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「え……」  何を言われたのかわからない様子の薫に、和真は苦笑して続けた。 「少し前までね、毎週、違う男と寝てたんですよ。ほら、薫さんに教えたバーが、そういう場所だったじゃないすか。あそこで相手を探して」 「……」 「あ、でも別になんか病気になったりとか、違法なこととかは全然してないんで! ……って言っても、まあ普通は色んな人と寝たりなんかしないすよね。だけど、なんていうか俺……すげえ寂しかったんです」  あの、ひとりの夜の底知れない寂しさを思い出す。まるで深い夜の森の中、自分だけが泉にでも取り残されているような。助けを求めて縋る様に伸ばした手が、たとえどんな男の手を取ったとしても、夜が明ければ虚しく消えていく。そんな数えきれない夜のことを。  それでも、繋がらずにはいられなかった。ひとときしか安らげないと知っていて、なお。 「自分じゃどうしようもないぐらい、ひとりになるのが辛くて。一応、恋人みたいな人もできたんです、それだって会えない日に耐えらんなくて、他の男と寝ちゃったりして。おまけに、それが悪いことだなんて思ってなくて。クリスマスイヴに俺、廊下で泣いて薫さんに迷惑までかけましたけど……あれ、ホントに身から出た錆っていうか。俺がクズのクソ野郎だっただけなんです。だから薫さんには申し訳ないことをしたと思ってて」 「和真君……」 「今は……好きな人ができて。ちょっとは色んな事がマシになってますけど。だからこそ、自分がクソ野郎だったってわかるんすよ。今が、前より良いからこそわかるんです」 「……今が、前より良いから?」 「そです。でね、俺、親いないんすよ」 「え……」 「あ、育ての親はいて、いい人たちなんすよ。でも、……本当の両親は、何処の誰かも知らなくて。だから、寂しかったのかもしれないな~、なんて思ってはいます。ま、原因なんてわかったってそれこそ仕方ないんすけど。人間って結局、どんなバックボーンが有るかってより、今どういう人間かのが大事じゃないすか」 「あ……」  薫が何かに気付いたように、息を呑む。そんな彼に、和真は一度深呼吸をして。覚悟を決めると、微笑んで尋ねた。 「で……嘘とかいらないです、今の話聞いて率直に答えて欲しいんすけど。薫さんは俺のこと、クズ野郎だと思います?」  努めて軽く尋ねたけれど。とても怖い質問をした。  まず率直にクズ野郎だと言われれば傷付く。そんなことないと否定されれば、気を遣われたと疑ってしまう。薫を試すような質問のくせに、どのみち自分も傷付く。そういうことを聞いているのだ。  そしてそれがわかっていて、今の和真にはそうすることしか思い浮かばなかったのだ。 「私は……」  薫は少し考えるように目を伏せて、それから真っ直ぐに和真を見つめた。 「私は、和真君のことを、優しくて勇敢な子だと思っているよ。それは今でも変わらない」 「……」 「確かに君のしてきたことは、世間一般にあまり聞こえの良くないことかもしれない。君の言うとおり恋人を裏切ったのだとしたら、それは人を傷つけるようなことだしね。でも……だけど、……うまく言えないけど……」  薫は何度も言葉を詰まらせながら、それでも続けた。 「君が寂しいと感じてしまうことは、きっと仕方のないことだよ。それ自体が悪いなんてことはない、だって和真君は人間なんだから、色んな事で気持ちは動いてしまうのは当たり前で……」 「はい」 「それに君は、……君は何度も私を、見ず知らずの私のことだって助けてくれた、優しくて勇敢な……私の特別な人なのも事実だし……。だから、……君の一面だけを見て、クズと切り捨てるのも、君が素晴らしい子だと言うのも、何か違う気がして……」 「……」 「……だからきっと君が言いたいのは、……私も同じ、ってこと、だね……?」  不安げに尋ねる薫へ、和真はゆっくりと、けれど大きく頷いた。  