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ガチャーーン、と大きな音がする勢いでバーのドアを開け、中に飛び込んだ。ゼエゼエ荒い呼吸を繰り返しながら店内を見回すと、驚いた表情の客たちが目に入る。そしてカウンターに目をやって、和真は卒倒しかけた。
「和真君~、元気なのはいいけど、ドア壊さないでね~」
マスターがのんびりそう言っている、カウンターの席。そこに、見慣れた姿が有った。
温かな店内でダウンを脱いだ彼は、よく見かけるナチュラルな色使いのセーターを羽織っている。長い髪を三つ編みにしている彼は、和真に少し驚いた顔をしてから、ひらひらと手を振った。
「か、かかか、薫さん、」
和真はよろよろとカウンターに歩み寄りながら尋ねる。
「なななな、なんでここに……!?」
ここは、夜な夜な男同士の出会いを――今夜の相手を探して人が集まる場所だ。当然、店内にはそういう男しかいない。いわば相手を求める雄の群れの中だ。そこに、花のように柔らかく儚げな薫が佇んでいる。
しかも薫といえば、何かカクテルを手にしているではないか。酒まで飲んで、酔い潰れたらお持ち帰りされかねない。まあ、和真は無事アパートの床で冷えていたのだけれど。
「こんばんは、和真君。君に聞いてからこのお店、気になってたんだ。今日は非番だし、折角だから行ってみようと思い立ってね」
月曜日からとんでもないことを思い立ったものだ。薫は美容師だから和真と休みの感覚が違うのを失念していた。もし、マスターが連絡をくれなかったら、薫は何も知らずにここで呑んで、その先に何が起こるかわかったものではない。
マスターを見ると、彼はウィンクをしていた。グッジョブ、と薫に見えないように手でサインして、和真はカウンターに向かう。
「ここ、いい雰囲気のお店だね」
薫は呑気に店内を見渡した。今日は平日とあって、客は少ない。逆に言えば、こんな日に来ている連中は本気だ。和真は薫を隠したい気持ちにかられながらも、「そ、そうなんすよ……」と頷いた。
「マスターさんもとっても素敵な人で。ずっとここでお話させてもらってたんだよ」
「そうだよ~。和真君のお友達だって聞いたから、色々お話聞いてたんだ~」
のんびり言うマスターが、和真にニッコリ笑う。あんなメッセージを寄こしたのだ。きっとマスターも長年の勘で、薫が「そういうつもり」でここに来たのではないと見抜いたのだろう。ここでひどい目に合うのを防いでくれていたのかもしれない。
和真は薫にバレないよう、マスターに手を合わせて拝んだ。自分が来たからにはもう安心だ。他の誰も近寄らせなければいい。そして、この店以外の場所をオススメして、もう二度と来ないようにさせるだけ。
しかし、心臓が破裂しそうなほどバクバクいっていて、集中できない。
マスターと薫と自分とで何かを話しているような気もするのだが、正直に言ってそれどころではない。万が一にも、ここが「そういう店」だとバレたら。そう考えると、気が気でない。自動的に、自分がどんな人間かわかってしまうハズだ。
『このクズ! 豚野郎!』
いつだか夢の中で、薫に言われた言葉を思い出す。それだけで、うぐ、と胸が詰まりそうだ。
いやいや、薫さんはそんなこと言わない。言わないはずだ。たぶん。きっと。メイビー……。
なんとか自然に外へ出ようと思うのだが、いい言葉が思いつかない。誰かとこの店を出る時の言葉なんて、「ふたりっきりになれるところ行こうか」とかしか知らないのだから。そんな恥ずかしいこと、薫相手に言えるわけがない。
じゃあ、なんて言えばいい。ここがお気に入りの店だと言った以上、変な理由では外に連れ出せないじゃないか。
うんうん悩んでいた和真は「よう、和真!」と後ろから声をかけられ飛び上がりそうになった。慌てて振り返ると、いつの間にかすぐそばに、グラス片手の男が立っている。よく見る顔だ。和真も何度か「ご一緒」したことがある。そんな男。
「久しぶりじゃねえか、最近顔見せないから心配してたんだぜ? 元気だったか」
「あ、ああー、うん、元気、元気……」
にこやかに笑って話しかけられて、無視するわけにもいかない。横に薫がいるのだから、他人にそっけないところなど見せられないではないか。内心、「早くどっかに行ってくれ!」と思いながら、相手をしていると、悪いことには薫も気付いた。
「あ、和真君のお友達?」
「ヒエッ、あ、そ、そんな感じです……」
「あれ、お連れさん? 珍しいな、和真っていつもひとりで来てたイメージ」
ふたりの間に挟まれて、和真は首を大きく回しながら、滝のように汗を流しつつ、なんとかこのピンチを乗り切ろうとしていた。
しかし上手い考えが咄嗟に出てくるわけもない。和真はこと恋に関しては、恐らく学生と変わらない水準の知識しかないのだから。
「あーえーっとえっとその、これはその……」
もごもごしている和真をよそに、薫がぺこりと頭を下げる。
「はじめまして、露峰と申します」
「あ、ああ、俺は東川だけど……。なんだ、和真。お前が選ぶには珍しいタイプの人だな」
「選ぶ?」
「ああーーーーーッ、いやいやいや、え、選ばれたのはこっちっていうか、いや違う、選ぶとか選ばれるとかじゃなくて、ええとその、そう、たまたま知り合って仲良くなったっていうか……!」
しどろもどろになって説明している和真の様子は、誰がどう見ても不審だ。東川と名乗った男は首を傾げてから、「あ」と思いついたような顔をした。
「もしかして、お付き合いしてる?」
「ヒェッ」
とんでもないことを聞かれて、和真が色んな意味で悲鳴を上げる。すると今度は薫が口を開いた。
「はい」
「エッッッッッッ!?」
薫を見ると、とてもいい笑顔を浮かべているし。
「和真君とはよいお付き合いをさせて頂いています」
とアッサリ言ってしまうものだから。
「!?!!??」
カアッと頬が熱くなるし。そんなことはないのに、もしそうだったらどれだけいいだろうなんて、一瞬考えたりして。薫はもしかしてそう思っていたのかとか、いや何かの間違いに決まってると思ったり。とにかくこの場を去らなければと、頭が混乱を極めた。
和真はわけがわからなくなって。ついに、薫の手を握りしめる。
「薫さん!! あの!! ちょっと!! 違う店行きましょう!! 二人っきりで話せるところ!!!!!!」
「えっ、あ……か、和真君?」
「マスター、ツケといて!!!!!」
「早く払ってね~」
「あ、あの、あのご馳走になりました、お先に失礼しますね……!」
マスターたちに挨拶する薫の手を引っ張って、逃げるようにバーを飛び出した。男とセックスをしに行く時の言葉と同じものを発したことにも気付かないまま。
「……ありゃ~。和真ってつい最近リンちゃんと付き合って別れたばっかりじゃなかった?」
店内に残された東川が、マスターに尋ねる。マスターのほうはといえば、グラスを磨きながらのんびりと答えた。
「確かそうだったね~」
「へえ~、こりゃ面白くなってきそうじゃん」
東川が文字通り他人事のように笑った。それにマスターも苦笑する。
「口にフタはできないからね~。これをリンちゃんが知ったら、さあどうなるだろうかな~」
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