめまいがしそうになる。  しかし、彼の浮かれようを見ていたら、とてもじゃないけど「もうこれっきりでアシスタントはやめます」とは言い出せなかった。これまで散々お世話になったし、一緒にいることで一時的にでも匂いが戻るならぎりぎりまでは……と、夕希は結局この日何も言い出せなかった。  お酒のテイスティング記事は修正が加えられ、夜には原稿が無事完成した。  隼一はお酒を飲んでしまったので送って行けないからもう一泊するように、と言う。幸い夕希は昨日の時点で会社に四日間のヒート特別休暇を申し出ていた。  彼は依然勘違いしたままだったから、当然のように夕希が今夜から自分の部屋で寝るものと思っていた。しかし、そんなわけにはいかない。夕希は抑制剤をしっかりと飲み、自室で休んだ。  そして翌日「特別休暇中はずっとうちに居たら良い」という彼をなんとか説得して、車で自宅まで送り届けてもらった。そのときに自宅へ帰してもらう交換条件として、彼と会った際に一日に五分間キスをするというルールを設けさせられた。彼は最初三十分と要求してきたが、交渉の末五分に設定するのがやっとだった。

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