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10月 4

 翌朝晃嗣は、魂を抜かれたような状態で会社に向かっていた。昨夜の刺激を身体のあちこちが覚えていて、気を抜くとそれに飲み込まれてしまいそうだった。今日一日乗り切れば、休みである。何とか気持ちを立て直そうと、晃嗣は会社のビルを軽く見上げて思う。  昨夜浴室でいかされた後、さくはアロマオイルを使って背中をマッサージしてくれた。それは大層快かったのだが、仰向けにされた途端に性感マッサージが始まり、敢えなく晃嗣は2度目の絶頂を迎えてしまった。  口でしたいから3回目にチャレンジしましょうかと、さくは笑顔で提案してきたが、晃嗣は立て続けの巧みな愛撫に、2度で精魂尽きてしまった。  エレベーターで一緒になった人たちに朝の挨拶をしながら、労働場所に運ばれる。昨夜の醜態を思い出すと、晃嗣は自分が情けなくなった。さくはタチだと神崎は話していたが、晃嗣もタチ歴はそれなりに長いと自負している。なのに昨夜は、まるで経験の浅いネコみたいに、ほとんどさくの為すがままだった。挙げ句、彼の腕に抱かれてうつらうつらしてしまい、シャワーを浴びるために起こされて、可愛い、などと言われる始末である。  晃嗣は人事課の部屋に入ると、ぼんやりとロッカーを開け、コートをハンガーにかけた。デスクに向かい、パソコンを立ち上げる。その時、鞄の中でスマートフォンが震えたので、のんびりと画面をスワイプしたが、見知らぬアドレスからの新着メールにどきっとする。ドメイン名は、ディレット・マルティールである。  近くのデスクにはまだ誰も出勤していないのに、晃嗣は周りに目を配ってから、メールを開いた。 「柴田さま 昨夜は最後までお相手してくださり、 ほんとうにありがとうございました。 私はとても楽しく過ごさせて いただいたのですが、 柴田さまにとってもそうであったなら これに勝る喜びはございません。 お気づきの点がございましたら、 遠慮なくこちらか、 代表メールにご連絡ください。 またのご縁があればと 心より願っております。 朝晩冷え込みますので ご自愛くださいませ。 さく」  晃嗣の頰が熱くなった。さくのにこにこした、可愛らしい顔が脳裏に蘇る。笑うとかなり童顔なのに、急にやたらと色っぽい目になって、あの耳に心地よい声でいやらしい言葉を囁いてくるのだ。  いけない、勃ちそうだ。晃嗣はメールを閉じて、大きく深呼吸した。  9時になり、のんびりと朝礼が終わってすぐに、おはようございます、と明るい声が人事課の部屋に響いた。カウンターに近いデスクに座る晃嗣は、他部署から来た人間に対応すべく立ち上がる。そしてすぐに硬直した。 「おはようございます、営業課の高畑です」  朝一番の来客は、耳に快い声で晃嗣に言った。……昨夜俺に可愛いと言ったのは、確かにこの声だ。心臓がうるさくなり始める。 「来月の健康診断の問診票を頂戴しに来ました」  あんなメールを送りつけてきて直ぐに、俺の前に現れるなんて、本当にどういうつもりなんだ? やはり別人なのか。晃嗣は昨夜、自分を散々おもちゃにした男の……いや、その男とそっくりな顔を見つめる。高畑朔は、愛想の良い笑いをマスクの上の目に浮かべていた。  絶対に本人だろう。晃嗣は高畑のふわりと柔らかそうな髪(昨夜さくの髪に触れると気持ち良かったことを思い出す)を視界に入れながら考える。何故すっとぼけているのだ。しかし高畑は、晃嗣と目が合っても、眉ひとつ動かさない。 「……おはようございます、ええっと、問診票は人事でなく総務で渡しています」  おかしな間を周囲に気づかれないために、晃嗣は慌てて返事をした。例年総務から渡しているのに、何を言っているのだろうと思った。 「あれっ、そうでしたっけ?」  高畑が目を瞬くと、後ろにいた女子社員がくすくす笑った。 「さっくん朝からボケてるの?」 「いや、人事だと思い込んでました……おかしいなぁ」  年上の女子社員からさっくんなどと呼ばれても、高畑は嫌な顔ひとつしなかった。こういう扱いを毛嫌いする男子社員は多いのだが、慣れているのだろうか。 「すみません、お騒がせしました……ありがとうございます、柴田さん」  高畑は晃嗣の名を呼んだ瞬間、きれいな形の目をきゅっと細めた。晃嗣はぎくりとする。昨夜何度となく、さくから気持ちいいですかと訊かれながら、こんな目で見つめられたからだ。長い時間ではなかったが、高畑は粘度の高い視線を、晃嗣の顔にまとわりつかせた。背筋がざわっとした。  やっぱりさくじゃないか! 晃嗣は赤面したことを自覚し、叫びそうになる。しかし高畑は、軽く会釈をしてすいとその場を離れた。軽い足音を立てて、人事課の部屋から出て行く。その後ろ姿からは、スーツの下に鍛えられた身体が隠されていることを、想像できなかった。

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