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 小さな頃から、薫は体が弱かった。  早産だったことも有るだろうし、熱を出すことが多かったのもあるだろう。両親はすっかり過保護になっていった。実際、体調を崩しがちだったから無理からぬことだ。  必然的に薫は幼稚園や学校を休むことも多く、遊びも遠出や外出は少なくなり、仲の良い友達もあまり多くはできなかった。  そんな中で、薫の心の拠り所だったのは、隣に住む同級生。直瀬悠生だった。  悠生は明るくひょうきんな性格で、男女共に好かれていた。ただし恋愛感情ではなく、楽しい友達という意味で。そんな彼は、隣同士ということもあって薫の面倒をよく見ていた。  学校を休むとプリントを届けてくれたり、明日持ってくるものを教えてくれたり。時には勉強を教えてくれたりもした。もっとも、悠生の成績は下から数えた方が早いほどで、薫の助けにはあまりならなかったのだけれど。  それでも、薫は悠生を特別な友人だと思っていた。  友人だと、思っていたのだ。 「違和感を覚え始めたのは中学生ぐらい、かな。思春期って不思議なものだよね。それまでただ仲の良い人だと思っていたのに、ちょっとしたことで胸がドキドキするのを感じてね」 「なんかわかるかもしれないです、俺も中学後半ぐらいに、恋愛対象が女じゃないって気付いたんで……」 「私もね、もしかしたら……とは思っていたんだけど。はっきり自覚したのは、高校生になってからかも。私と違って悠生は……女の子が好きだったから」  年頃の青年である。当然、悠生は恋愛にまつわる話を薫にしてきた。  薫みたいにモテたいんだけど、どうしたらいいだろうか、とか。俺も髪伸ばそうかな、とか。彼女が欲しい、早くキスしてみたい、クラスのあの子かわいいよな、それに胸も大きいし……。  そんな若い青少年丸出しの会話をされているうちに、ハッキリと自覚し始めた。薫は女子に対してそのような感情を抱いたことが無い。どちらかといえば胸がときめくのは男性に対してである。  それも、目の前で楽しそうに恋愛について夢を語る、悠生に対して。  彼はいつも、薫に優しかった。  体調を気遣って声をかけてくれた。クラスにもうまく馴染めない時は、手を引いてみんなの輪に混ぜてくれたり、あるいはふたりで一緒にいてくれた。  そうして自分といることが、より一層悠生をモテなくしたのだろうと想像はつく。実際、女子に告白されることは薫のほうがあったぐらいだ。悠生は明るいムードメーカーではあったが、女子に対する下心が丸出しであったし、何より薫を優先するところが有るから人気が出るはずもなかった。  それが、薫にとってはどうしようもなく申し訳無くて。  同時に、どうしようもなく悲しいのに、安心できた。     「悠生が私と同じではないって、ずっとわかってた。この想いが叶うことは無いって、もうずっと前から理解していたんだよ。だから私は、隠し通すことにした。好きだって伝えたら、もうこの関係ではいられなくなる。だったらずっとずっと、片想いでいい。……悠生は私を大切な「友人」だと思ってくれている。なら、恋人になれなくたって傍にいられる。そう、思っていたんだよ」  やがて薫は美容師になるべく専門学校へ進学する。悠生と同じ学校だった。美容師になって、たくさんの人を笑顔にしたい。その気持ちに嘘偽りはない。  ただ、そこに悠生がいることに安心したのも、間違い無かった。  少々年上の深雪とは美容師学校の同級生で、3人はよく一緒に行動していた。薫にとって学生生活も楽ではなかったけれど、なんとか3人とも美容師になることができた。  ところが、いざ就職となると難しい。薫の欠席している日数が響いた。就職に悩んでいると、悠生が声をかけてくれる。 『ウチで一緒に働けばいいだろ。実家も隣なんだし、子供の頃から知ってるし。大丈夫! 親父には俺から話しておくからさ』  悠生は、優しかった。どこまでも優しい彼に、薫は甘えた。  悠生と一緒に働ける。その喜びと共に、少しずつ心の中でぐるぐると重たく暗い感情が渦巻くのを感じ始めた。  自分はまた、悠生に、みんなに迷惑をかけているのだ、と。  親しい人誰もが、薫を責めたり疎んだことはなかった。けれど、常に気を遣われているというのは本人にとって苦しいものである。尤も、そうしてもらえなければもっと辛く苦しい人生になることぐらい、わかっている。  わかっていて、どうして自分は他の人のように、自分の力で生きていけないのかと考えてしまうのだ。  そんな暗い感情も、悠生と働いている間は忘れられた。