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12月 2 ②

 朔は微笑して、晃嗣の腰回りを覆うタオルの隅を軽く引っ張った。晃嗣が小さく首を振ると、彼はすぐにスポンジを手渡してくれる。彼は浴槽に向かい、湯加減を確かめながら言った。 「たぶん柴田さんこそ人が好きなんですよ、前の会社で起きたことから立ち上がるためのリハビリ期間が終わりつつあるんじゃないですか?」  晃嗣は股間を念入りに洗う自分を浅ましいと思いつつ、答える。 「だとしたら長過ぎるリハビリだなぁ」 「それは人それぞれですよ」  朔はシャワーで丁寧に泡を流してくれた。浴槽に彼と並んで身体を沈めると、もうそれだけでかなり幸せだった。 「僕柴田さんと居るとなーんか癒されるんですよね」  朔が湯を揺らしながら身体を寄せてくる。晃嗣はどきりとして、我知らず身構えた。 「朔さん、ちょうどいいから確かめたいと思ってた」  話題を選ぶ余裕が無く、口を滑らせる形になってしまう。朔ははい? と言い、晃嗣の目を真っ直ぐ見てきた。 「いや、あのさ……俺ときみは、どういう関係なんだろうと考えてしまう訳なんだ」 「……柴田さんはどういう関係と認識されてます?」  えっと、と晃嗣は前置きした。 「買った者と買われた者、つまり金銭の契約を結んでる関係、なんだろうか」  ふんふん、と朔は頷く。 「柴田さんがそうおっしゃるならそうなんでしょうね」  決定権を自分に回さないでほしいという、甘えのようなものが晃嗣を捕える。それでつい、訊いてしまう。 「きみは……どう考えてるんだ」  朔は難しいですね、と低く言った。そしてそっと顔を近づけてくる。 「あのね柴田さん、3回目のご指名なのでいいことを教えて差し上げます」  晃嗣は澄んだ茶色い瞳に、自分の顔が映っているのを見る。 「ディレット・マルティールのスタッフは、お客様が強く求めない限り唇にキスしないんです……別に規則じゃありません、伝説の先輩がたから伝わってる接客の心構えみたいなもので」  晃嗣はその意味を尋ねようとしたが、熱を持つ柔らかいものに口を塞がれた。咄嗟に目を閉じて感じたのは、これはこの間みたいなお礼の意味ではないなということだった。  晃嗣が驚きのあまり固まっていると、朔はそのまま優しく肩を抱いてきた。唇への圧力がぎゅっと強まり、僅かに吸われるのが気持ちいい。もっと、と思ってつい顎を上げた途端、ふにゃりと唇が離れた。  目を開くと、やはり茶色い瞳が微かな笑いを含んで自分を見つめていた。晃嗣は身体中が内側から熱くなるのを感じた。心臓の音が耳の中で響く。ああ、人とキスするのって、こんな良いものだったかな。 「俺柴田さんのこと好きだよ、ずうっと前から」  朔はラフな言葉になった。晃嗣は緩く抱かれたままの姿勢で、口をぱくぱくさせる。ずうっと前とは、どういう意味だ? 訊きたいのに、顔がどんどん熱くなり、もう喉がからからで言葉が出ない。 「あっやばい、柴田さんのぼせそう……続きはベッドに行ってからだ」  晃嗣を囲う腕に力が入り、そのまま湯の中から引き上げられた。勃ち上がりかけたものの先が、朔の逞しい太腿にこつんと当たってしまう。晃嗣はびくりとなり、あっ、と小さく言って腰を引いた。 「あんなキスだけで勃っちゃった? 仕方ないなぁもう……」  晃嗣は朔にくすくす笑われながら、腕を引かれて浴室から出た。そして小さな子どものように、大きなバスタオルに包まれて、丁寧に水滴を拭いてもらう。向かい合う朔の、素っ裸の腰回りに視線が勝手に行こうとするので、晃嗣は無理矢理首を右にねじる。  朔は晃嗣の肩にふわりとバスローブを掛け、手早く自分も身体を拭く。少しのぼせた晃嗣は、彼の腕の筋肉がしなやかに動くのを、見るともなしに視界に入れていた。 「はい、お待たせしました」  朔は自分もバスローブを羽織り、晃嗣の手を取った。そして手を繋いだまま、ばかでかいベッドに直行する。晃嗣は言われるがまま、ベッドに座った。股間の収まりが甚だよろしくなかったが、それを朔に悟られたくなかった。  朔は小さな冷蔵庫に向かい、扉を開く。 「喉渇きましたよね」 「あ、ありがとう」  朔はキャップを開けて、冷たいペットボトルを手渡してくれた。ふた口冷えた水を食道に通すと、自然と長い吐息が出た。朔も喉が渇いているだろうと思った晃嗣は、ペットボトルを彼に手渡し、左に座った彼が水を飲むのを眺める。 「美味しい、柴田さんもういいの?」  朔に言われて、じゃあもうちょっと、と晃嗣は答えた。しかし彼は自分が水を口にした。もしかすると彼のほうこそ、さっきのキスで興奮したのではないかと思い、晃嗣は胸をきゅっとさせた。  気を散らしていた晃嗣は、いきなり肩を掴まれ、そのまま柔らかい枕の上に押し倒されて、何が起きたのか咄嗟に理解できなかった。 「えっ、う……っ!」  朔は唇をぎゅっと晃嗣の唇に押しつけてきた。強い力でこじ開けられたかと思うと、冷たい液体が口の中に流れ込んでくる。晃嗣は本能的な危機感のようなものから、喉を鳴らして水を飲み込んだ。僅かに零れた水が、熱い頬の表面をついと撫でた。  そっと唇を離し、目を細めた朔は、晃嗣の頬を指先で拭いながら満足気に言った。 「美味しいですか? じゃあもうひと口」  再び水を口に含んだ朔は、今度はゆっくり唇を重ねてきた。彼の動きに合わせて口を開くと、さっきよりも沢山の水が口内に入ってくる。晃嗣はそれを零してしまわないように、ゆっくりと飲み下す。冷たくて美味しいと思う余裕があった。名残惜しげに唇が離れたと感じたのは、晃嗣自身がそう思っていたからかもしれなかった。 「……上手に飲めましたね、ご褒美に柴田さんのして欲しいことをこれからしますよ」  まろい声で優しく囁かれ、晃嗣の胸のどきどきがまた大きくなる。柔らかくて冷たい唇が左の耳たぶをそっと挟み、首に伝い降りる。背筋がぞくぞくして、それだけで声が出そうだった。  晃嗣が求めた訳でもないのに、朔はまた口づけしてきた。自分の唇を味わうように少しずつ唇をつけ直してくるのが気持ち良くて、晃嗣は積極的に彼に応じる。どちらからともなく口を開き、そのまま舌を絡め合った。  こんなにキスに夢中になったのは、たぶん初めてだった。湿った音を聴きながら、晃嗣は朔の頬を両手で包む。愛おしい、もっと欲しい。唇が離れると、あっ、とつい不満気なな声が出てしまう。

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