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「シノ~~~、シノさん~~~、シノ様ぁ~~~!」  廊下を歩くシノの腰に、和真が縋りついている。ずるる、と引きずられながら、和真は情けない声で懇願していた。 「お願い~~~、相談に乗って~~~、焼肉おごるから~~~!」  社員たちがクスクス笑いながら通り過ぎていく。シノはと言えば、スマホを見ながら「今日月曜日なんですよ?」と眉をひそめた。 「平日から付き合ってられませんよ、定時で上がれるとはいえ、こちらにだって予定は有るんですから」 「なんでも注文していいから! 〆にラーメン屋行ってもいいから!」 「せめて金曜日にしてくださいよ」 「高いアイス、何でも好きなやつ、食べていいから!」 「…………」  シノは和真に何か言いかけてはやめ、それを何回か繰り返した後で、「個室でしょうね」と尋ねた。和真はガクガクと大きく頷いて、「お願いっ、シノ様!」と祈る。 「……はぁー……わかりました」 「ヤッター!! ありがとうシノ!」 「その代わり、できるだけ手短にお願いしますね」 「するする! めっちゃ手短にする!」  和真は激しく頷いた。 「お隣さんの恋人がもしかしたら銀色鉛筆かもしれないんだよね」 「…………すいません、もう少しわかりやすく、最初から話してくれますか?」  できるだけ手短にと言われたので、要点をかいつまんで言ったつもりだが、逆にシノを混乱させたようだ。  焼肉店の個室。特上カルビを網の上でひっくり返しているシノに、和真は一から説明した。  例のよろしくない夢は日に日にエスカレートしていること。そして肝心の薫のところへ、銀色鉛筆のような髪のパンク男が入って行ったこと。 「マジ恋人かと思うとさあ、自分んちに帰っても落ち着かないじゃん。なんか聞こえないかなって壁に耳押し付けても何にも聞こえないし」 「だいぶ気持ち悪いことしてますね、和真さん」 「えっへへ」 「ぜんっぜん褒めてませんからね?」 「いや、俺の想像してた通りのリアクションで逆に安心した」  へへへ、と笑う和真がよほど気持ち悪かったとみえる。シノは呆れたように溜息を吐き出して、首を振った。 「あんまりそういうことをしていると、ストーキングと区別がつかなくなりますよ」 「それは、そう思う……。俺も別に、お隣さんに迷惑をかけたいわけじゃなくて、なんていうか……わ、わからない? その……どうにもこうにも、コントロールできないんだよ、気持ちが……」 「まあ、それが恋とか狂気とかそういうものなんでしょうけど」 「狂気とか言わないでよぉ!」  和真の言葉に、シノは焼けたカルビを皿に取りつつ言った。 「何も恋の狂気とは悪い意味だけではありませんよ、和真さん。とある有名な哲学者はそれをこの世で最も良いものとまで言っているのですから」 「シノ、誤魔化してるでしょ」 「バレました?」 「そりゃバレるよ! 全然良いものだと思ってる顔してないもん!!」  和真はそう文句を言いながら、肉を皿に取る。奢るとは言ったけれど、シノにだけ食べさせるつもりはない。自分もしっかり食べて、元気を出したい気分だった。  炭火で炙られた特上カルビからは、透明な脂が滴っていて、香ばしい香りが室内に満ちている。和真はそれをタレに軽く浸けて、熱いうちに口へ運んだ。お高い牛肉は柔らかく、それ自体が甘い。んんーーー、と声にならない声を上げて、手元のビールを流し込む。最高だ。最高の味。メンタルがこんな状態でなければ、どれほど幸せだったことか。 「あ、和真さん今日は飲み過ぎないでくださいね。明日仕事ですし、僕も和真さんの面倒を看たくないんで」 「わかってる、わかってるよ。でもこれが呑まずにいられるか……ってなるじゃん、普通!」 「大体、言っておいたはずですよ。恋のことで泣きつくなって」 「だって他に頼れる人がいないんだもん」 「友達とかいないんですか? 和真さん、僕よりよほど交友が広そうなのに」 「セフレしかいないもん」 「…………」 「あ、俺その顔結構好き。シノが虫けらでも見てるみたいな目」 「好きにならないでください。あとそんな顔させないでください」  シノがため息を吐いた。ふたりはしばらく焼肉を楽しみ、また新しい肉が焼けるのを待つ間、先に口を開いたのはシノのほうだった。 「それで、失恋したから諦めるんですか?」 「いや! いやいや! そもそもあの銀色鉛筆が薫さんの恋人だって決まったわけじゃないし!」 「でも恋人かもしれないんでしょう?」 「うっ、それは、そう……恋人かもしれない、でも恋人じゃないかも……」 「まるで「シュレディンガーの猫」ですね。