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獣人だけは勘弁してください 1

 一週間後―― 「なあ、恵母ちゃん。どうしても行っちゃうのかい?」 「仕方ないだろう。断れば里中さんに失礼だ。母のことは諦めなさい」 「俊介(しゅんすけ)ぇ! お前はどうして自分の息子をαがおる家なんぞに売ったんだ!? 儂に恨みでもあるのか!? その薄い頭を地べたに擦りつけてでも先方へ出向いて約束を取り消して来い!!」 「そ、それはちょっと……今からじゃ無理ですよぉ……」  危篤状態から奇跡の快復を遂げた陸郎は、ただいま唾を飛ばしながら俺の父親こと俊介父さんを怒鳴りつけている。対して父さんは、かれこれ一時間ほど正座の状態で陸郎に頭を下げっぱなしだ。膝の下には座布団すら敷かせてもらっていない。畳の上ですっかり脚が痺れてしまったのか、奇異な仕草で腰を捩る度に「ふざけているのか!」と陸郎の口から怒号が飛んだ。  旋毛周りが気持ち寂しくなった頭から滴る汗をハンカチで拭いながらも、父さんは俺が家を出て行く経緯を陸郎へ繰り返し説明する。しかし、その視線は泳ぎっぱなしで口調はしどろもどろなものだから、激昂する陸郎にはまるで逆効果だ。 「じゃあ、何か! 儂が圭介を手離せと言ったのか!?」 「いえっ、その……そうじゃなくて……! いや、そうなんですけど!」 「どうして儂が自分の母ちゃんを手離すと言うんだあぁ!」  それは圭介の正体がお前の母の生まれ変わりなのだとわからなかったからだよ、と陸郎の隣で声に出さず突っ込みを入れる俺は、ミカンの皮を剥きつつ一週間前の出来事を思い返していた。  何がきっかけで覚醒したのかわからないが、今の俺には陸郎の母である恵として生きた記憶が鮮明に蘇っている。これが記憶だけなら生まれ変わりと断定するには弱いかもしれない。だがそこに体感までついて蘇ったとなれば認めざるを得ないだろう。  ちなみに、俺が恵の生まれ変わりだということを田井中家の連中に明かしたものの、すぐには信じてもらえなかった。当たり前か。証明するものが何もないのだから、あの場で啖呵を切っただけだと思われても仕方がなかった。そもそも陸郎の話す俺の半生がデタラメだったわけだから、いくら話しても事実の辻褄が合わない。ついに頭がおかしくなったかと、近くの主治医が診察を申し出たくらいだ。  だが、恵として生きてきた時代背景を語り始めたところでそれまで空気と同化していた父の兄である歴史オタクの純平(じゅんぺい)の目が光った。どうせ厳格な陸郎をたらしこむ為の仕込みだろと従兄弟がほざくのを、普段は温厚な性格の純平が珍しく激昂しグーパンを食らわせた。驚く周囲の人間達に、圭介が語る時代は本物だ、特に遊郭の内情など嘘で語れるものではない! と断言してくれたことで病院行きは見送られたのだ。  まあ、実際に恵が身を置いていたのは遊郭ではなく娼館だったがな。あの頃は陸郎を入れて六人の子供を一人で育てていたから、文字通りがむしゃらに生きていた。周りも子連ればかりだったから皆が支えあい、助け合った。そういう時代だったんだ。Ωだろうが人間、逞しくもなる。  後は陸郎の子供の頃の話を、彼が目覚めた後に語ったことが決定打となった。俺の口から語られる自身の幼少期を聞く陸郎は目に涙を浮かべていた。  そうして間違いなく俺が恵の生まれ変わりであることが証明されたわけなのだが……これが今、非常に面倒なこととなっている。 「俊介! お前はそれでも父親か! 儂の母ちゃん以前に自分の息子だろう! お前は圭介が可愛くないのか!」 「はいっ……そうです……その通りです……」 「何がその通りなんだ! お前は何もわかっちゃいない! そもそも儂の母ちゃんを儂から引き離すとは何事だあ!」  