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第11話「対話の中で……」

 神父様は起きてくるなり、オレを呼んでテーブルに地図を広げた。 「……現在地がここだ。エルザスの少し東辺りだな」 「アレですよね。エルザスらへんのが廃墟とか多いんすよね」  ここら辺は一面の畑の中にぽつんと廃墟、もうちょっと進んでまた廃墟……そんな感じの景色だから、今までは雨風凌げそうな廃墟を渡り歩いてどうにか暮らしてきた。 「エルザスは土地も肥沃(ひよく)で、生活しやすい。……だからこそ……いや、この話はやめておくか」  何でかわかんないけど、地理の話をする時、神父様はよく顔を曇らせる。何でだろう。 「……西に向かうとフルール・ド・コルボという町がある」 「ふるーる? 聞き覚えの無い響きっすね」 「フランス語だ。フランス領(アルザス)だった時代の地名がまだ使われている。おそらくは、曰くのある地名なのだろうな」 「ほーん……?」  そういやオレが育ったとこも、フランスが近かった気がする。  つっても、物心ついた頃でも最初の記憶は、死体の山の中だ。周りの誰だかわかんねぇ死体の中に、たぶん、オレの親父やお袋もいたんだろう。  本名がヴィルフリートだかヴィルヘルムだかヴィルムだか忘れちまったけど、「ヴィル」ってつく名前で呼ばれたことは覚えてた。 「……ここからは、貴様には不愉快な話になるかもしれない」 「おう? 別にいいっすよ。大事なことなんでしょ?」  神父様は相変わらず浮かない顔で、眉間のシワもいつもより深い。  色々考えすぎちゃう人だしなぁ。 「フルール・ド・コルボは、条件としては悪くない。……ただ、フランスに近付きすぎることは避けたい。かの国は教会の権威が強まるうえ、我々ドイツ人に対する印象も悪かろう」 「了解っす」  何が不愉快な話なのかはわかんねぇけど、とりあえずフランスの方に行くのは良くねぇってわかった。  神父様は腕を組みつつ、地図を睨みつけている。 「……しかし、ドイツ方面は……ヘッセンの方に近付けば近付くほど、顔見知りが多い」 「助けてもらうのは厳しそうです?」  神父様は元々、人に慕われるお方だ。  溜め込む方ではあるけど、だからこそ外ヅラを良くできる。  まあ、最近はオレ相手だとやたら冷たいんだけど…… 「……。誰が『敵』になったかわからん以上は、厳しかろう」  神父様は静かに首を振り、ぼやくように呟いた。 「うへぇ……人間かどうかって、そんな大事なんすか」 「大事、なのだろうな。……神は、自らの姿に似せて人を作ったとされている」 「でも、神父様も見てくれは一緒ですよ? ちょっと血飲むだけで」 「……ちょっと、か」  オレの言葉に、神父様はふっと遠い目をする。  ……何か、嫌なことを思い出しちまったのかな。 「……血を啜るから何だと言うのだ。人が、もっとも人を殺すではないか」 「オレのことっすか」 「違う。貴様でなくとも、兵役はある。また戦争が起これば、純朴な市民でさえも人を殺すだろう」  ああ、そっか。  オレは盗賊だし住民登録? みたいなのもできるわきゃねぇしで忘れてたけど……男はみんな、戦えなきゃダメなんだっけか。 「『国民』を殺せば大罪だが、隣国の人間を殺すのは手柄になる。……そういった情勢になることを、私の師は憂いておられた」 「えー……。みんな、オレのことは散々人殺しって罵るのに?」 「自ら……いや、『帝国』に危害が及ばぬよう、軍備によって国力を上げ、国民全ての力で統率の取れた軍事組織を作り上げる。……そういう時代なのだ、今は」  神父様は険しい顔をし、指先で地図をトントンと叩く。  ふと、ガキの頃のことを思い出した。  抱き締められた記憶や、庇われた記憶がぼんやりとある。……とにかく生きなきゃって、思ったことも覚えてる。  まばらな叫び声が記憶に残っている。  死にたくない、誰か助けて……そういう声だ。  殺すって、そういうことなんだろ。……だから、悪いことだってのはわかるんだ。  まぁ、オレはうっかり殺っちまうんだけどさ……。  テーブルを叩く音が次第に大きくなって、意識が現実に引き戻される。 「国のためを(うた)い、戯れに血を流すことは是で、祖父が殺しもせず血を啜ったことは非だと言うのか? ……ふざけた話だ」  神父様の今の力だと、力を込めて叩きすぎればテーブルが壊れる。本人もそれは分かってるみたいで、どうにか抑えようとしてるのが見て取れた。  同じ怪力なのに、神父様はオレより慣れるのが早い。やっぱり、賢いからかな? 「教会も、そんな感じなんすか」 「……教会は……そう、だな。帝国相手には長らく抵抗している。かの鉄血宰相(てっけつさいしょう)でさえ、弾圧を諦めたほどだ」 「あー。だから、神父様は教会が好きなんですね」  鉄血宰相が誰だかわかんないけど、神父様があんまり良く思ってないのは伝わった。  オレの言葉に、神父様はハッと目を見開き、テーブルを叩いていた指を止める。長い間黙りこくってから、ようやくまた口を開いた。 「そういう、わけでは……ないが……」  苦しそうな表情が、複雑に絡んだ感情を伝えてくる。 「……希望を抱いていた、部分は……まあ、ある」  教会は帝国の敵だけど、神父様の敵にもなっちまった。  そういうことでいいのかな。 「何となくわかりました。『吸血鬼』になっちまった神父様は教会から逃げなきゃで、だからって教会と仲悪い帝国の方行くのもあんまり……って感じなんすね」 「相変わらず理解が早いな。