人間は感情を持つものだ。そしてそれを、時には持て余す。抑えきれなかったと言い訳すれば許されるというものでもない。けれど、そうした瞬間は誰にでも起こり得ることだ。  ましてそれが無意識で無自覚だったなら。自分で「気付く」までどうしようもないことすらある。周りを傷付けることも、巻き込むことも当然有るだろう。それがいつでも全て許されるわけでもない。報いを受けることも、罰されることもあるだろうし――逆に、全て気付かないまま過ごし続けることだって。  しかしそれ自体は、誰にでも起こること。複雑な心を持つ人間同士が存在すれば、避けては通れない道で。  そして、そんな感情、過去、現在を含めて全てが、その「人間」を構成しているのだから。 「薫さんは、悪いことしてるかもしれないです。心配するとわかっていてご家族に何も相談しなかったり、皆が迷惑してないって言っても信じなかったり。そういうところは、ちょっとなんとかしたほうがお互いのためかもしれないです。でも、だからって薫さんが嫌な奴なんて、俺は少しも思いません。そうなるだけのことが有るんだろうって思うし、……人はそんなすぐ変わんないです、何かでっかいきっかけでもあれば別かもしれないすけど」  和真は苦笑して続ける。 「でも、どんな人間も綺麗で素晴らしくて美しいばっかじゃいられないすよ。どんなイケメンだってベッドに入ったら同じですし、たまにすげえ性癖隠してたりしますし」 「……性癖?」 「あ! いや、こっちの話、ええと、つまり……汚い面、綺麗な面、すごく強い面、めちゃくちゃ弱い面、全部ひっくるめてひとりの人間ってわけで。だからつまり――」  つまり。  和真は一瞬躊躇してから、薫の様子を窺った。  薫はいつもの柔らかな顔で、僅かに瞳を潤ませているようだ。多少なりと、彼に何か良いことのひとつでも言えたならよかったのだが。和真はそんなことを考えながら、大きく頷いた。 「つまり、薫さんは悪い人間でも嫌な人間でもなくて、普通の、……そう、普通の人間です。嫌な気持ちにもなって、悩んだり、取り繕ったりして。でも優しくて、面倒見のいいところもある、それ全部ひっくるめて薫さんです。そして俺は、そんな薫さんのことが好きで、ここにいます」 「…………和真君……」 「だってこんな時代すよ? 外に出りゃいくらでも人はいるし、なんならインターネットでも気の合う人なんていくらでも探せます。好きじゃなかったら、もし嫌いだったらもうここにはいないすよ! 薫さんのことが大好きだから、こうやって話もするし、そばにいるんです!」 「…………ありがとう……」  薫が涙ぐんだまま微笑んで言った。 「私も、君のことが大好きだよ、和真君……」  そして和真は、その言葉の意味を、取り違えた。 「……少しは薫さんの力になれましたか?」 「ううん、すごく気持ちが楽になったよ。本当にありがとう。……君は優しいね。いつも助けられてばかりだよ」 「そんなことないすよ。俺だって薫さんに救われてますから」 「本当に?」 「はい、ホントです」 「なら、いいんだけど……」  不安そうな薫に、和真は笑顔で念押しする。 「大丈夫です、薫さんは迷惑じゃないし、俺もたくさん良くしてもらってます。持ちつ持たれつ、ですよ。だから、もっともっと頼ってくれていいんです。むしろ、無理して我慢してたらそっちのほうが俺も辛いんで」 「……そ、うなんだね……」  薫はそれからしばらく黙り込んで、何かを考えているようだった。部屋が静けさに満ちたけれど、不思議と嫌な感じはしない。和真は穏やかな気持ちで薫の言葉を待った。 「和真君、じゃあ迷惑ついでに……あ、迷惑じゃないんだったね。その、ええと……もう少し、君のことを頼っても、いいかな?」  その言葉に、和真は迷いなく頷いた。

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