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第31話「私は貴方の毒」

 空が明るくなってきた頃、役目を終えて廃坑の入口に帰ってくる。怪物たちは、ほとんどが死体に戻っていた。  マルティンから聞いたけど、なんかの秘術の本が教会から持ち出されていて、確認と抗議のために検分を行った責任者から詳細を聞き出さなきゃならなかった……と。 「……素人が下手に使ったら、ろくなことにならない代物(しろもの)ばかりだもの。……って、今回の惨状見てたらわかるでしょうけど……」 「とはいえ、軍曹が気絶するまでは大人しくさせられていたっぽいし、彼もある程度は頑張っていたみたいだね。……それはそうとしてフラテッロ、休もうか。足取りが覚束(おぼつか)ないよ」 「……そう、ね……もう無理……吐きそう……」 「う、うーん、吐くぐらいで済めばいいんだけど……」  マルティンは真っ青な顔で、テオドーロに支えられている。  そういや心臓やられてたんだっけか。ほんとに大丈夫か……? 「しばらく亜空間(ここ)の中にいなよ。様子なら見れるようになってるし……」 「……ええ……お願いするわ……」  テオドーロに促されるまま、マルティンはふらふらと亜空間の中に身体を滑り込ませる。  入口が閉じる前に、金色の目がオレの方を見た。 「……テオドーロ、一緒に行ってあげなさい。あんたなら、対処できるでしょ」  何のことを言っているのか、嫌でもわかっちまう。  廃坑の中はとっくに静かになったのに、神父様は帰ってこない。……何度も入口に目をやったけど、誰かが通る気配すらない。 「了解(ヴァ ベーネ)。……安否がどうでも、ちゃんと会わせてあげないと……あだっ!?」 「悪い方の想定はしなくていいの」 「そ、そうだね……!」  ……なぁ。神父様。  無事で、待っててくれてるよな。  帰り道がわからなくなってるだけだよな。  ……大丈夫、だよな……?  ***  静まり返った廃坑の中に、テオドーロと足を踏み入れる。  あちこちが崩れそうになっているし、実際崩れた部分もあって、神父様がオレを心配した理由もよくわかる。……あのままそばにいたら、押し潰されて死んでてもおかしくなかったのは事実だ。 「僕の近くにおいで。何かあっても逃げ込めるから」 「……おう」  死んでも護りたいって思ってた時期もある。  だけど、今は違う。オレがいなくなれば、神父様の心を護れないって知っちまった。  ……二人で生き延びなきゃ、意味ないんだよ。 「神父様ー!! どこっすかー!!」  声を張り上げても返事はない。  不安がどんどん大きくなって、嫌な予感が頭から離れてくれない。  焦りを隠せないまま、腐った肉や骨が散乱する中を、注意深く進んでいく。 「……匂い(ブーケ)を辿るのも厳しいからね……」  テオドーロが横でボソッと呟く。 「普段は吸血鬼(ヴァンピーロ)が近くにいたら、すぐ股間が反応するぐらいだったのに……」 「うっわ……てめぇマジ……」  イラッとはしたしドン引いたけど、今はこの間抜けな発言に少しばかり助けられた。  正直、気が滅入りそうどころの話じゃなかったからな。  ランプの灯りを頼りに、ホコリっぽいガレキの中を進む。……まだ、神父様の声は聞こえない。 「……彼がどうして廃坑に残ったか、わかるかい?」  テオドーロに聞かれて、神父様の言葉を思い返す。 「近所のヤツらを見捨てられねぇからだってさ。……オレは身内だけで逃げりゃいいじゃんって言ったんだけど……それじゃ、自分の憎悪に餌を与えちまう、って……」 「神に仕える者としては、『正しい』行いだね。自分を犠牲にしてでも他者に尽くす。たとえ敵であろうが、隣人のように愛する……。……彼はあれだけの憎悪を抱えていて、それを選択したんだ。簡単にできることじゃないよ」  テオドーロの説明に、胸が締め付けられる。  神父様……あれだけ苦しめられても、まだ「神父」であろうとしたんだな。……馬鹿だよ、本当に。  もう神様なんて知らねぇって、好きにやるって言ってくれたって、オレは着いていくのにさ。 