結構なことだ」 「お? 今、褒めてくれました?」 「……褒め言葉でなければ何だというのだ」 「マジか!? よっしゃあ!」  オレが身を乗り出すと、神父様は若干後ろに下がりつつ目を逸らす。 「キスしていいっすか」  そう聞くと、べしっと頭を叩かれた。 「……調子に乗るな」  あんまり痛くないあたりに、優しさを感じる。 「いっそ、南行っちゃいます?」 「南は教会の権威が更に強い。バチカンが近付くからな」 「ありゃあ、マジすか……じゃあ……北?」 「馴染みのない地域ではあるが、情勢を思えば悪くはない。ただ、気候が厳しくはなるが……」  神父様は難しい顔で地図を睨む。  コートとか盗むのは怒られそうだし……毛皮捕るの、頑張ろうかなぁ。神父様と二人なら、デカい動物もどうにか狩れるか……? 武器が心もとねぇけど……。  なんて考えていると、神父様がまた口を開いた。 「この一帯はおそらく見張られている。どこを目指すにしろ、鉄道か何かで長距離の移動を考えるべきか……」 「おっ、オレ鉄道乗ったことないんすよ! どんな感じです?」 「……遊びではないのだぞ?」  神父様は呆れたようにため息をつき、眉間を押さえる。  神父様、ただでさえしんどい思いしてんだから、楽しんだっていいのに。 「しかし……鉄道を使うのならば、人目にはつくか……」  淡々と語りつつ、神父様の肩がわずかに震える。  冷えてきたもんな、と思いつつ背後から抱き締めた。 「……なんだ」 「あっためてます。そのまま続きどうぞ」 「…………。少し休む」 「それもアリっすね。ゆっくりしてください」  神父様は無言でオレの腕を見つめる。  振り払われるかと思ったけど、そのまま話し始めた。 「以前、怪力を気にしていたな」 「ん? もしかして痛いとか……?」 「いや……貴様が私に触れる時、痛みを感じた覚えはほとんどない」  そっとオレの腕に触れ、神父様は続ける。 「純粋な腕力の強さ……というよりは、特定の状況において、力を一か所に集中できるのだろう。おそらくは後天的に身につけた……いわば、技術だ」 「……技術?」 「貴様は『力』そのものを原因と考えていたようだが……それでは解決にならない。そもそも、問題の根本が違うのだ」  神父様は、あくまで冷静に語る。  難しい話だけど、何となくは理解できた。  オレが「うっかり」人を殺しちまう理由を、神父様なりに考えてくれているんだ。 「できる限り、力を込めてみるがいい」 「えっ、でも……」 「知っているだろう。私の肉体はもう、ヒトではない」  その提案に、簡単には乗れなかった。  大丈夫って言われても、潰しちまうかもしれねぇって思うと……怖い。 「案ずるな。貴様の力では、私は壊れない」 「……うぃっす」  ありったけの力を込めて、ぎゅうと抱き締めた。  骨が折れる音が聞こえないか心配で、心臓が高鳴る。  神父様の表情は見えない。……痛がってたり、苦しんでたりしないか、余計に心配になる。 「……やはりな」  神父様の彫刻みたいな指先が、オレの左腕を掴む。  見惚れていると、青白い指先が肉にくい込んだ。 「いっ!?」  左腕を激しい痛みが襲う。その瞬間、力が(ほとばし)った。  神父様の肋骨が、みし、と音を立てたのがわかる。 「ぐっ……」 「大丈夫っすか!?」  神父様の喉から、苦しそうな吐息が漏れる。 「やべ」と思ったけど、掴まれてる方の腕には力が入らないから、片腕ぶんだけの力で絞めた……ってことに、なんのかな、これ……? 「……怪力とは、こういうことだ」  手を離した神父様が、オレの、掴まれた方の腕を指し示す。  真っ赤な手形が、くっきりと浮かび上がっているのが見えた。 「済まない、強く掴みすぎたな」  神父様は申し訳なさそうに、赤くなった痕を撫でる。  そういえば、盗賊をやってた時も、立ちんぼ娼婦を殺しちまった時も、身の危険を感じたから殺しちまった……気が、する。武器を向けられたり、……  ……あれ、待てよ。それを神父様が気付いたってことはさ、オレの動きや、状況を観察してたってことにならねぇか……? 「神父様。……そんなに、オレのこと見ててくれてたんすね」 「な……っ! い、いや、貴様を導くのは聖職者としての責務であったし、現在も共同生活において必要だからと……おい、聞いているのか」  神父様の耳が赤くなっているのが、背後からでもわかる。  いや、でもマジかぁ。それ、オレが神父様の具合とか機嫌とか、ついでに性感帯を見分けてんのと同じ理屈だろ……? 「好きです、神父様。抱いていいっすか」 「やめ……っ、乳首をまさぐるな! ……あっ、き、傷痕はやめろ……! そこは……んッ」 「振り払わないならイイってことっすね。抱きます」 「ま、まだ準備が……ぁあっ」 「上着は汚さないように脱がすんで!」 「……ッ、せめて私が脱ぐのを待て……! 盛りのついた犬か貴様は!」 「えっ、自分で脱いでくれるんすか」 「……あっ」  横顔を覗くと、神父様は真っ赤になってわなわなと唇を震わせていた。  その唇にキスをして、ボタンに手をかける。  神父様は抵抗することなく、大人しく脱がされた。 「考えるの疲れたんで、気持ちいいコトしましょ」  舌なめずりしつつ、傷のある腹筋に手を這わせる。  神父様はピクっと反応し、オレの背中に手を回した。

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