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第6話

 その男は、長くてまっすぐな銀色の髪を垂らし、紫の宝石のような不思議な目の色をしていた。耳には目と同じ色の石のイヤリング。手には、長い剣を携えている。重厚そうなその剣が鈍く光り、愛翔は思わずあとずさったが、セアは目を瞠って男を見上げていた。  どう見ても現代世界にはいないであろう人物だ。恐ろしいほどに美しい男だが、紫色の目なんて初めて見たし、着ているものだって、剣だって……まるでファンタジーゲームのキャラクターだ。  愛翔は過去の経験があるので、わりと落ちついていた。あの時とは違うが、また不思議な世界に入り込んでしまったのだろう。同じ世界だけれど、場所が違うのかもしれないし。  一方、男の方は整いすぎたフィギュアのような顔に、放った言葉通り、ありありと驚きの表情を浮かべていた。 「なんと、我が魂の番は、異なる世界からやって来たのか」 「魂の番?」 「そうだ。私を助け、共に闘う魂の番だ。この世界を救うために」  その声は、確かに「出でよ」「我に力を」と呼ばれた声と同じだった。  だが、彼が何を言っているのかさっぱり意味がわからない。  世界を救うために戦う? 魂の番という言葉は知っているが、そんなものは都市伝説だと言われている。出会った時に惹かれ合い、魂で強く結びつく、そんなアルファとオメガがいるなんて。  ぽかんとした愛翔の側で、セアは物怖じすることなく、にこにこと彼に笑いかけ、ぴょこんと頭を下げた。 「こににちは」 「これはなんと愛らしい」  こんにちは、と男は顔をほころばせる。 「もしや我が番は、こちらの赤子の方なのだろうか?」 「ちょっと待ってください。セアがどうかしたんですか? それに赤子ではなくて、もう二歳ですが」  ちょっと待てよ、と言いかけたが、警戒も含めつつ、愛翔は言葉を正して訊ねた。 「いや、赤子はまだバースが定まらぬ。ではやはり、我が番はこちらの男の方か」 「人の話を聞いてくれませんか?」  会話がまったくかみ合わない。だが、この世界では日本語がデフォなのか? 話の内容はさっぱりだが、相手の言う言葉はわかるのだ。あの女の子の時もそうだった。 「おまえはどうやってここへ来た?」  いきなりおまえときた……だが、愛翔は素直に答える。 「並木道を抜けていくつか角を曲がったら『出でよ』『我に力を』って声が聞こえて、そのまま進んでいったらここに出たんです」 「ででよ、あたたの」  セアも説明に加わっているつもりなのか、言葉を繰り返す。 「声が聞こえたのか? では間違いない。呼んだのは私だ。やはりおまえが私の魂の番というわけだ。まさかこのように面妖な格好をした、赤子をおぶった男が召喚されるとは思わなかったが……それに、魂の番というものは、出会った瞬間に愛の炎が燃え上がるように惹かれ合うものではないのか?」 「……何を言ってるのかまったくわからない」  愛翔は憮然と呟いた。またまた魂の番だなんて言っている。それに俺から見たら、そっちの方がずっと面妖な格好だし。   だが、体格や風格、隠しようのない只者ではないオーラは、愛翔が知るアルファたちよりも遥かに強い。彼は間違いなくアルファだと愛翔は思った。  とにかく、もっとかみ砕いて事情を聞かなければ。  愛翔は立ち上がろうとしたが、足の痛みに顔をしかめた。捻挫したのかもしれない。何かにつかまらないと立てそうになかった。 「怪我をしているのか」 「……ここへ飛び下りた時に、ぐきっと」  思えば子どもっぽい行為だった……はしゃいで跳んで足を挫くなんて。  しかも異世界で――えっ?  急に視界が高くなり、愛翔は驚いた。目の前には神秘的で美しい貌。その紫の目の色といったら……いや、違うだろ。そんなこと考えてる場合じゃない。 「いきなり何するんだよ、下ろせよっ」  丁寧語は忘れて抵抗する。 なんと愛翔は、男に軽々と抱き上げられたのだ。いわゆる、お姫さま抱っこというやつで……。 「その足では歩けまい。手当てもせねば」  見れば、愛翔のくるぶしは確かに、靴下の上からでもわかるほどに腫れ上がっている。 「下ろせよっ、下ろしてください!」  愛翔がじたばた暴れても、男は顔色ひとつ変えずに建物の出口らしき両開きの扉に向かって歩き出す。 「赤子はついておいで」 「あいっ!」  子どもの適応能力はすごい。セアはご機嫌で手を上げて返事をしている。 「アイちゃ、だっこっこ!」 「セアっ!」  愛翔が抱っこされているのを初めて見たセアは楽しそうだ。だが、愛翔はそれどころではなかった。 「下ろせって。どこに連れていくつもりだよ。行かなきゃいけないんなら、這ってでも行くからっ」  何よりも屈辱だ、男に姫抱っこされるなんて……! 状況が掴めない上に恥ずかしい。セアしか見ていないけど恥ずかしい。 「番に抱かれるのだ。何を恥ずかしがることがある」  男は、愛翔が恥ずかしがっていることを理解したようだった。そんなの、余計に恥ずかしくなってしまう。 「だから番ってなんだよっ」  同じ異世界に落ちるなら、あのバラ園がよかった……そうしたらこんな妙な男じゃなくて、あの子に会えたかもしれないのに……。  愛翔はさらに足をバタつかせて抵抗したが、男はびくともしない上に、足が鈍い痛みに襲われる。 「痛……!」 「暴れるからだ」  男は愛翔を抱いたまま石のベンチに腰かけると、愛翔の靴と靴下を脱がせ、腫れ上がった足首を掲げた。  なんだ急に――。 「痛々しい」  銀の髪がさらりと愛翔の足に触れたかと思うと、男は愛翔のくるぶしにくちづけていた。 「早く良くなるように」 「…………!」  もう声も出ない。  なんでさらりとそんなことを言う? いや、そんなことをする?   キスされたくるぶしの痛みは、余計に増したかのようにどくどくと脈打っている。愛翔は完全に毒気を抜かれてしまった。そして改めて思う。  どうやら俺には、いわゆる『異世界』に出入りできる力が備わっているらしい……。 「あっち、アイちゃ、あいたた、ちたの」  セアは無邪気に、大理石の床と愛翔の足を交互に指差している。 「そうか、床で転んだか」  男は優しい笑みでセアに答えていた。  ――愛翔を姫抱きにしたままで。

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