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俺だけだった? 4

 宗佑が出張で家を空けてから三日が経った。短くも毎日スマホにメッセージをもらっているお陰か、寂しさは全くない。けれど、俺の身体は常に宗佑を求めているのか、彼の着るコートを出しては鼻を擦りつけるという行為を繰り返していた。  この日も、俺は宗佑のコートを取り出し、彼の匂いを嗅いでいた。 「ふふっ、いい匂い」  シャツや肌着などと違い、コートや着流しは毎回洗うわけではないので、宗佑の匂いがはっきりと感じられる。行為自体は動物的かもしれない。けれども、好きな相手の匂いを感じている間は、心がとても落ち着くのだ。 「好きだぁ……」  しかし、今回に関しては少し違った。次第に、俺の瞼はとろんと落ち、宗佑のコートや着流しなどをせっせと集めてベッドに置くと、皺も気にせずゴロンと寝転がった。  衣類の上で寝転がると、まるで宗佑に抱かれているような錯覚に陥る。敷き詰めたそれらに囲まれ、俺は至福の時を過ごした。 「ん、んぅ……」  頭がぼんやりと働かない。自然と下肢に手が伸びる。彼の匂いを嗅ぎながら、俺は自分の陰茎を露出させるとそのまま自慰を始めた。 「はあ……ん……宗佑……んぁ……好、きぃ……」  宗佑の服が肌に擦れ、いちいち感じてしまう。物言わぬ布切れだというのに、まるで彼に触れられているようで気持ちがいい。彼の着流しの裾を握ると、それを胸へと宛がいやんわりとした愛撫も加えた。服越しで乳首に触れると、ピリピリと痺れるような快感が走った。 「はあっ……宗佑……ん、そこ……気持ち、いい……宗佑……あ、ああぁっ……」  本物の彼と比べれば物足りない。そうだというのに、俺は宗佑を思い浮かべながら、一人果てていた。  ぼんやりと天井を見上げつつ、宗佑の匂いに包まれながらしばし余韻に浸る。俺はそのまま意識を手離した。  それから目が覚めたのは、夕方を過ぎた頃だった。橙の明かりが窓から射し込み、眩しさを感じて俺はゆっくりと瞼を動かした。 「……ん、…………んん、れ? うわっ! 皺だらけ!?」  その有り様に我に返った俺は慌てて衣類を片づけた。また、自分の放ったものが付着した宗佑の着流しを目にして「最悪……」と頭を抱えた。  こんなにぐちゃぐちゃと彼の物をベッドに敷き詰めていたとは。これではまるで…… 「巣作りじゃないか…………え?」  自分で呟いておきながらハッとする。俺はこの状況をもう一度見た。周りに置いてあるものはすべて宗佑の服だ。そして俺は、たった今までそれらに囲まれ眠っていた。埋もれていた。ついでに自慰もしていた。  決して意図的にしたわけではない。理性が働かず、本能でやってのけたのだ。  そっと、自分の腹に手を当ててみた。まだ何もない、薄いだけの自分の腹だ。うんともすんとも言わない。  しかし、これは…… 「妊娠……した?」  発情期中も巣作りをするΩはいる。だが俺のこれは発情期ではない。恵は妊娠する度に、この巣作りを必ず行った。前世でのあれと同じであるなら、今回もきっと…… 「検査薬っ……は、切れてた。でもっ……」  きっと、ではない。絶対に、だ。俺は確信した。 「宗佑にっ……宗佑に、言わなくちゃ……!」  俺は自分の腹に両手を当て、ポロポロと涙を零した。 「良かった……嬉しい……良かった! 嬉しい!」  宗佑との赤ちゃんができた。愛しい人との、大切な人との、赤ちゃんが!  良かったと嬉しいを交互に言いながら、俺はこれ以上ないくらい、幸せの涙を零した。  宗佑が帰ってくる日曜日まで、俺は待っていられなかった。手元に検査薬はなかったものの、翌朝すぐに買いにいけばいいからと、行動しなかった。  それよりも何よりも、早く報告したかった。何度も妊娠、出産を経験した俺の本能がそうだと言っている。お腹の中には赤ちゃんがいる。  俺は夜の九時を過ぎたことを時計で確認すると、スマホを手にして宗佑のそれへと発信した。スマホを耳に当てつつ、深呼吸を繰り返した。  宗佑はどんな反応をするだろうか? 喜びの悲鳴を上げるだろうか? いや、喜び過ぎて逆に声も出ないだろうか? もしや感極まって泣いてしまうかも? 様々な想像が頭の中を駆け巡るも、時間としてはものの数秒だった。  はい、という宗佑の静かな声が耳の中へストンと落ちた。 「宗佑っ、今……話、しても……大丈夫かな?」  しどろもどろになりながら、俺は腹に手を当てて宗佑へと尋ねた。スマホ越しで彼は、ふふっと小さく笑った。 『圭介? どうしたの、そっちから連絡なんて珍しいね。私の声が恋しくなった?』  宗佑は悪戯っぽく笑っている。恋しい……そうかもしれない。早く帰ってきて欲しい。こんな形ではなく、直接会って話がしたい。  俺はうんうんと頷きながら、宗佑へ本題を切り出した。 「あのね、宗佑。実は報告したいことがあるんだけど……」 『報告?』 「まだ病院にも行っていないし、はっきりとはわからないんだけど……でもね、絶対そうだと思うんだ! というか、そう! 絶対にそう!!」 『圭介?』 「お腹にね、俺達の赤ちゃんができたんだよ!」  少し早口だったかもしれない。逸る気持ちを抑えられなかった。  それでも、俺ははっきりと俺達の赤ちゃんと宗佑に告げた。お腹に俺達の赤ちゃんができた、と。  だけど、やはりスマホは駄目だ。正確には、通話のみが、だ。宗佑の表情が見えやしない。スマホ向こうの宗佑は、黙り込んでしまったようだ。 「宗佑?」  もしや、声も出せないほど嬉しい? 喜んでくれている?  俺は胸の高鳴りを抑えながら、宗佑の返事を待った。しかし返ってきたのは、意外な言葉だった。 『まだ、病院に行っていないんだな?』 「え? う、うん。まだ行ってないけど……」  宗佑は現実的なのだろう。スマホ向こうの声は驚くほど冷静で、浮き立つ俺を鎮めるように尋ねた。 「検査薬も切らしてたから、明日にでも買ってみるよ。でも、これは絶対……」 『圭介。どうして妊娠したと思うの?』 「どうしてって……それは、その……す……」  根拠はある。だが、それはすんなりと口にできるものではなかった。特に本人を前にしては。それがたとえ、スマホ向こうでもだ。 『何? 聞こえないよ』 「そ、宗佑の服で……す、巣作り、しちゃってて……」  言っていて、とても恥ずかしくなった。その上、宗佑の服で自慰をしてしまったとなると、尚更だ。

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