観測するまで猫が生きているか死んでいるかわからない、と。……いっそお隣の方へ聞いたらどうなんです? その銀色鉛筆が何者なのか」 「エッッッ!」  和真は大きな声を出しかけた。  薫さんに聞く? 面と向かってでなくても、メッセージで『すいません、こないだ見ちゃったんですけど、あの銀色鉛筆は薫さんのなんなんですか?』って聞いちゃうの?  和真はその先に続くシチュエーションを想像した。 『見られちゃったか、実はね、お付き合いしてるんだ』と薫がはにかんでいる様子を思い浮かべると胃が痛くなる。 『ああ、友達なんだ』とさらっと返された場合。普通男は男の友達と手を繋がないわけだから、「ホンマに?」という疑問は全く解消されない。もしかして嘘をつかれているのでは……と薫を疑い始めてしまう。あんなに優しい聖人に嘘をつかせる自分、を想像すると、血の気が引いた。 「無理無理無理! 聞けない!」 「はあ……」 「薫さんに恋人がいるなんて耐えられないけど、薫さんに恋人隠されるのも耐えられないし、薫さんが恋人なのに友達ですって嘘ついてるかもって疑うのも耐えられない、全部無理! アーーーッ!」 「重症ですねえ、和真さん」  喚き散らす和真をよそに、シノは「特上カルビ、おかわりお願いします」と店員に頼んでいた。 「えーん、やだよー。俺、こんなんやだ。穏やかに暮らしたい。気楽にえっちなことして楽しく暮らしたいだけなんだよ、シノぉ……」  テーブルに突っ伏したまま嘆くと、シノは「ふむ」と考えてから、言う。 「では、なかったことにすれば? よそに引っ越すなりなんなりして」 「……そんなのやだあ! 薫さんのそばにいたい! 薫さんのこと心配だし、たまに会いたいし、声が聞きたいし、……薫さんと仲良くしたいだけなんだよ~~~! なんで恋なんかしちゃうの、恋心だけ無かったことにならんかな!?」 「ならないでしょうねえ」 「ウェーーーーー! 恋心怖い!」  嘆く和真に、シノはまた肉を焼きながら、静かに語った。 「恋は脳が新しい刺激を求めることに由来していますからね。あなたがその人と一緒にいて、親しくなるにつれ違う情報を得ている限り、恋は終わらないものなんですよ。一度スイッチが入ってしまうとね、なかなか、どうにもなりませんから」 「うう……つらいなあ……」 「まあ、僕は構わないんですけどね。あなたが恋に悩んでいる間、外食費が浮きますから。……『薫さん』に感謝しませんと」 「…………あ! 名前言っちゃってた!」  和真は慌てて口に手を当てたが、何もかもが手遅れだ。これまで「お隣さん」と誤魔化してきた薫の名を、思わず出してしまった。今更無かったことにもできない。和真はバツが悪そうに頭を掻いて、「そうなんだよ」と呟く。 「薫さん、っていうんだ」 「素敵なお名前だと思います」 「うん、名前だけじゃない。人間性もすごく良くてさ。優しくて……でも放っておけなくてさ……」 「恋心を抜いても、好きでいらっしゃる?」 「そりゃもちろん! あんないい人いないし、何かの役に立ちたいし。穏やかに暮らしてほしいから、……俺が何か迷惑かけたり、面倒なこと起こして、薫さんの平穏を乱したくないんだよ」  和真の言葉にシノは「なるほど」と頷き、そして静かに尋ねた。 「つまり、「薫さんに幸せになって欲しい」と思いますか?」 「……うん」  こくり、と子供のように頷くと、シノもまた大きく頷いた。 「では、それをしっかりと軸に据えて、忘れないように。あなたはあくまで、薫さんの幸せを願っている。そこを間違えなければ、恋があなたを狂わせることはありません。あなたが苦しむことはあってもね」 「……シノ……」  シノが珍しく、ちゃんとアドバイスをしてくれている。そのことに感動しながら、和真は目を潤ませる。シノのほうはといえば、網の上のカルビを根こそぎタレに持って行きながら「そろそろデザートがほしいですね」と呟き注文していた。 「……シノってなんだかんだ面倒見いいよね……」 「なんです急に、気持ち悪い」 「どうして俺に良くしてくれんの? 結構めんどくさそうにしてるのに」 「めんどくさい思いをさせてる自覚は有るんですね……」  シノは呆れたように溜息を吐いて、眼鏡を正しながら「そうですね」と小さな声で呟いた。 「……似ているから、ですかね」 「え? 何が似てるの?」 「それは秘密です」 「えーーっ、教えてくれてもいいじゃん! シノさん!」  しかしシノは結局教えてくれないまま、お高いアイスを頬張り始めたのだった。  

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