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第17話「失意の淵に」

 駅って場所は、今までスリをする以外に立ち寄ったことがない。人が多いから盗みには打ってつけだけど、汽車に乗ったことはなかった。  金がなけりゃ無賃乗車するって手もなくはなかったけど、狭い汽車の中じゃ、オレの「うっかり」が出ちまった時に逃げ場がないしな。  道行く人を見ているとついついポケットを見ちまうけど、ぶるぶると首を振って気を引き締める。  神父様の方はというと、落ち着かない様子で人混みを見つめていた。  血が欲しいのか、それとも人間不信からか……どちらの理由が強いのか、オレには分からない。 「兄上……」  ポツリと漏れた声音には、確かな絶望が浮かんでいた。 「なぜ……」  真っ青な顔で呟く神父様の肩を抱き寄せる。  ……なんて言えばいいのかわからないけど、とにかく、支えになりたかった。  冷えきった肩は小刻みに震えていて、神父様が、また心に傷を負ったことが嫌でも伝わる。 「オレ、そばにいますんで」  どうにか捻り出した言葉に、神父様がどう思ったかはわからない。 「……ああ……」  掠れた声が白い息とともに吐き出される。それきり、神父様は何も言わなかった。  ***  修道院を出る少し前、神父様はマリアさんにあることを尋ねた。 「新聞はありますか」  情勢を知るのに必要だった……とのことだけど、それが不味かった。  目を通すうちに、神父様の顔がさあっと青ざめていき、新聞紙を持つ手もガタガタと震え始める。  信じられない、といった声で、神父様は文面を読み上げた。 「ギルベルト・ダールマン……死去……?」  ダールマン……は、確か、神父様の実家だ。  どっかの悪魔祓い(エクソシスト)が、神父様のことを「コンラート・ダールマン」って言っていたのを覚えてる。 「……ご家族っすか」 「……兄だ……」  オレには兄弟はいない。……ほんとはいたのかもしれないけど、物心ついた時には一人きりだった。  だけど、「家族を亡くすのが悲しい」っていうのは、何となく覚えてる。 「兄上が‥‥‥亡くなった……?」  神父様は信じられないって顔で、呆然と呟く。  記事には「ギルベルト・ダールマンという商人が死んだ」ことと、「事業は学者である弟が引き継いだ」「警察は妹および弟の取り調べを行っており、長弟は先日死去済み」……といった内容が書かれていたらしい。  マリアさんは心配していたけど、神父様は平気なふりをして修道院を出た。  それでも、マリアさんは駅までは着いてきてくれた。  神父様も最初は困っていた様子だったけど、敵が襲ってこないのを見て少し気が抜けたらしく、大人しく駅までの道のりを教えてもらっていた。 「どうか、ご無事で。……くれぐれも、命を大切になさってくださいね」  マリアさんは、神父様に処刑された知人の面影を見たって言ってた。……灰色の瞳を見つめ、泣きそうな表情をしていたように見えたのは……きっと、気のせいじゃない。 「……ご厚意、本当に感謝します。どうか、息災でお過ごしください」  神父様は無理やり笑顔を作り、胸の前で手を組んだ。……やっぱり、上手く笑えてない。 「マジでありがとな、マリアさん。もらった本、読めるようになっとくから!」  マリアさんは心配そうにこちらを見ていたが、オレが笑いかけると十字を切って祈ってくれた。  ***  神父様は太陽の下だとやっぱりしんどいみたいだから、なるべく日陰を探す。  マリアさんと別れてから、神父様はずっと口数が少ない。何か話しかけても上の空で、「ああ」とか、「そうか」とかしか言わなくなっちまっていた。  マルティンの言っていたことは本当だったらしく、マリアさんといた時も人混みにいる時も、誰一人襲ってこない。  ……ただ、神父様は人混みが苦手なのか、ただでさえ青白い顔色がどんどん悪くなっていくのが見て取れた。 「私は……死者、ということになっているらしい」  ……と、神父様は思い出したようにぼやく。新聞に、そんなことも書いてあったんだっけか。 「みたいっすねぇ。……だから、ほら、お兄さんも死んだとは限らないんじゃ?」 「…………」 「……あー……考えても仕方ないっすよ。えーと、これからご実家の方に行くんでしょ? そん時に確かめましょ」  顔見知りがいた方が、追っ手は襲撃しにくい……そう仮説を立て、神父様は故郷に一度戻ることにした。もちろん大っぴらに実家に帰ることはできないけど、家族には会えるかもって踏んでいたかもしれねぇ。……で、その矢先に兄貴が死んじまった知らせを聞いたってことになる。  そりゃあ、元気もなくなるってもんだ。 「……でも、神父様って弟なんすね。てっきりお兄さんかと思ってました」 「下にも……二人、いる」 「あっ、そうなんすか。お兄さんでもあるんすね」 「四人兄妹だ。兄が一人、妹が一人、弟が一人……」 「へぇー……会えたら挨拶しねぇとなぁ」 「……くれぐれも、余計なことは言うな」 「エッチしてるとか?」 「こ、声を潜めろ愚か者……!」  何気ない話をして気が紛れたのか、神父様の顔色が次第にマシになる。  余裕が出てきたのか、これからヘッセンの方に向かって、ヴァッサーシュピーゲルって場所で降りるってことも教えてくれた。  まあ地名言われても全然わかんねぇんだけど、着いてったらどうにかなるだろ。 「へぇ……これが汽車っすか。なんかすごいっすね。思ったより広いし」 「……目立つような所作(しょさ)は慎め」  汽車に乗り込むと、見かけより広くてびっくりした。  汽車って、鉄の塊なんだろ? こんなに人乗せて、どうやって動いてんだろうな……?  席に座ると、神父様はうとうとと舟を漕ぎ始めた。傷も癒えたばかりだし、疲れてるのかもな……。 「肩、貸しますよ」 「……ああ……」  オレの肩にもたれかかる神父様が可愛くて、ついつい頬が緩む。 「……おやすみ、神父様。あとはオレに任せてくれな」  ……さて、汽車の中に「敵」がいねぇか……目を光らせておかねぇとな。

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