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第62話 【最終話】春を夢見て羽ばたく凍蝶
十一月も後半になり気温は下がっていたけど、今日は天気も良くて比較的温かい。この広場に某有名クリスタルブランドによる巨大なシャンデリアが設置されるともう少しでクリスマスだな、という気がしてつい心が躍る。しかも去年まで毎年夕希はそれを猛烈な食欲と、たとえ仲のいい友人がいたとしても埋めきれない孤独感を抱えつつ眺めていた。
だけど今年は愛するパートナーが隣にいる。彼がそっと僕の手を握った。
「手、冷たいな」
「隼一さんはいつも温かいですね」
しばらく無言で緩やかな坂を登る。夜になるとイルミネーションが綺麗なんだよね――と思いながら辺りをぼんやりと眺めていたら隼一が立ち止まった。
「あ、夕希ちょっと待って」
「え? なんですか」
隼一が珍しくスマホを手にして夕希にレンズを向けた。
――急に何?
何度かシャッター音が鳴って、隼一が満足そうに頷いた。
「どうしたの?」
「蝶だよ。頭に止まって――ああ、飛んでいった。あいつも俺のように夕希のいい匂いに誘われたのかな?」
彼が指差す方に視線を向けると黄色い蝶が弱々しく植栽の向こうへ飛び去るのが見えた。すると小さな女の子が後ろから駆けてきて、夕希たちを追い抜いた。
「チョウチョ待って~!」
女の子は蝶を追いかけて植え込みを覗き込んでいる。そこへ後ろから母親らしき女性が走ってきた。夕希はそれを見てつぶやく。
「もう冬になるのに蝶々がいるんですね」
「いるよ。冬蝶とか、凍蝶 って言って冬の季語になってる。寒さで元気がないから物悲しいけど、風情があるよな」
「知らなかったです。そういうのも勉強しないとだめですか」
「はは、そんなに気にすることはないさ。こうやってたまに君に知識をひけらかすくらいしか用途は無いし」
隼一がまた夕希の手を取った。彼は指で手の甲をなぞりながら夕希の耳元で囁く。
「そんなことより俺たちも早くあんな可愛い子どもが欲しいね」
「えっ!」
夕希は恥ずかしさで咄嗟に彼の手を離し、自分の耳を手で隠した。
「そういうことを外で急に言わないでくださ――」
抗議する夕希の唇は隼一の温かい唇で塞がれた。
「んむっ……!」
すぐに隼一は唇を離して夕希に背を向けた。
「じ、隼一さん!」
夕希はいよいよ顔を真っ赤にして隼一に食ってかかろうとした。すると彼は笑いながら大股でさっさと坂を登って行ってしまう。
「もう、すぐにふざけるんだから……」
夕希は彼の背中を追いかける。
隼一との結婚が決まり、夕希は焦って仕事を見つける必要はなくなった。今まではコラムニストという仕事にこだわっていたけど、美耶から打診された仕事にも興味を持ち始めている。オメガとして、そして将来的に母親となる予定の人間として、何か役立つ仕事ができるならしてみたい。
少し前までは、何が何でも在宅の仕事を見つけなければ――と必死になっていた。だけど本当に大事なのは仕事を見つけることじゃない。固定観念にとらわれて、自分をがんじがらめにしていたのは自分自身だった。そこから抜け出すことが必要だったんだ。
――もう無理に自分を偽る必要はない――。
今はオメガの自分を認めて受け入れてくれる人が傍にいる。隼一はもちろん、家族や友人とも向き合う勇気が持てた。
未だにオメガの自分をさらけ出して素直になることはちょっと怖い。だけど寒さに負けず冬を乗り越え、自由に羽ばたく春の蝶のようになりたい。
「きっとなれるよね……」
〈完〉
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最後までご覧いただきありがとうございました!
旧時代的な家庭で育ったオメガの夕希が隼一というアルファと出会って自分の第二性を受け入れていくというお話しでした。
読んでくださって少しでもポジティブな気持ちになっていただけたら幸いです。
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