無限ループ。一時は危篤状態だった人間が元気になってくれたのは嬉しいことだけど、こうも母ちゃん、母ちゃんと煩いとさすがに鬱陶しいな。陸郎と死に別れたのはこの子が八つの頃とはいえ、今は九十九歳だぞ。いい大人をとっくのとうに過ぎている。  この鬱陶しさが親の恋しい時期に寂しい思いをさせてしまった反動なのも理解している。だがな、陸郎。その大好きな母ちゃんをよそにやれと言ったのは他でもないお前なのだよ。自身の発言をすっかり忘れて他人へその責を擦りつけるなど、まったくもってけしからん。  けしからんのだが、陸郎の叱責を止めることなくこの光景を黙って眺めているのは、圭介と実の父親との間にわだかまりがあるからだ。俺がΩだとわかってからの数年間、俊介父さんが息子と向き合うことをせずにいたのは紛れもない事実だ。いくら陸郎の母としての記憶があるとはいえ、俺はこの十八年間を田井中圭介として過ごしている。すでに成人したとはいえ、子供だった頃に我が子を遠ざけた罪は重い。たかだか一時間くらいの脚の痺れなど、男なら耐えてみせろ。  ミカンをもぐもぐと頬張る俺に、父の隣にいる母の聡子(さとこ)がチラチラと視線を配ってくる。陸郎を止めてくれ、ということだろう。父さんはともかく、母さんは俺がΩだとわかった後も変わらず接してくれていた。今日まで息子の身を案じてくれていたことも知っている。だが、何も言わない。言えないのだ。世間体は気になる質だからか、周りに人がいる時は黙って俺から一歩距離を置くようになっていた。同じ母としてなんと情けないことか。前世での俺の両親とはまるで真逆だ。  恵の両親は良く言えば奇特。悪く言えば変人だった。戦前は世間体を特に気にする時代だったというのに、街一番の美人として生まれた俺を溺愛した。バース性診断でΩだと判明しても俺から距離を置くことなく、むしろ輪をかけて可愛がった。年頃になると身体から駄々盛れるフェロモンで誰彼構わず惹き寄せてしまう為、変な輩を焚きつけないよう極力、俺を家から出さないようにした。当時、抑制剤は高価でなかなか手に入らなかったのだ。それしか方法がなかったのが実情だ。幽閉と捉えられていても仕方のないことではあるが、蔑まれたことなどない。両親だけでなく兄弟も皆一様に優しかった。  しかしそんな生活も長くは続かなかった。Ωのフェロモンは恐ろしい。たまたま奉公に来ていた使用人の男に襲われ、たまたま強盗に入った輩に襲われるなど、俺は幾度となく危機に晒された。結局、俺の身体が持たないということで母方の伝手の資産家に頼り、抑制剤を手配してもらうことになった。もちろん、タダというわけにはいかない。俺の為に切り詰めた生活を強いられることとなった家族に対して、何もできないことが申し訳なかった。  だから俺は、自らその資産家のαの下へ奉公に出ることを決意したのだ。今回、圭介としての俺がαの下へ行くのとは、理由が一八〇度も異なる。  かといって、両親が全て悪いわけじゃない。俺自身も卑屈になっていた。何もかもを諦め、両親と距離を置くことに少なからず安堵していたのだ。Ωという事実はあれど、それは性別のせいにしてはならないというのに。自分自身が情けない。 「お、お祖父さん……そろそろ、脚が……」 「脚が何だ! お前は儂が話しているというのに他所事か!」 「いえ、そうじゃ……そうじゃなくて……」  さて。そろそろ陸郎の暴走も止めるとしよう。でないと、父さんの脚が痺れでもげそうだ。それにどう足掻いたって俺は今日、田井中家を出て里中さんの下へ行く。昔と比べて便利な時代になったとはいえ、Ωはやはり一人では生きづらい生き物なのだから。

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