美容師として髪に魔法をかけるのは好きだったし、客との会話も楽しかった。  悠生は調子のいい人間で、どうも言動が軽い。他にもいろいろ理由はあるのかもしれないが、彼に恋人ができることは無かった。  当然、クリスマスはお互い特に予定が無い。ふたり(時には深雪や柾も含めて数人)でパーティを開くのが、毎年恒例の行事になっていた。 『ああーーモテたい。どしてモテないんだろ。薫もさ、俺に気を遣わないで好きな子できたら付き合っていいんだぜ』  飲みに行くたび、そんな話が出る。穏やかで聞き上手な薫は、自然とそういう対象として見られやすかった。悠生もそれを知っていて、誰かと付き合うように勧めるのだ。  好きな人ぐらい、いる。ただ、悠生以上に実ることのない想いなだけで。 『私もその時が来たらお付き合いはするけど。今はそういう感じじゃないよ』 『そんなこと言ってっと、チャンス逃すぜ~? あーあ、まあいっか。最悪恋人できなくても、俺と薫でお揃い! 彼女がいなくたって親友がいるわけだしな!』  悠生がそう笑って酒をあおる。そんな姿を、薫は複雑な気持ちで見ていたのだ。    3年前。  夏も終わりが差し掛かった頃。 『今年のクリスマスはどうする? どこかいいトコ探しとこっか?』  深雪と悠生、薫の3人で呑みに行き。何気ない会話の流れで、深雪が尋ねた。  すると、悠生が気まずそうに切り出したのだ。 『ごめん、俺は無理、かな……』 『あら、なあに~? ついにモテない悠生君に、彼女ができちゃったりしたのかしら!』  深雪が茶化すように笑いかけると、悠生は動揺し、それから姿勢を正して口を開いた。 『深雪さん、薫、実は俺――』  そこから薫は何を説明されたのか、咄嗟に理解できなかった。  半年前に知り合って、お付き合いしている人がいる。彼女は美容関係でもなく、深雪や薫とは面識がない。というのも、婚活アプリで知り合ったのだとか。  婚活アプリ。名前だけは聞いたことが有る。薫にはあまりに縁遠いもので、詳しいことは知らないけれど。趣味が合う人とマッチングし、意気投合した。もう運命の相手だとしか思えない。実はもう、結婚の約束をしている。子供も作るつもりだ――。  そんな悠生の説明が、どこか遠いものに聞こえて。背筋が冷えて、悪夢を見ているような心地になった。  悠生が、どこかの知らない女性と。知り合ってたった半年の。そんな人が、自分の悠生を。  そんな考えが過ぎって、薫はハッと我に返った。  自分の、悠生。  自分は彼の恋人でもなんでもなく、もちろん恋愛対象ですらなかった。強いて言えば友人だったかもしれない。しかしそれだって結婚を約束するような女性を、今日まで紹介もされないような間柄でしかなかったのだ。  その眩暈がするような現実を受け入れられないまま、悠生が頭を下げるのが目に入る。 『黙っててごめん! 正直こんなこと初めてで、うまく続くかわかんなくて、なかなか切り出せなかった。でも……ふたりとの関係も大事にしたい。これからもよろしく頼む! 薫も……俺が結婚しても、気にしないで頼ってくれよな』  悠生の言葉に、薫は言葉を詰まらせた。  彼は幸せを掴もうとしているのに、どうしてまだ自分のことを気にかけているのだろう。  そう考えた時に、薫は絶望的な気持ちになった。  私が、弱いから。悠生は、面倒をみなくてはという気持ちに、未だ囚われているのだ。  これまで彼に散々甘えて来た。時には彼のやりたいことまで制限したかもしれない。にも関わらず、妻という最愛の人を得てまで自分を気遣おうというのか。子供もできるなら家族を得るということだ。最も大切な命を、授かるということなのに。  そんな、面識さえない女性まで自分のせいで振り回しては。いけない。  それなのに、それなのに。  悠生が誰かと結婚するということが。  こんなにも、悲しい。 『……ありがとう』  薫はあらん限りの力を振り絞って、微笑むことに成功した。泣き出しそうな表情を鎮め、震えそうな声を抑えて、なんとか落ち着いた声で吐き出す。 『おめでとう、悠生。君に大切な人ができて、私はとても嬉しいよ。……幸せになってね』  それだけで精いっぱいだった。嬉しそうに笑った悠生の表情が滲むのを、メニュー表を見ることで誤魔化しながら、薫は決意する。  これ以上、悠生に迷惑をかけてはいけない。家族にだって。誰にだって迷惑をかけてはいけない。  そのために。私はもう、ここにいるわけにいかない――。

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