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第9話「私は穢れていますか?」

 引っ越してからしばらく経って、雪が薄らと地面を覆い始めた。  オレはもう慣れたけど、そんじょそこらの人間なら路上で寝るだけで死んじまうらしい。そう、神父様から聞いた。 「……しまった」  骨を削って武器を作っていると、背後から呆然とした声がする。  振り返ると地下室の入口に大穴が空いていて、そこから冷たい風が吹き込んでいた。 「どうしたんすか?」 「凍りついて開かなくなっていてだな……こじ開けようとしたのだが……」  あー、やっちまうよな。無理やりどうにかしようとしてぶっ壊すの。  怪力だとうっかりできちまうから、後でめちゃくちゃ困るんだよな、それ。 「いっそ完全に閉ざしちゃって、冬ごもりします? この時期だと動物も捕まんねぇし」 「……確かに、見つかる可能性も減らせるか」  神父様は相変わらず強がってるけど、よく見ると震えてたり真っ青な顔になってたりする。  抱き締めても嫌がられないことが増えたし、もっと言えばなし崩しでセックスする回数も増えたし、そこら辺はこの寒さに感謝だ。恋敵の神様に、ありがとうって言ってやってもいい。 「隠れ家としていい感じなんすけど、今は雪除けが目立ってんですよねぇ」 「だが、出られなくなるのは困るだろう」 「もういっそのこと、出る度にドアぶっ壊して入る時に完全に塞ぐってのはどうです?」 「な、何とも大胆な方策だな……」  神父様は色んなことを知ってるし学もあって、オレにたくさんのことを教えてくれた。今も、歴史とか地理とか、オレの知らないことをたくさん教えてくれる。  だけど最近、オレはオレで食える野草の見分け方とかウサギの捕まえ方に食い方、あとは逃げたり隠れたりする時の知識とか、こっちからも色々教えられるようになった。興味深そうに聞く神父様が新鮮で、なんだか嬉しい。 「食糧は干し肉とか菜園で作ったのとかまだあるし……神父様はオレの血でちょっとは(しの)げますかね」 「おい、干からびるつもりか」 「つっても最近は、なんやかんや精液で足りてるっぽいし……。冬だから?」 「……傷が癒えたから、という可能性もある」 「傷? もうだいぶ前に良くなってたんじゃ?」  オレが尋ねると、神父様はハッと息を飲み、目を逸らす。 「深く気にするな」  ……なんて、誤魔化すけど……まさか、知らねぇ間に怪我してたとかか……?  ほんとに……すぐ無理すんだからな、この人は。 「このまま見つからなきゃ良いんすけどね」 「……。そうだな……」  神父様は小さく頷くと、白い息を吐き出しながら入口の修繕に向かった。 「……!」  ……と、その足がピタリと立ち止まる。 「足音がする」  その言葉を聞くや否や、オレは作っておいた武器をひっ掴んだ。  ***  真っ白な景色の上に、ぽたぽたと赤い液体が滴り落ちる。銃弾は腕をかすっただけで済んだが、神父様に飲ませると思うと、少しでも身体から減らしたくはない。  ……ったく、ほんとに、なんで見つかっちまうんだろうなぁ。 「……何度も言いますが、私は悪魔と契約などしておりません。偶然、このような体質に至っただけなのです」  神父様は庇うようにオレの前に立ち、凛と言い放つ。ほんとはオレが前に立ちたいんだけど、自分の方が頑丈だからと聞いてくれなかった。  オレ達は、別にハナから追っ手を殺すことにしている訳じゃない。  一応こちらの言い分は伝えるし、納得して貰えるならそれに越したことはない。……って、神父様が言ってた。  だけど敵の持ってる武器は、頑丈な神父様でも殺せるようなものかもしれないし、そんなので怪我をさせられたら神父様がどれだけ痛くて苦しいか分かったもんじゃない。  ……神父様に酷いことを言った時点でぶっ殺してやりてぇぐらいだし。 「そうか……噂は本当だったらしいな。『|穢《けが》れた血』のコンラート・ダールマン」 「…………私の血は、穢れてなどいません」 「は……っ、今更何を言う! 人の皮を被った化け物が!」  嘲笑が響き、神父様は静かにロザリオに手を伸ばす。ギリ、と歯噛みする音が、寒い空間をより凍てつかせる。  オレは「血を飲むくらい別に良いじゃん」って思うんだけど、フツーはそうじゃないらしい。 「神の名の元に、お前を断罪する」 「……な……」  神父様はかっと目を見開き、胸元のロザリオをきつく握りしめた。  ああ。もう、いいよな。我慢しなくても。  神父様がどれだけ苦しんで、悲しんだと思ってんだ。このクソ野郎……傷ついた心をぐちゃぐちゃに踏みつけて、それを正義だと勘違いしていやがる。  