「…………やっぱり、オレより神様を選んだのかな、神父様」 「と、言うよりは……」  テオドーロはピタリと足を止め、オレの方を見つめる。  青く澄んだ瞳が、ランプに照らされる。 「君との関係を、赦して欲しかったんじゃないかな。……これは僕じゃなくて、フラテッロの見解でもあるんだけどね」  そういえば、前に「神の愛と人の愛は違う」って言われたんだっけか。  ……オレにはそういうの、まだ難しいけど……神父様に聞いたら教えてくれる、よな。……もう、すぐにでも、聞けるはず……だよな……? 「……っ、神父様ぁ! 返事してください……! どこにいるんすか!?」  オレの声が岩壁に反響し、やがてシーンと静まり返る。  再び不安が押し寄せ、足が震える。早く会いたいのに、早く迎えに行かなきゃいけないのに、先に進みたくなくて、胸が押し潰されそうになる。  ……と、その時。どこかで、水の音を聞いた。 「……! あっち!」 「おっと……! 急ぐと危ないよ、気を付けて!」  テオドーロの腕を引っ掴み、水音の方へと連れて行く。 「……光……?」  岩壁の隙間から漏れた光を頼りに、先に進んだ。  くるぶしに冷たい感触が触れ、水に足を突っ込んだことに気付く。 「……明るいね。ヒカリゴケ、かな」  テオドーロの声に構わず、水音の方へと歩き続ける。  穏やかな光に包まれた泉の中、こちらに歩いてくる影が遠目に見えた。ランプをかざすと、腰まで水に浸かった軍服が浮かび上がる。 「……良かったな。ちゃんと迎えに来てくれたぜ」  疲れ果てた、それでもどこか優しげな声がこっちにも聞こえた。癖のある銀髪が、頼りない灯りに照らされる。  背中に担がれた影は、ピクリとも動かない。  肩に流れる……あの……綺麗な髪は…… 「神父様ッッッ!!!!」  思わず駆け寄って、頬に触れる。  ぐったりとはしているけど、オレの声でわずかに眉根が寄ったのが見えた。……良かった、生きてる……! 「……! 腕……っ!? 左腕、どうしたんだよ!?」 「悪い……探しはしたんだが、見つからなくてな……」  ギルベルトさんは苦しげに息をつき、神父様の身体をオレに預ける。何度確認しても左腕が二の腕の先からごっそりなくなっていて……こんなの……いくら神父様が吸血鬼だとしても、酷すぎる傷だ。 「……このバカ、俺が動けなくなったとたん怪物相手に散々暴れて、挙句の果てには落石から俺を庇いやがった……。……ったく、回復力も落ちてるしここらで終わりかーって思ったんだが……あそこまでされたら、死ぬに死にきれないっつの……」  ガシガシと自分の頭をかき、ギルベルトさんは神父様の頭を優しく撫でる。 「ここの泉質は俺らによく効く。……そのうち起きるだろう」  神父様の呼吸は弱々しいが、抱き締めた腕からは確かに温もりが伝わってくる。……ちゃんと、生きてるのがわかる。 「腕……見つけられたら繋がるかもしれないけど……人間の腕じゃくっつかないだろうね……」 「……ああ……。本人のはたぶん、岩に潰されただろうし……厳しいよなぁ……」  テオドーロの声に、ギルベルトさんは浮かない顔で俯いた。 「一応、探してみるか。……あのアホ上司も、弔うぐらいはしてやりたいしな」 「まあ……君も重傷なわけだし、程々にね……?」  穏やかな光が、澄んだ泉を照らす。  神父様が薄目を開き、「……ヴィル?」と名前を呼んでくれる。 「……もう、無理に戦わなくて良いんすよ。神父様」  舌を噛み、薄く開いた唇から血の混じった唾液を流し込む。  ……ああ、やっぱり最低のクソ野郎だな、オレ。  神父様が傷ついてめちゃくちゃ悲しいし辛いのに、こうなったことには、どこかでほっとしてるんだ。 「これじゃ……逃げたくても、逃げられねぇよな」  片腕を失くした身体を抱き締め、笑いかける。  神父様はぼんやりとオレの顔を見つめていたが、やがて、途切れ途切れに言葉を紡いだ。 「言った、だろう」  オレの頬に片方だけになった手を伸ばし、神父様は穏やかに笑う。 「私を……逃がすな」  全身ボロボロのくせをして、何かを吹っ切ったような笑顔だった。

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