神父様が動かないのを見て、悪魔祓い(エクソシスト)だかなんだか名乗った野郎はほくそ笑みながら銃を構える。  削った骨を、悪魔祓いの手に向かって投げつける。重石をつけてあるからコントロールは効かせやすい。滅多に刺さりはしねぇけど、牽制にはなる。 「なんだ!?」  で、怯んだ隙に、腹に拳を叩き込んだ。  鉄の塊が、ぼとりと雪原に落ちる。  金さえ使えば殺しやすくなったからって、油断しやがって。 「ガッ……」  今までやってきたのは、大抵金で雇われたヤツらだったし、たぶんこいつもそうだ。  あー、でも、悪魔祓いだっけか? 神父様と同じ服着てるし、こいつも同じ聖職者か。  だったら余計に許せねぇな。神父様、そういうの傷つくに決まってんじゃん。  喉を引っ掴み、力を込める。  首の骨の折り方はよく知ってる。そうしなきゃ、オレが死ぬ。生きるために、生かすために、何が何でも殺らなきゃ。  ゴキンッて音と、確かな手応えが指先から伝わる。……よし、殺れたっぽいな。 「……おい」  念の為、手近な石で頭を叩き潰そうとすると、神父様に声をかけられた。 「私がやる」 「えっ」  あくまで冷静な声で、神父様は言う。……だけど、ほんとに大丈夫かな。  殺しに慣れる必要なんか、これっぽっちもないのに。 「早く退け」 「……おう」  自称悪魔祓いは口から泡を吹き、白目を向いて痙攣していた。  たぶん、もう致命傷だ。神父様が手を下すまでもない。 「……ッ」  神父様の足が、悪魔祓いの顔面に振り落とされる。  べキッと、どこかの骨が折れる音がした。  フーッ、フーッと肩で息をしながら、神父様は再び足を振り上げる。  何度も。何度も。敵が動かなくなろうがお構い無しに、神父様は顔面を踏み抜いた。  ボキ、ベキ、と何かが折れるような音は、次第にグチャ、ベチャという柔らかい音に変わる。それすら地面を蹴る音に変わると、神父様ははぁ、はぁと息を荒らげながら、真っ赤に染まった地面にへたりこんだ。  歯を食いしばり、涙ひとつ流さず、神父様は震えていた。  泣いたって、叫んだっていいのに、ひたすら耐えて、踏み固められた雪を爪で引っ掻く。  後ろからそっと抱き締めると、神父様はびくりと小さく震えて、見開かれた瞳から静かに涙を溢れさせた。 「……片付けておくんで」  それだけ伝えて、頭の潰れた死体を引きずる。神父様は呆然と地面を見つめたまま、「ああ」と答えた。  この死体……どうせ血と肉と骨分けるんだけど、めちゃくちゃムカつくから念入りに切り刻まねぇとな。  神父様の心を切り刻んだんだし、当然だろ。むしろ、時間かけて(なぶ)り殺してやりゃよかった。  *** 「処理」を大方終えて帰ると、神父様は既に姿を消していた。地下室の入口はぽっかり穴が空いたままで、誰かが中にいる気配はない。  慌てて周りを見渡すと、雪の上を歩いた跡に気が付く。  辿っていくと、神父様がよく通っている教会がそこにあった。追っ手を殺した後、神父様は必ず祈りを捧げるってことを思い出す。こういう時、オレは立ち入るなってきつく言われてんだけど、さすがに冷えるだろうしと足を踏み入れた。  礼拝堂とか教会とか修道院とか、オレには違いがよくわかんないけど……毎回立ち入りを禁止される理由を、ここで初めて知った。 「主よ……私を……おゆるし、ください……」  震える体で、地面に膝をつき、神父様は祈りの言葉を呟いていた。  綺麗な表情だ。遠くからなら、いつもみたいに落ち着いて見える。 「私も……わたしも、ひとを……人を、許し、ます……」  だけど、声でわかる。絞り出すような、血を吐くような、地べたを這うような、涙すら枯れ果てたような……苦しそうな声は、到底「祈り」なんてものじゃない。 「神父様」  見ていられなくなって、肩を叩く。 「地下室に戻りましょ。血も手に入ったし……これで、しばらく篭もりやすくなりました」  血、凍らせたら保存効きそうだしな。  凍らせたら栄養ちゃんと取れるのかどうかは……まあ、わかんねぇけど…… 「傷は」  神父様は振り返らず、短く聞いてくる。 「かすり傷っすよ。なんなら、後で舐めます?」  冗談っぽく言うと、神父様は「ああ」と頷き、よろよろと立ち上がった。  平気そうな顔をしているけど、ふらつく足取りは隠し切れていない。  ……くそ、しくじった。  あの悪魔祓い、早めにぶっ殺しとくべきだった。  冷え切った身体を抱き締め、綺麗な髪を撫でる。  オレの腕の中で、神父様は声を殺して泣いた 「ぅ……、うぅうう……っ」  崩れ落ちそうな身体を支える。  どれだけ頭を悩ませても、かけるべき言葉は浮かばなかった。

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